メタバースの地政学──「4象限」で理解する
2021年10月、Facebook(フェイスブック)が社名を「Meta(メタ)」(正式名称はMeta Platforms)に変更すると発表したことをきっかけに、「メタバース(Metaverse)」は一気にバズワード化しました。
世界のメタバース市場は現在4,790億ドルと評価されており、2024年までに7,830億ドル(約90兆円)、年平均成長率13.1%で拡大し続けるとの予測もあります。
2022年以降、「メタバース」が注目の分野であることは間違いなさそうです。その一方で、「なんとなくわかるけれど、何を指しているのかよくわからない」と思っている人も多いのではないでしょうか。
「セカンドライフと何が違うの?」という疑問
実は、私もその一人です。バズワードは、そもそも定義が曖昧なものです。
おそらくキャリアの長い人ほど、「2007年頃に流行した『Second Life(セカンドライフ、略称はSL)』と何が違うの?」と考えてしまうのではないでしょうか。
ちなみに、今だに「セカンドライフ」のユーザーは毎月70万人以上、仮想グッズの年間取引額は最大約6億5000万ドルあるというから驚きです。
メタバースについて議論する際は、相手が「セカンドライフ」的なものを考えているのか、あるいはシミュレーション分野で活用されている技術「デジタルツイン」の話なのかなど、認識がズレないようにするのが大変です。
みなさんも「メタバース」が意味するところの、そもそもの前提条件がバラバラなため面倒を感じているはず。そこで今回は、地図サービス開発プラットフォームを提供する会社の代表として、メタバースを4つのカテゴリーに分類してみたいと思います。
「人」「地理空間」の軸で4象限に分ける
縦軸を「人」(キャラクターとアバター)、横軸を「地理空間」(リアルとバーチャル)とした4象限分布図が下記になります。
「第1象限」「第2象限」で挙げている例は、ともにゲームです。あくまでゲーム用に作れた舞台(『あつ森』の場合は、架空の無人島)で遊ぶのか、それとも、リアルな写像(対象物をあるがままに写して描き出す)の地理空間を利用するのかの違いがあります。
また、上半分(1・2象限)は「自分ではない誰か=キャラクター」になって(変身)プレイするケースが多いのに対して、下半分(3・4象限)は、自分を模したアバター(分身)を活用するという特徴を有しています。
このキャラクターとアバターについては、20世紀のフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが概念を提示して、日本では芥川賞作家の平野啓一郎さんが提唱して広めた「分人(dividual)」という言葉がありますが、その分人に近い役割なのではないかと考えています。
所属する「集団」によってキャラクターを変える日本人に比べて、欧米の人たちは「個」という発想が強いのでブレることが少ないと思います。その意味では、アバターは欧米的発想と親和性が高いかもしれません。
日本には本名ではないけれど、匿名でもない「コテハン」(固定ハンドルネームの略)の文化があります。「裏アカ」も珍しくありません。最近では、NFTの文脈で「偽名性(pseudonymity)」が語られるようにもなっています。
これはどちらがいい悪いではなく、同じメタバースでも「過ごしやすい」と感じる空間は文化圏によって違うのだろうということです。
「第3象限」の代表例は、現実をできるだけ忠実にバーチャル空間に再現する技術である「デジタルツイン」(「ミラーワールド」とも)です。都市の再開発、工場や機械の設計、地震・津波の予測など、何かしらシミュレーションをする際に欠かせない技術です。
デジタルツインでは、国土交通省の3D都市モデル「PLATEAU(プラトー)」プロジェクトが有名です。
他に、Z世代に親しまれる「Snapchat(スナップチャット)」が買収した位置情報を共有するアプリ「Zenly(ゼンリー)」などは、この位置になりそうです。アバターの概念こそありませんが、2021年にローンチされ、瞬く間に100万ダウンロードを記録したマイレージアプリ「Miles(マイルズ)」もここに入れてよさそうです。
「第4象限」の代表が、冒頭で話題に上ったメタが目指すところです。韓国ネイバー傘下のメタバースプラットフォーム「Zepeto(ゼペット)」も、アバターでSNSのようなコミュニケーションをするので、ここに入るでしょうか。2021年12月、ソフトバンクのビジョンファンド2が同社に1億5000万ドル(約171億円)を出資するというニュースがあったなど最近も話題となりました。
「第4象限」の究極形は、人間の肉体は元の場所にありながら、バーチャル空間を意識が縦横無尽に駆け巡るようになり、どちらが本物かわからないような世界です。一言でいえば、映画『マトリックス』ですね(そういえば、キアヌ・リーブス演じる主人公が働く会社の名前にも「メタ」が付いていましたね)。
いかがでしょうか? なんとなくすっきりしてきたのではないでしょうか? 「メタバース」といっても、マトリックスの世界である第4象限以外は、これまで私たちが経験してきた世界であることをご理解いただけたことと思います。
「メタバースはディストピアだ」ジョン・ハンケの警鐘
では、メタバースの技術がこのまま進化していくとすると、何が起こるのでしょうか?
よくある議論の1つは、「AIのシンギュラリティと同じで、そんな世界になるわけがない。人間がバーチャル空間で生きることなどあり得ない」というものです。そして、もう1つは、第4象限の領域の究極の形が実現すると、「ディストピア」となってしまうのではないかというものです。
後者の議論をリードする人物の一人が、「第2象限」の雄とも言える「Niantic(ナイアンティック)」の設立者であるジョン・ハンケ氏です。同社は『Ingress(イングレス)』や『ポケモンGO』などの世界的な大ヒットにより、位置情報ゲームを定着させた立役者でもあります。
ジョン・ハンケ氏は、2021年8月に次のようなメッセージを公式サイトに掲載しました。
彼の真意のすべてを読み取れているかはわかりませんが、メッセージを読む限り、彼自身はメタバースという言葉そのものが「ディストピアへの警鐘」として生まれたと捉えているようです。そして「テクノロジーは物理的な世界を豊かなするために進化すべきだ」と述べています。
マトリックスのような世界は、果たして実現するでしょうか? そうした世界が到来するには、2つの大きなハードルがあると思っています。
1つは、脳直結型のデバイスといった人の知覚をコントロールする技術を進化させなければ実現は難しいということ。いわゆる「ブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)」のようなものです。
もう1つは、翻訳機能の進化が待たれるということです。究極のメタバースが成立するなら、私たちの世界に存在する物理的な距離は意味をなさなくなります。そのとき、いくら空間を縦横無尽に行き来できるからといって、他の言語を話す人とシームレスにコミュニケーションできなければ難儀に感じてしまうでしょう。アバターを通じたボディランゲージには、おそらく限界があります。
そして、それは意味がわかるというレベルではなく、ある言語で書かれた「泣ける小説」を他の国の言葉に訳しても泣けるというくらいに、文化的背景を含めて伝え合えるレベルにまで高める必要があります。翻訳エンジンが未成熟なうちは、『マトリックス』の世界が来ることはないでしょう。
メタバースで満たされる欲求は「逆マズロー」型
では、そもそも広義の意味のメタバース空間(4象限のすべて)は、なぜ、こうまでも人々を惹きつけるのでしょうか。それは先ほどのジョン・ハンケ氏の警鐘からも読み解くことができます。
ここでは上記で言及されているSF映画「レディ・プレイヤー1」を詳細に分析するつもりはありませんが、上記に書かれている要素こそがゲームの楽しさであり、これまで人々を魅了してきた点ではないでしょうか。
現実世界では、私たち人間は、集団生活をしながら、働いて、お金を稼いで、衣食住を充足させながら生きていかなければなりません。それは尊い営みである一方で、その過程では「人間関係の軋轢」や「貧富の差」といった問題が日々発生しているのも事実です。
しかし、一旦、ゲームの世界に没入したなら、現実世界で生きていくための苦労や悩みというのを短時間ではあっても忘れることができます。これはゲームにかかわらず、小説、映画にも共通する効用ではないでしょうか。ゆえに、エンターテインメントというのは多くの場合「ユートピア」でもあるのです。
私自身、これまでさまざまなゲームをプレイするなかで、現実世界では絶対に達成できないような大きな偉業(空を飛んだり、宇宙に行ったり、世界の危機を救ったり、サッカーで強豪チームに勝ったり……)の数々を成し遂げてきました。
このことは、あの有名な「マズローの欲求5段階説」を逆さまにしてみると、理解しやすいかもしれません。
もともとのマズローの考えでは、「生理的欲求」→「安全欲求」→「社会的欲求」→「承認欲求」→「自己実現欲求」の順番に満たしていくとされていました。
しかし、ゲームのようなメタバース空間での順番は違います。そもそもプレイしている状況では、現実世界で厳しい状況にあるか否かは別として、「生理的欲求」「安全欲求」は議論の対象になりません。ゲームのようなメタバース空間における欲求の最たるものは、1番上位の「自己実現欲求」です。先述したように、空も飛べれば、超人的な力を手に入れて悪者をやっつけることだってできます。
さらに、インターネットが普及したことで全世界のユーザーとつながり、「技術の優れた人」「すばらしいセンスを持った人」というような名声を得ることすら可能になり、上から2番目の「承認欲求」が満たされるようになりました。さらにはプレイヤー同士でチャットをしたり、アイテムを交換するなど、上から3番目の「社会的欲求」すら充足できるようになったのです。
こうやって考えると、メタバース空間に時間を費やしすぎることで現実が疎かになったり、寝不足になって健康を害さない限りは、現実世界とは違った楽しさを味わうことのできるエンターテインメントであることは間違いなさそうです。
では、ジョン・ハンケ氏の懸念は杞憂であり、メタバースがどんどん進行することがすべての人に幸せをもたらすのでしょうか? 実は、ことはそう簡単ではなさそうです。
二極化する世界──失われるアッパーミドル層
コロナ禍の影響で、在宅ワーク、巣篭もり需要が急増したことで、人類はこれまで以上に、リアルな世界に直接アクセスするのではなく、インターネットを介してリアルな世界にアクセスしたり、バーチャル空間に滞留するようになりました。
その結果、いくつもの事実が露呈することになりました。その1つが、「仕事は会社に行かなくてもできることがわかってしまった」ことではないでしょうか。その問題は、以前もnoteで取り上げたことがあります。
つまり、会社に物理的な出社をしなくても、デスクワーク中心の業務に携わる人であればZoomを使って打ち合わせをするなどリモートで対応することで、問題なく業務が進むことがわかってしまったのです。
なんとかなってしまっただけでなく、事務的な仕事の生産性は劇的に上がることになりました。これまで残業してやっていたことが、残業するまでもなく終わってしまうので、残業代が減ってしまったという声を聞くことがあるのはそのためでしょう(個人にとっては残業代が減るというデメリットが生じ、生産性が上がったことにより、企業が人員削減に舵を切り始めています)。
一方で、経営者を悩ませているのは、新しいものを生み出す場が消失してしまったことです。テレビ会議システムを利用して打ち合わせはできるのですが、日々の雑談から生まれるアイデアであったり、一つの空間を共有するなかで発生するひらめきのようなものは、以前よりも減少したように思います。
上記の変化は消費の現場にどのような影響を及ぼすでしょうか?
「リベンジ消費」という言葉も生まれましたが、外出する機会が減少することで、逆に外を出歩くことの希少性が上がりました。「せっかく外食するなら、いつもよりいいものを食べよう」「久しぶりの会食だから、これまでよりオシャレして行こう」と考える人が増えたのではないかと私は考えています。
その結果、高級品が売れる一方、そこそこの価格帯のもの、アッパーミドルをターゲットにしたものの需要が減っていく。そして、「特別なときでない限りは、そこまでお金をかけないでもいいよね」ということで、普段着や普段の食事は低価格のものを選択するケースが増える。
つまり、ミドルクラスの商品やサービスの需要が減り「高級品 or 安いもの」という二極化が著しい世界になってしまうのではないでしょうか。
また、消費者の外出する頻度が減り、閉じたデジタル空間で動画やゲームを見る時間が増えれば、インターネットを介したサービスを提供する企業の売上が上昇します。その一方で、人々が外出することで需要が生まれるようなサービス、商品を扱う業種の売上は下がってしまうことでしょう。
これらはあくまで仮説です。メタバースをはじめとするテクノロジーの発達が直接の原因ではないにしても、事実、デジタル空間を利用する人の数、および費やす時間が増えることで、リアルの世界に何かしらの影響を及ぼしていくのは間違いないでしょう。
以上は、私たち個人レベルのミクロな話ですが、世界の富というマクロな視点でも、富の一極集中(二極化)が加速しているという報道もあります。
日本の天気でいえば、四季がなくなり、雨季と乾季だけになってしまったような状況、あるいは、曇りのち晴れみたいな天気がなくなり、晴れなら晴れ、雨なら雨というように、二極化する方向に進んでいるように思えてなりません。
そして、こうした現状は、ジョン・ハンケ氏が提唱する「現実世界のメタバース」とは、やや異なる世界観であることは間違いなさそうです。
「メタバース普及」の目安は12億人のサービス
少し話が飛躍してしまったかもしれませんが、次に「今後のメタバース普及の可能性」を考えてみたいと思います。
そもそも、私たちが平等に与えられた24時間という時間のうち、どのくらいの時間をメタバース空間で費やすかが最初のポイントになります。そして、次のポイントは、どのくらいの数の人が使うかです。マーケティング的に考えるなら、キャズムを超えるのに必要な16%くらいのシェアを占められるかどうかです。
具体的に言えば、メタバース分野でも全世界78億人のうち、少なくとも12億人くらいが使うサービスが出てくると潮目が大きく変わるのではないでしょうか。実際、Facebookのユーザーは全世界で30億人弱、YouTubeは20億人、Wechatは12億人程度、スマートフォンに至っては世界普及率が50%と言われています。
そして、先ほど、ビジネスの話をしたように、「会社」という空間に物理的に出社する必要がなくなったという意味で、私たちは「空間」を超えられるようになったともいえます。その意味で、Facebookがワークスペースに力を入れているのは理にかなった戦略かもしれません。
メタバースの世界は3つに分かれる
では、「時間」は超えられるでしょうか?
これはタイムマシーンのような突飛なことではなく、朝起きて、夜は眠るというような時間の流れのことです。いくらデジタルの中で、24時間ずっと昼の設定にしたところで、人間は夜になったら眠くなってしまいます。
『ポケモンGO』でも夜は暗くなりますし、世界中の人とプレイするゲームでは、時差の関係で相手が眠っていれば、一緒に遊ぶことは難しい。つまり、現状のメタバースでは、「空間」は超えられても、「時間」は超えられないのです。
そうすると、これからしばらくの間、メタバースの世界では、人が一番多い時間帯が一番価値のある時間となる可能性が高いのではないでしょうか。リアルの世界でも人口が多いこと、もっといえば人口ボーナス期にある地域が成長しやすいように、メタバースでもそれは同じはずです。
これは直感ですが、メタバース空間は大きく3つくらいのタイムゾーンに分かれるのではないでしょうか。三国志でも3つの国に分かれて戦いましたし、三種の神器という言葉もあるくらいで、何事も3つはバランスがいいと思います。
その直感に従って、地球儀の世界地図を眺めると、①ヨーロッパからアフリカ大陸の縦のライン、②ニューヨークから南米大陸の縦のライン、③人口14億人を抱える中国を中心としたアジアの縦のライン、3つのタイムゾーンに分かれるでしょうか。
そして、実はタイムゾーンによって世界が分かれるということは、ある意味で、これまで国よって分断されていたものが、別の軸で再統合されることでもあり、これまでの中央集権的な統治形態ではない「何か」が必要になります。
その点、相性がよいのが「Web3」の仕組みです。もともと「Web3」は「Web2」のアンチテーゼとして生まれてきたため、メタバースのために存在しているわけではありませんが、Web3とメタバースが同時期に登場したことに因縁を感じざるを得ません。
今回は「Web3」に深入りしませんが、やがてメタバースは「Web3」と共に成長していく可能性が出てきた、と私は考えています。
「メタバースの4象限」すべてに必要な地図の技術
最後に、私が代表を務めるマップボックス・ジャパンがメタバースに貢献できる領域を考えてみたいと思います。先ほどの図を再掲します。現時点では、メタバースの4象限すべてに関われる可能性を感じています。
地図といちばん相性のよいフィールドは、リアル(写像)空間である左側の第2象限と第3象限です。現実世界をバーチャル空間に再現するわけですから、地図技術が不可欠です。
では、右側はどうかといえば、現実に存在しない世界を創造する際もまた、完全に現実と接点のないものは創造しにくいため、現実世界の写像をある程度、バーチャル空間に移設することになります。
たとえば、KDDIや東急が中心となり、実在する都市をバーチャル空間上に再現する「都市連動型メタバース(バーチャル空間)」が提唱されています。
また、インドアサイクリングのアプリとして有名な「Zwift」(ズイフト)は、架空のコースを走るだけでなく、ロンドンやニュヨークといった都市を再現したコースを楽しめることができます。
ゲームや映画でも、「古代文明」となれば、「エジプト」のような世界が描かれ、「アジア」っぽい地域が描かれるときは、日本や中国、東南アジアの文化がミックスされたような町になっていたりします。アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』の舞台が「第三新東京」だったのも、視聴者がイメージしやすいという理由もあったのではないでしょうか。
つまり、メタバースがどんな進化を遂げようとも、4象限全部の地図づくりを担うつもりで今年もマップボックス・ジャパンはがんばってまいります。本年もどうぞよろしくお願いします!