岡田兵吾(Microsoft アジア太平洋地区本部長)のストーリー
日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で大活躍するリーダーの軌跡とマインドを発信する「グローバルリーダー・ストーリー」。
ご紹介するグローバルリーダーは、Microsoft Singapore アジア太平洋地区ライセンスコンプライアンス本部長、”リーゼントマネージャー”こと岡田兵吾氏。同志社大学工学部卒業後、アクセンチュア、デロイトコンサルティング、マイクロソフトのグローバル企業3社にて、シンガポール、アメリカ、日本の3カ国を拠点に20年以上勤務。シンガポールに移住して18年目。情報経営イノベーション専門職大学(iU)超客員教授やベストセラービジネス書著者でもあり、オンラインサロン「兵吾村塾」を主宰。(2022年4月時点)
グローバル企業において多国籍なチームを率いて働く岡田氏に、これまでに歩んだ道のりとアドバイスなど幅広い視点でインタビューした。
グローバルとは無縁な幼少期 英語の必要性に目覚めたのは大学時代
実家は関西で自営業。父親は海外出張することもなく、グローバルとまったく縁がない環境で育った。自分の知る海外といえば、せいぜい「ベストヒットUSA」やたまに観るハリウッド映画くらい。月並みにアメリカに憧れる普通の中高生だった。ところが、進学した同志社大学で大きな転機を迎えることとなる。
ざわざわとした新歓のイベントで女子2人が英語で会話をしている。聞いてみれば、2人とも帰国子女だったのだが、それを見て純粋に「カッコいい」と思った。身長182cmという恵まれた体格だったので、体育会のアメフト部からも熱心な勧誘を受けたが、落合信彦や立花隆の著作を読みながら「国際ジャーナリスト」という職業に興味があった自分は、これから先、絶対に英語が必要になると確信し、アメフトは同好会で続けESS(English Speaking Society)の扉を叩いた。
ESSではこれまで自分の人生で会ったこともない、そして自分と住む世界が違う人たちの集まりで、彼らから大いに刺激を受けることになった。中でも驚いたのはインドまでバックパッカー旅行をした先輩の話。まだ見ぬ世界の果てを旅した彼に釘付けになった。次第に自分も海外に出てみたいという気持ちが抑えられなくなり、大学1年生の夏にその気持ちは爆発。車の免許取得をやめ、バックパッカー旅行に行くことにした。大阪港から上海港へ出発するフェリー鑑真号の片道切符を握って中国へ。今思えば、ここから自分のグローバルジャーニーが始まった。
初めての海外旅行で知った コミュニュケーションの手段としての英語
「中国を舐めていた」ということに気が付くには時間はかからなかった。漢字を使う国だから、一人旅はそれほど難しくないと高を括っていたのだが、実際に足を踏み入れてみたら、その頼みの漢字が読めない。出会う外国人は皆、英語でコミュニケーションを求めてくるのに、英語が喋れない自分はまともに意思を表現することもできない。1ヶ月を超える旅を計画していたが、これから先のことを考えると奈落の底に突き落とされた気分だった。それでも上海外語大学に潜り込むことで、なんとか凌ぎ、出会う外国人たちに「日本に帰ったら、まずは英語の勉強をしろ」と励まされた。
40日間の中国1人旅を終え日本に帰ってから半年。今度はグレイハウンドバスで48日間のアメリカ1周旅行にもチャレンジした。学生時代に何度も海外に足を運ぶうちに国際ジャーナリストになりたいという気持ちはさらに増し、英語力の研鑽にも熱が入った。日本で英語を話す機会を増やせないか、と一生懸命考えた後、京都で外国人観光ガイドのボランティアに応募することに。しかし、無償で働くというのに不採用。正直、これにはとてもショックを受けた。駅前留学も高いし、スカイプ英会話もない時代。それでも英語を使える機会をどうにかして増やせないか。考えた末に見つけたのが人力車を引きながら観光案内をするアルバイト。人力車に外国人を乗せ奈良・東大寺を英語で案内しながら、体力と英会話力をブラッシュアップ。いつの日か絶対に世界に飛び出してやるという思いの強さは誰にも負けない自信があった。
大学の交換留学プログラムでアメリカへ
退路を断ち、新しい道を模索する
大学3年の時に、ふと目に止まった学内掲示板で見つけた交換留学に応募し、アメリカの小さな大学に留学するチャンスを得る。同志社大学では工業化学を専攻していたので、留学先でも同じ科目を選択したのだが、すぐに想像していたものとは全く別物の留学であることに気がついた。英語でコミュニケーションがしたくて留学したのに、理系の自分は毎日研究室に籠る生活。英語を話したいのに、話す相手がいない。これから先の10ヶ月間、この状況に耐えられるのだろうか? その不安な胸の内を担当教授に打ち明けながら相談した結果、専攻科目を工業化学から国際関係と宗教学のダブルメジャーに変えた。希望通りの専攻となったが失うものも大きかった。せっかく全単位を修得したのに留年が確定。まだまだ国際電話の通話料が高かった時代、泣きながら父に3分間の電話をし、一方的に自分の決断を報告した日のことは今でも鮮明に覚えている。
自ら退路を絶ってしまったその後のアメリカ生活は、落ちているチャンスは全て拾ってやるくらいの意気込みで生活することになった。お金もない、言葉もできない、何も持たない日本人の学生が生き残るためには、それしかない。教会で週2回ボランティアをし、自分が携われること全てにチャレンジした。そんな中、人生を大きく変える出会いがあった。
アメリカの公民権運動の母と呼ばれるローザ・パークスさんの集会に出席できる機会に恵まれたのだ。それは彼女が40年ぶりに公に姿を現す歴史的にも意味のある集会。大学も出ていない黒人の女性が、自分の信念を貫き、そして世界を変えた。「One person can changes the world」(たった一人でも世界を変えられる)を見事に体現した女性がすぐそこにいる。自分自身がスゴくなくても、何か強い思いがあって立ち上がれば、それに共感する人が増え、必ず社会を変えられる。彼女の存在が「ソーシャルチェンジ」というメッセージ、そのものだった。自分も国際ジャーナリストになって、世界を変えてみせる、そんな強い思いを抱えて日本に帰国。いざ国際ジャーナリストになるべくマスコミ各社を受験したが、信じられないことに通信社、新聞社、テレビ局すべて不合格となる。日本の厳しい現実に直面し、最終的に就職先は当時「企業のお医者様」と称されていた外資系コンサルティングファームのアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)を選んだ。
勤務して約7年の間には2度のアメリカ駐在にも恵まれ、グローバルなプロジェクトに携われる仕事にやりがいを感じていた。しかし、海外に移住して外国人と共に仕事をしたいという希望はなかなか叶わない。上司に海外で働くチャンスを得たいと願い出ると「日本でも独り立ちできていないのに、何がしたいの? 何ができるの?」と責められ、夢を叩き潰されることも度々。海外への道はTOEIC900点以上を保持する帰国子女、または論理的思考ができるMBAホルダーなどの一部の超エリートにしか開いていないかのような、そんな幻想を社会が作っていることに疑問を感じるようになり、思い切って退職。シンガポールのマイクロソフト社で働くことにした。
足掻いていたから見えてきたこと 尊敬と信頼を生む英語でのコミュニケーション
シンガポールに移住して全てが順風満帆だったわけではない。日本では自信のあった英語だったが、いざ60カ国から社員が集まっている多国籍企業で働き始めたら、ミーティング中の英語が聞き取れず恥を偲んで上司に頼み込み、議事録を書いてもらうこともあった。1年2カ月の間、売上がゼロというドン底も経験。経費を使っても結果が出せないから、カラーコピーを取ることも躊躇い、出張先に高速バスを使って9時間かけていく。人生お先真っ暗な時はネガティブループに陥るもので、仕事だけでなくマインドもどん底。自分に自信がないから、こそこそ人から逃げるように生活していた。
ところが、ある時気がついた。「今がどん底であれば、何をしてもプラスにしかならない」。そこからマインドをリセット。売上がないけれど、チャンピオン営業みたいに振る舞うことにした。大きな声で受付から他部署の人まで、みんなに挨拶する。会議でも積極的に発言。すると少しづつ周りの空気が変わってきた。自分から話しかけることで、向こうからも情報が入ってくるようになった。そして、これまでは「自分さえ良ければ良い」というスタンスで仕事をしていたことに気がついた。せっかく働くのであれば、みんなと楽しく働いてチーム全体で良い結果を出したほうがいいに決まっている。会社の方向性や担当以外の仕事も目配りし、チーム全体でインパクトの最大化を図るようになった。これまでとは全く違った仕事の運び方だ。
そうすることで視野が広くなり、少しづつ自分に落ち着きが出てきた。と同時に、自分は英語ができないことを言い訳にしてきたことに気がついた。タイ人、ベトナム人、ヨーロッパの非英語ネイティブだって社内で上手にコミュニケーションを取りながら仕事に取り組んでいる。自分だけジャパニーズ・イングリッシュだからと卑屈になる必要はないのではないか。できる非英語ネイティブの同僚を真似してみようと思い、徹底的に観察し、研究した。すると彼らは限られた英語力の中でも、一定の法則のもとに英語を使っていることがわかってきた。丁寧に語りかける、タブー英語を使わない、ポジティブで相手を気持ちよくする言い回しを使ってコミュニケーションをする。そこに信頼関係や尊敬が生まれてくる。そんな働き方にシフトできるようになったのが30代半ばだった。
グローバルで働くその日が来る前に
今から鍛えておきたい4つのこと
自分の経験を踏まえて思うのは、人間の適応力というのは計り知れないということ。うまく立ち回れず困難にぶつかれば、闘い方を変える。改善の道筋を見つけることができる生き物、それが人間なのだ。だからグローバルな環境で働きたいと願うのであれば、思い切って海外の職場に飛び込んでみることをおすすめする。そのための準備として心に留めておきたい気遣いをいくつかピックアップしてみた。
① 英語でのコミュニケーション
全世界で英語を話す人の8割は非ネイティブと言われており、世界標準の英語も非ネイティブ英語。英語はコミュニケーションの一つの手段と割り切り、発音にとらわれず堂々とジャパニーズ・イングリッシュで通せば良いと思う。人間同士のコミュニケーションでは言語だけはなく、聴覚と視覚も大切。体全体を使って、コミュニケーションをとってみよう。非ネイティブの英語を嘲笑するような態度は差別となりえる昨今、誰もジャパニーズ・イングリッシュを見下しはしない。堂々とした態度で話すことが重要だ。
② 信頼関係を深めるプレゼンテーション
英語を学ぶ時に、特に重要なのはプレゼンの時のテクニック。プレゼンといっても何も数十人を相手に話すものばかりではない。上司とのOne on Oneもプレゼンのひとつ。最近感じるのは、自分の意志を英語で伝える時に、日本人らしい相手の立場を慮るアプローチが世界で通用するということ。議論になった時に「それ、違う!」と頭ごなしに否定するよりも「あなたの言っていることはわかるけど、もっとこうしたほうが良い方向に行くんじゃないかな?」。このような言い方をしたほうが、相手も気持ちが良いし、良い人間関係を築ける可能性は格段に上がる。相手を思いやる言い回しができるのは日本人としての強みでもあり、グローバルな環境で働く時の武器となる。
③ 人と違う「強み=軸」
人とは違う自分の強みとはなんだろう? それを見つけて徹底的に鍛えあげ、自分の「軸」とすることが大切。その軸を持って自分が何を貢献できるかアピールすると良い。この時、注意したいのはグローバル企業には「こういう人材が良い」という決まりきった型がないこと。粒揃いより「粒違い」くらいがちょうど良いのだ。皆それぞれ異なる強みのある人間が集まっているからこそ、そこにイノベーションが生まれ、組織が強くなっていく。日本人が良しとする人物像などグローバル企業では無意味であることを知っておこう。
④ 洞察に優れた発信力
ツイッターやフェイスブックでの発信から始めてみよう。コメントを残してみると、言葉を公にするというのは、意外と勇気のいる行動だということに気が付くはず。自分の思いを言葉にして公にすると、誰かがそれを見て色々な視点でコメントを返してくれる可能性があがる。深く考えられた洞察力のある発信をSNSやブログで繰り返すことで、自分の思いを汲んでくれる人も増えていく。発信しなければ何も始まらない。
グローバル企業は世界的な人材不足 海外で働きたいなら、今がチャンス
現在、世界は完全なる人材不足に陥っている。グローバル企業の69%が「ほしい人材が足りない」という。どうしたら有能な人材を集め、より長く働いてもらえるのか。どの企業も人探しに苦戦している。国境を越えないと良い人材が集められない時代になっているのは海外で働きたい日本人にとってチャンス以外の何ものでもない。
コロナのおかげで、TeamsやZoom等を使ったオンラインのリモート会議が発展し、英語でコミュニケーションするのも大分楽になった。自分がシンガポールに来た時のミーティングといえば、音の悪い電話で行われるものしかなく、電話会議で英語を聞き取るには大変苦戦したものだが(だから上司に議事録を取ってもらわねばならなかった)、今は相手の表情やジェスチャーも見えるので、英語が聞き取りやすくなっている。非英語ネイティブであっても、実力ある日本人が現地で採用されて、責任あるポジションを任される素地は整いつつある。日本人もバンバン世界に飛び出して、海外で働くというチャンスを掴んでほしいと心から願う。 STAY GOLD!!!
【文】黒田順子(2022年4月執筆)
Aun Communication のコメント:
異文化コミュニケーションや異文化マネジメントの領域では、欧米のやり方を学び、それを模倣することを推奨されることがある。勿論、グローバル・スタンダードを知る必要はあるが、それを単にコピーしたとしても、相手の土俵で戦うことになるので、グローバルな仕事環境で大活躍するのは難しい。大事なのは「強み」を活かすこと。アジア人としての強み、日本人としての強み、個人としての強みを考え、様々なビジネス局面で活かすことが重要だろう。岡田氏の「自分の強みを見つけ、それを鍛えて、自分の軸にする」は、非常に的を射たアドバイスだと思う。
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(お知らせ)
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