ITと企業戦略の関係を考える 第2回 「ITはコモディティ化しているのか?」 ソフトバンク ビジネス+IT (2006年3月)
第1回では、ニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)が”IT Doesn’t Matter”( ハーバード・ビジネス・レビュー2003年5月号に掲載)で伝えたかったことは、「ITは、もはや企業にとって持続的な競争優位の源泉ではなくなっている」ということであり、それは「ITが電話や電力、鉄道などの基盤的技術と同じように技術的な成熟にあわせてコモディティ(日用品のように誰でも容易に入手できるもの)になりつつあるから」と考えていることをお伝えした。では、本当にITはコモディティ化しているのだろうか。
プロプライエトリな技術と基盤的技術
”IT Doesn’t Matter”の著者であるニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)は、技術を「プロプライエトリな技術」と「基盤的技術」に区分している。プロプライエトリ(proprietary)とは「私有財産として所有される」という意味であり、プロプライエトリな技術とは、ある企業によって占有される独自の技術のことである。一方、基盤的技術とは、広く社会で共有される技術である。たとえば、かつての大型汎用機(メインフレーム)やMacintoshを構成している要素の多くはプロプライエトリな技術でできており、鉄道や電力は基盤的技術で構築されている。仮にある企業が鉄道を建設し運営する中核的な技術を独占的に保有していたとすれば、鉄道が生み出す便益は、現実に存在しているオープンな鉄道網から得られる便益よりはるかに小さいものとなっていただろう。電力や電話も鉄道と同じように、その技術が広く共有された方が社会的な価値は大きくなる。
基盤的技術は、その技術的な特徴と経済的な特性から広く共有されるものとなる。もちろん、基盤的技術であっても、その黎明期には特定の企業によって保有される技術で成り立っている。しかし、鉄道や電力の歴史をみれば分かるように、その技術の利用が広まるにつれ、共通化が進み、プロプライエトリな技術は姿を消すことになる。
標準化とプロプライエトリな技術
プロプライエトリな技術とは、標準化された技術だと考えてよいかもしれない。ただし、この場合、標準化された技術とは、公的な規格となった技術ではなく、技術の仕様、特にインタフェース情報が公開され、業界内で広く利用されるようになったデファクト・スタンダード(事実上の標準)も含むと考える必要があるだろう。
つまり、プロプライエトリな技術と基盤的技術の違いは、その技術の所有にあるのではなく、その業界内で広く利用されているかどうかにあると考えた方が分かりやすいし、カーの論理展開の中では正しいように思われる。
こうした標準化は技術そのものだけではなく、その技術の利用方法にまで広がっていくと、カーは指摘している。その事例としてカーは、電力利用の事例を挙げている。電力の利用が始まったばかりの頃は建物ができた後で電気配線を行いコンセントを取り付けていたが、やがて新しい工場が建設される時には、あらかじめ電気配線と数多くのコンセントを設置するようになっていった。これはベスト・プラクティスが広く理解され、模倣されるようになり、技術の利用方法が一種の標準となった事例である。
ITは基盤的技術なのか
カーは、ITも基盤的技術であると主張している。しかし、ITを鉄道や電力と同じように考えてもよいのだろうか。ITは、鉄道や電力と比べてはるかに複雑で発展性も高い。この点は、ジョン・シーリー・ブラウンやジョン・ヘーゲル 3世などの専門家も指摘している。
鉄道や電力の分野でも技術進歩がまったく止まってしまったわけではないが、その技術が世に生まれた頃から比べれば、ほとんど止まっているに等しい。しかしIT分野においては、現在も技術革新が続いている。その進歩が続く限りITは誰もが共通的に使う技術ではない。常に、先進的なITを利用するイノベーターが存在する。これはITが基盤的でないということを意味しているのではないだろうか。
しかし、カーは、ITが鉄道や電力などの基盤的技術より複雑で発展性が高いことを認めつつも、以下の3つの理由を挙げて、基盤的技術であると主張する。
まず第1に、鉄道が人や物を運び、電力網が電気を送るのと同じように、ITはデジタル化された情報を運ぶ。言い換えれば、ITも鉄道や電力のようにネットワーク化されるものである。ネットワーク化されるものに関する技術は、必然的に相互接続性と相互操作性を高めながら発展していくことになる。具体的に言えば、コンピュータは単独で利用される時代からLANに接続される時代を経て、現在は地球を包み込むインターネットに接続して利用する時代になっている。ネットワーク化の進展は技術の標準化をもたらす。最近は機能の均一化という現象まで引き起こしている。
第2に、ITはきわめて模倣が容易である。特にITの機能の多様性を実現しているソフトウェアはデジタル化されたデータであり、ほとんど費用をかけずに際限なく完全なコピーをつくることが可能である。ワープロや表計算のソフトウェアを独自開発する企業がないのと同じように、SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)やCRM(カスタマー・リレーション・マネジメント)の機能を備えたアプリケーションも安価に入手できるようになっている。仮に新しい機能を備えた革新的なソフトウェアが開発されても、その機能あるいはソフトウェアは短時間でコピーされる運命にある。
第3に、ITの利用方法も標準化されつつある。ビジネス活動で利用されるソフトウェアが独自開発のものから汎用品に置き換わることは、企業のビジネスの仕組みやプロセスまでもが均一化することを意味する。なぜなら、汎用的なアプリケーション・ソフトウェアを購入するということは、汎用的なプロセスを購入することでもあるからである。
カーは、ITがこれからも進歩、発展することを否定しているわけではない。しかし、ビジネスにおけるその利用の現状を見れば、すでにITは広く社会で共有される技術になっているとカーは主張しているのである。
ハードウェアのコモディティ化
ITの中でハードウェアは、すでにコモディティ化し、低価格化していることについては、誰にも異論はないだろう。カーは論文の中で、マイクロプロセッサの処理能力あたりのコストを例としてあげている。1978年に1MIPSあたりのコストは480ドルであったが、85年には50ドルに、95年には4ドルまで低下している。ストレージも同様に価格低下が進んでいる。1956年に1MBのストレージは1万ドルであったが、現在、1万ドルもあれば、40GBのハードディスク装置を搭載したPCを20台以上買うことができる。
マイクロプロセッサやストレージだけでなく、メモリーや液晶ディスプレイなどPC(パーソナル・コンピュータ)の構成部品の価格は劇的に下がっている。
こうした構成部品の価格低下に加えて、IBM互換のPCは、そのアーキテクチャがオープン・モジュールであったため、PCは完全にコモディティ化してしまった。そしてさらに、Windows NT系のOS(Windows 2000, Windows XP)やLinux, FreeBSD/NetBSDなどのUnix系のOSなどIAサーバー用OSの登場によって、サーバーも急速にコモディティ化している。ここでは詳述しないが、同様にストレージも、ハイエンドのルーターを除くネットワーク機器もコモディティ化が進んでいるとカーは指摘している。
ソフトウェアのコモディティ化
問題は、ソフトウェアがコモディティ化しているかどうかである。もちろん、カーはソフトウェアもコモディティ化していると主張しているのだが、カーの論文に異議を唱える専門家は少なくない。彼らは、ソフトウェアは人類の知性を具象化したものであり、コモディティ化することはないと考えているからである。これに対してカーはその著書の中で、確かにソフトウェアはハードウェアとは異なり無限の可能性を持っているが、それは抽象的なレベルの話であり、現実にはソフトウェアはパッケージ・ソフトウェアとして販売されていると反論している。
つまりビジネスの世界では、ソフトウェアは金銭で購入できる商品の一つにすぎない。さらにソフトウェアは開発には膨大なコストが必要なことがあるが、再生産はきわめて容易である。ソフトウェアは一度開発してしまえば、その再生産と流通に要するコストはほとんどゼロである。つまり、ソフトウェアの方がより共有することによるメリットが大きいことが分かる。これはソフトウェアはハードウェアより日用品化しやすいという性質を持っていることを意味している。
企業には、巨額の費用をかけて独自のソフトウェアを開発するという選択肢も残されているが、ソフトウェアを共有することによってコストを節約した方が、ソフトウェアの独自性を維持するよりもメリットは大きい。実際にERPやSCMなどのパッケージ・ソフトウェアの利用が増えているのが、ソフトウェアがコモディティ化しているなによりの証明であるとカーは主張している。
ITがコモディティ化しているというカーの説をご理解いただけただろうか。さて、次回はコモディティ化より深刻な「オーバーシューティング」という問題を取り上げよう。