溜池随想録 #1 「ソフトウェアのコモディティ化」 (2009年6月)
IT Doesn’t Matter
もう6年前になるのに、今読んでも”IT Doesn’t Matter”に古さは感じられない。この論文は、ハーバード・ビジネス・レビュー2003年5月号に掲載されたもので、著者はニコラス・G・カーである。
当時、この論文の結論を「IT投資はお金の無駄遣いである」だと誤解した人が少なくなかったが、カーの主張は「ITは、もはや企業にとって持続的な競争優位の源泉ではなくなっている」という点にある。つまりITによってライバル企業と差をつけることは困難になっているというのがカーの主張である。
カーは、「ITが電話や電力、鉄道などの基盤的技術と同じように技術的な成熟にあわせてコモディティ(日用品のように誰でも容易に入手できるもの)になりつつある」と考えている。では、ITの一要素であるソフトウェアも本当にコモディティ化しているのだろうか。
ハードウェアのコモディティ化
ITの中でハードウェアは、すでにコモディティ化し、低価格化している。これについは、誰にも異論はないだろう。カーは論文の中で、マイクロプロセッサの処理能力あたりのコストを例としてあげている。1978年に1MIPSあたりのコストは480ドルであったが、85年には50ドルに、95年には4ドルまで低下している。ストレージも同様に価格低下が進んでいる。1956年に1MBのストレージは1万ドルであったが、現在、1万ドルもあれば、1TBの外付けハードディスク装置を100台以上買うことができる。
マイクロプロセッサやストレージだけでなく、メモリーや液晶ディスプレイなどPCの構成部品の価格は劇的に下がっている。
こうした構成部品の価格低下に加えて、IBM互換のPCは、そのアーキテクチャがオープン・モジュールであったため、PCは完全にコモディティ化してしまった。そしてさらに、Windows NT系のOS(Windows 2000, Windows XP)やLinux, FreeBSD/NetBSDなどのUnix系のOSなど、IAサーバー用OSの登場によって、サーバーも急速にコモディティ化が進んでいる。ここでは詳述しないが、ハイエンドのルーターを除くネットワーク機器もコモディティ化が進んでいるとカーは指摘している。
ソフトウェアのコモディティ化
さて、問題は、ソフトウェアがコモディティ化しているかどうかである。もちろん、カーはソフトウェアもコモディティ化していると主張している。しかし、カーの論文に異議を唱える専門家は少なくない。彼らは、ソフトウェアは人類の知性を具象化したものであり、コモディティ化することはないと考えているからである。これに対してカーはその著作の中で、ソフトウェアは、ハードウェアとは異なり無限の可能性を持っているが、それは抽象的なレベルの話であり、現実にはソフトウェアはパッケージ・ソフトウェアとして販売されていると反論している。
つまりビジネスの世界では、ソフトウェアは金銭で購入できる商品の一つにすぎない。さらにソフトウェアは開発には膨大なコストが必要なことが多いが、再生産はきわめて安価である。ソフトウェアは一度開発してしまえば、その再生産と流通に要するコストはほとんどゼロに近い。つまり、ソフトウェアの方がより共有することによるメリットが大きいことが分かる。これは、ソフトウェアがハードウェアより日用品化しやすいという性質を持っていることを意味している。
企業には、ライバル企業との差別化のために巨額の費用をかけて独自のソフトウェアを開発するという選択肢も残されているが、ソフトウェアを共有することによってコストを節約した方が、ソフトウェアの独自性を維持するよりもメリットは大きい。実際にERPやSCMなどのパッケージ・ソフトウェアの利用が増えているのが、ソフトウェアがコモディティ化しているなによりの証明であるとカーは主張している。
問題は、ソフトウェアのコモディティ化がどこまで進展し、ソフトウェアのビジネスにどのような影響を与えるかにある。この問題は後日取り上げることにして、次回はコモディティ化より深刻なソフトウェアの「オーバーシューティング」問題を考えてみたい。