「ITと企業経営」シリーズ 第5回 IT does’t matterの衝撃 (2011年2月) 生産性新聞
ハーバード・ビジネス・レビューの2003年5月号にニコラス・G・カーの”IT Doesn’t Matter”という論文が掲載された。米国だけでなく世界中で大論争を巻き起こした論文である。言うまでもなく、”IT Doesn’t Matter”のITとは情報技術のことであり、この論文のタイトルはITとitを引っ掛けた洒落になっている。直訳すれば「ITは重要ではない」とか「ITなんかどうでもいい」であろう。ただし、論文の中ではカーは「ITは重要でない」とは一言も言っていない。
カーの論文の最も重要な部分を大胆に要約すれば、「ITは、電話や電力、鉄道などの基盤的技術と同じように技術的な成熟にあわせてコモディティ(日用品のように誰でも容易に入手できるもの)になりつつあり、もはや企業にとって持続的な競争優位の源泉ではなくなっている」というものである。つまり、情報技術は(電話や電力と同じように)ビジネスには不可欠であるが、企業戦略や事業戦略から見れば重要ではなくなっていると主張しているのである。この論文の日本語訳を掲載したダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビューは、タイトルを「もはやITに戦略的価値はない」と意訳しているが、このタイトルの方が内容を適切に表現している。
このカーの主張は、この連載の第2回で紹介した戦略情報システムを否定するものである。ただ、カーはアメリカン航空のセイバーなどの実績まで否定しているわけではない。カーはこうした事実を認めつつも、最新の情報技術を用いて競争優位を勝ち取っても、それを維持できる時間はどんどん短くなっており、その情報投資に見合うものではなくなっていると主張する。つまり、斬新なシステムを構築して他社との差別化を図っても、その投資に見合う効果は得られなくなっていると言うのである。理由は、技術のコピーサイクルが短くなっており、ITがコモディティ化していることにある。
ITの中でハードウェアがコモディティ化していることについては、異論はないだろう。問題は、ソフトウェアがコモディティ化しているかどうかである。カーの論文に異議を唱える専門家は、ソフトウェアは人類の知性を具象化したもので、コモディティ化することはないと主張する。これに対してカーは、確かにソフトウェアはハードウェアとは異なり無限の可能性を持っているが、それは抽象的なレベルの話で、現実にはソフトウェアはパッケージソフトとして販売されている。つまりソフトウェアは金銭で購入できる商品の一つにすぎない。したがって、巨額の費用をかけて独自のソフトウェアを開発するより、ソフトウェアを共有することによってコストを節約した方が、ソフトウェアの独自性を維持するよりもメリットは大きい。実際にERPやSCMなどのパッケージソフトの利用が増えているのが、ソフトウェアがコモディティ化しているなによりの証明であるとカーは主張している。
さて、本当にITに戦略的価値はないのだろうか。コモディティ化より深刻な「オーバーシューティング」という問題を含め、次回にもう一度考えてみよう。