親友との関係から考える「人の魅力」
親友がいる。
高校時代から15年来の付き合い。
ただここ数年、物事の考え方やお互いの価値観のズレのようなものを感じることが増えた。相手の考えにいらだって、議論が激化してしまうこともあった。
そんな中で、小さな、でも無視できない疑問が頭に浮かぶようになった。
なぜ自分はこの男と親友でいるんだろう?
どこに魅力を感じているんだろう?
即答できなかった。
15年以上一緒に歩んできた親友のいいところをはっきり言えない自分にがっかりした。
しかし、同時に疑問にも思った。自分は確実に彼に友人として魅力を感じているのに、それをなぜ言語化できないのだろう?
自分が言語化できない彼の魅力はいったい何なんだろう?
そんな疑問を持っている中、たまたま読んだ井上大輔さんの「マーケターのように生きる」に面白い考え方が提示されていた。
マーケターが価値を定義する際、4つの価値がある。機能的か情緒的か、顕在的か潜在的かの2軸で価値を四象限に分ける考え方だ。
役に立つ価値が明らかな「実利価値」。
潜在的な機能が保証されている「保証価値」。
ブランドなど目に見えない価値がある「評判価値」。
お守りのような本人にしか分からないけど確実にある「共感価値」。
これら4つの価値はマーケティングの考え方ではあるけど、人の価値にも当てはめることができるという。
たとえば物怖じしないゴリ押し営業マンは会社にとっての「実利価値」があるし、全然働いてないように見えて人脈から仕事を引っ張ってこれる人は「実利価値」は見えにくいけど客先にとっては「共感価値」があるなど。
これを読んだとき、件の友人の持っている「価値」とはなんだろうと思い至った。
僕たちはともすると人の評価を実利価値でしがちだ。「顔がいい」「頭がいい」「背が高い」「仕事が〇〇」「趣味は〇〇」etc...。
ただ、思い返してみると友人は多くの人に愛される男だった。
彼の性格ははっきり言って面倒くさい。天の邪鬼なところがあって、人の意見をあまり聞き入れない。
以前に話した内容はほとんど覚えていないし、昔でかけた場所も忘れがちだ。
他人が言われたくないことをズバッと言ってしまうところがある。
それでも、多くの人に慕われ、親しくなっていた。
意外な人と旅行に行っていたり、女性の紹介を受けたり。別の人と話していて彼の話題で盛り上がったり。
多くの人に慕われていた。そこには間違いなく、みんなが感じる彼の価値がある。
友人として、彼の実利価値は高くないように思う。こちらを楽しませてくれるサービス精神にあふれるタイプではないし、むしろ色々こっちがやってあげる必要がある方だ。
でも多くの人が彼を慕い、彼の名を口にする。そこには間違いなく表面的には分からない潜在的な価値、付き合ってみると分かる「保証価値」や付き合った当人だけが感じる「共感価値」がある。
ひとつ彼と関わった皆が口にするのは「不器用」というフレーズだ。
「彼は人付き合いが不器用だから、誰かとトラブルになってないか心配だ」
「生き方が不器用だから、余計な苦労をしてそうだ」
というようなことをよく聞くし、自分もそう思っている。
まさにそれが皆に心配され愛されるポイントになっている。
友人として付き合ってみると、彼の不器用さ、不安定さが伝わってくる。だからなんだか心配になってしまって、世話を焼きたくなる。
他人の不器用さなんて、なんの役にも立たない。まさに情緒的だ。浅く関わってもデメリットしか感じられない。深く関わった人にしかその価値が分からない。これこそが彼の「共感価値」なのだろう。
こう考えてみると、自分がズレを感じていた部分も、こうした不器用さの悪い一面であったことが理解できる。
自分は彼に、自分の考えに共感してほしい、長い付き合いなんだからわかってほしいという「実利価値」を要求していた。
相手に変わることを要求していた。とても傲慢な考えでもって彼を判断し、勝手に怒りを感じていた。落胆していた。
なんてこった。友人の魅力を突き詰めたら、自分の悪いところが明らかになってしまった。
課題の分離ができていない。
相手を変えることはできない。
自分のものにできたと思っていた考えが、まったくできていなかった。
自分のことはともかく、彼の魅力については思い至ることができた。
不器用で、面倒で、素直じゃない。やっかいなやつ。
彼はそんな男だ。そしてそれこそが彼の魅力なのだ。
彼は独身だ。自分はもう結婚できない、などと言っている。(その発言が自分にとってのイライラポイントではあるのだが)
彼が結婚するとしたら、めんどくさくてやっかいな彼の性分そのものを愛し、受け止めてくれる人だろう。
そのためには彼と長く深く関わる必要がある。浅い仕事上の関係や合コンなんかの短い時間では、彼の本当の魅力は伝わらない。ましくは悪い形で受け取られてしまう。
どうか願わくば、彼の不器用さを愛してくれる人が出てくることを祈る。