霞ヶ関クラウドと自治体クラウド (2009年6月)ネット時評
クラウドの定義
クラウド・コンピューティングが一種のブームになっている。最近は、短縮して「クラウド」ともよばれる。この業界ではよくあることだが、クラウド・コンピューティングについて、コンセンサスのとれた定義はない。
しかしそれでは議論が進まないので、まずは、McKinseyの”Clearing the air on cloud computing”という資料における定義から始めよう。
McKinseyによれば、クラウドは、以下の条件を満たす情報処理、ネットワーク、ストレージを提供するハードウェアベースのサービスである。
1. 利用者にとって、ハードウェアの取り扱い(管理)が、高度に抽象化されている
2. 利用者は、クラウドのインフラコストを経費として支払う
3. クラウドのインフラは、非常に柔軟性がある(上にも下にもスケーラビリティがある)
クラウドと聞いて誰もが思い浮かべるAmazon.comのEC2やS3、あるいはGoogle App Engineはこの定義を満たしている。ユーザーは簡単に仮想サーバーや仮想ストレージをインターネット上に持つことが、そのコストは使用量に応じて課金されるのが普通で、企業会計の中では経費として処理される。また、必要に応じてリソースを増やすことも減らすことも簡単かつスピーディにできる。
クラウドの効用
クラウドがこれだけ話題になるのは、クラウドに多様な効用があるからである。
まず、使いたい時にすぐに利用できる。ハードウェアやソフトウェアの調達は必要ない。ネットワークへの接続や各種環境設定などの作業も不要である。プロトタイピングが容易で、使えないと分かればすぐに止めることも可能である。費用は、クラウドのリソースを使った量に応じて課金され、会計上は経費として処理でき、バランスシート上の資産が増えることがない。スケーラビリティが高く、必要に応じてリソースを増強することも縮小することも簡単にできる。そもそもインターネットのあちら側にあるため、関係者でデータなどを共有することも容易である。
さらに、運用業務から開放される。内部統制やコンプライアンス強化の流れを考えると、利用するサービスが十分信頼できるものであれば、これはメリットが大きい。
また、特に中小、中堅企業からみれば、クラウドの持つ機能や信頼性、情報セキュリティレベルは自社システムより優れていることが多い。信頼性や情報セキュリティに対するユーザーの懸念は、クラウド普及の障害になると考える人が多いようだが、実際には追い風になるだろう。
こうしてクラウドの効用を並べてみると、企業規模が小さい企業ほどメリットが大きいことがわかる。そこで登場するのが、「プライベート・クラウド」である。
プライベート・クラウド
プライベート・クラウドは、EC2やGoogle App Engineのような「パブリック・クラウド」とは異なり、一つの企業や組織の中に閉じたクラウドである。従って、そのコストはすべてその企業や組織が支払うことになる。
たとえば、米国防総省の国防情報システム局(DISA)が保有する「RACE (Rapid Access Computing Environment)」は、DOD内部向けのクラウドであり、関係者以外は利用できない。実際に構築したのはHPであるが、その構築費用はDODが負担している。
したがって、プライベート・クラウドは、最初に挙げたクラウドの定義のすべてを満たさない。つまり、条件の1と3の条件(バーチャルなサーバーを簡単に構築でき、その規模を自由に変更できること)は満たすのだが、2の条件(コストを経費として支払うこと)を満たさない。
最初に挙げたクラウドの定義を正しいとするならば、プライベート・クラウドはクラウドではないことになる。
当然、クラウドのメリットであるはずの、「使えないと分かればすぐに止めることも可能」、「費用は、クラウドのリソースを使った量に応じて課金」、「会計上は経費として処理でき、バランスシート上の資産が増えることがない」、「スケーラビリティが高く、必要に応じてリソースを増強することも縮小することも簡単にできる」というわけにはいかない。
もちろん、その組織内の個人や一部局は、クラウドのもついくつかのメリットは享受できる。使いたいときにすぐに使うことができるだろうし、スケーラビリティも高い。しかし、組織全体で見た場合にはクラウドのメリットの多くの部分は消滅する。
プライベート・クラウドは、仮想化技術を利用したサーバー統合だと考えた方がよいのではないだろうか。
霞ヶ関クラウドと自治体クラウド
さて、2009年度の補正予算には、電子行政クラウドの推進という項目がある。この中に、霞ヶ関クラウドと自治体クラウドの構築が含まれている。これは、政府のプライベート・クラウドであり、地方自治体のプライベート・クラウドである。
当然のことながら、パブリック・クラウドのように「使えないと分かればすぐ止めること」はできないし、「費用は使った分だけ支払う」わけにもいかない。(自治体クラウドについては、各自治体に利用量に応じて課金する方法も考えられるが、利用率が低い場合には、徴収できる利用料が運用コストを下回ることになってしまう)
ただ電子行政クラウドにもメリットがないわけではない。分散されたサーバーを統合すれば、コンピューターリソースの利用効率を高めることが可能になるし、運用コストを削減できるだろう。また、自治体クラウドを利用して市町村や都道府県の業務システムをSaaS化できれば、大幅なコスト削減も可能になる。
「うちの自治体は隣の自治体と業務のやり方が違うので同じシステムでは処理できない」という話を地方自治体の関係者から聞くことが多いが、優れたSaaSはそれぞれの組織や業務プロセスに合わせてデータの構成はもちろん、ワークフロー、業務プロセスをカスタマイズできる。そうした仕組みを取り入れた自治体向けSaaSを開発すれば、間違いなく自治体の情報処理コストは大幅に削減できる。
問題は、それを実現できるかにある。中央官庁のサーバー統合にしても、自治体向けSaaSにしても、机上の計算では、投資に見合う十分なコスト削減効果をはじき出すことはできるだろう。しかし、一歩誤れば稼働率が上がらず、税金の無駄遣いだと避難されることにもなりかねない。
民間による電子行政クラウド構築
そこで提案なのだが、電子行政クラウド構築のリスクを民間企業に委ねてはどうだろう。政府が構築するのではなく、民間企業が霞ヶ関クラウドや自治体クラウドを構築し、各府省、自治体にサービスを提供する。もちろん、利用者である各府省や自治体からは利用量に応じた料金を徴収する。当初の構築費用については補正予算を使ってもよいが、数年間で国庫に返納してもらう仕組みにする。
利用料金は、ある一定の利用率で採算が取れるように設定する。つまり、利用率が予定以上になればその民間企業は大きな利益を得ることになるが、そうでないと損失を被ってしまう。
つまり、政府や自治体のプライベート・クラウドにするのではなく、政府や自治体をユーザーとするパブリック・クラウドにするという発想である。こういう仕組みにすれば、構築を担当する企業は知恵を絞り、多くのユーザーを獲得しようと使い勝手のよい電子行政クラウドを構築するのではないだろうか。