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聴いて集めて慰める
朝礼前に、部長とカブトムシトーク。カブトムシ武勇伝を語ってくださったんだけれど、周りからはなんだか冷たい視線。仕事が始まる憂鬱なタイミングで、仕事に無関係かつ、多くの人が興味のないことを話しているからなのか。
このことを昼休憩に日記へ書いていて、みんな誰かに話を聞いて欲しい。思いついたことを、気を使わずに、まとめもせず話したい。そしてそれをあたたかく聞いて欲しいのだ。
という結論に至る。
私はこれを夫に求めているのに、夫にできていないかもしれない。子供にしたいと思っているのにできていないかもしれない。
息子が帰宅後、今日の出来事を話し始めると「はよ宿題しんさい!」と遮ってしまう。ここを遮るともう聴けない、取り留めのない話があるはずなのに。宿題の手が止まったとしてもゆっくり話を聞こうと思う。
私はとにかく母に話を聞いてほしくて、たくさん話しをしていた。基本的にはめちゃくちゃ聞いてくれたけれど、時々、適当にあしらわれたり、しゃべってないで宿題をやれ!っていわれると悲しかったし苛立った。
父と母が話している所に割り込んで話を始めると、「今話してるの」っていわれたり、「へえー!、、、それでね、、」って取り残されるのは傷ついたし、相手にとって面白い話でなければ聞いてもらえないんだと感じた。
子どもには、話に入るタイミングや配慮は学んで欲しい一方で、家庭の中でまで「話す価値のあること、ないこと」などと自分の中で決めて語ることを諦めて欲しくないと思う。
今子ども達の話を聴くことは、とるにたらないことを話せる場を準備することであり、私の知らない子どものかけらを採取する場にもなり、昔悲しかった自分を慰めることでもあると思う。