ITと企業戦略の関係を考える 第5回 「ITケイパビリティの重要性」 ソフトバンク ビジネス+IT (2006年6月)
過去4回にわたり、「ITは基盤技術でありコモディティ化が進んでいるので、もはや持続的な競争優位の源泉にはらならない」というニコラス・カーの主張を吟味してきた。この最終回ではITを企業戦略に活かすために必要な要素を考えてみたい。
ITに戦略的価値はまったくないのか
ITそのものが競争優位の源泉にはなり得ないからと言って、直ちにITには競争戦略上の価値がないと結論することはできない。ITは、競争戦略を実行に移す際に必要な道具の一つだからである。
カーに対する反論の中にも、ITの価値は利用方法によって異なってくることを指摘するものがある。たとえば、ジョン・シーリー・ブラウンとジョン・ヘーゲル 3世は、ITをテコとして新しいビジネス手法を生み出そうと徹底的に考える企業経営者が少ないから、ITがコモディティとしてみなされるようになったのだと主張し、「差別化は、ITそのものにあるのではなく、それによって可能となる新しいビジネス手法にある。とはいえ、ITなくしてそれは不可能なのである」と述べている。
しかし、カーは論文の中で、ITシステムと密接に関係したプロセスは、ITがコモディティ化し、標準化されるにつれて、ライバル企業に模倣されやすいものになるという議論を展開している。また、著書 ”Does IT Matter” の中では「論文に寄せられたコメントの中には、ITそのものが競争優位の源泉ではなく、ITの使い方にこそ競争優位の源泉があるのだという意見がある。」と書いた上で、アメリカン航空のSabreの例を再び取り上げ、差別化につながるどのようなITの利用方法であっても、ライバル企業にコピーされてしまう運命にあるだけでなく、ライバルはより進んだシステムを導入することになると指摘している。
したがって、ITの新しい利用方法を見つけ出した企業は、その利用方法による優位をできるだけ早期に他の持続的な優位をもたらす何かに転換する必要がある。しかし、技術の複製サイクルはどんどん短くなっているため、ITの斬新な利用方法によって得た一時的な優位を持続的なものに展開するチャンスは少なくなっているとカーは主張している。
本当に利用方法は模倣できるのか
確かに、カーが指摘するようにERP、SCM、CRMなどの分野のビジネス用のソフトウェアは、ベストプラクティスを取り込む形でバージョン・アップが行われている。したがって、ITの優れた利用方法は、ITベンダーを介してどんな企業でも入手できるようになるだろう。
しかし、利用方法がソフトウェアに組み込まれ、誰でも利用方法を含めてITを簡単に入手できるようになっても、それをビジネス上有効に活用できるかどうかは、また別の問題のように思える。先進ユーザーの斬新なIT利用方法をコピーすることはできても、それをビジネスや経営に有効に利用できないことも十分に考えられる。(それは、ちょうどトヨタ以外のメーカーがトヨタ生産方式を導入しても十分な効果が見られないケースが数多くあるのと同じである)
カリフォルニア大学バークレー校のハル・バリアンは「ITがコモディティ化し、もはや競争優位をもたらさないというニコラス・カー氏の主張は正しい。とはいえ、ITの効果的な活用方法が広く理解されているかと問えば、依然スキルが不足しているといえる。(中略)ITではなく、その効果的な使い方を知っている人たちが、競争優位をもたらすのである」と主張する。
ITケイパビリティの重要性
これは、「ITケイパビリティ」の問題である。ITケイパビリティとはITを使いこなす能力であり、ITあるいはITそのものに関連する資源、ITを活用する人に関する資源、ITを活用する組織に関する資源の3つの構成要素に分解できる。
カーが主張するようにITそれ自身とその利用方法は、標準化されコモディティ化し、誰でも容易に入手できるので、問題は人と組織に関する資源である。ITを活用できるスキルを持った技術者とITとその活用方法を理解している経営者がいて、組織の構造や企業文化がITを活かせるものであることが重要なのである。こうした人的・組織的資源は模倣が困難であることを考えると、ITケイパビリティは競争優位の源泉になりうる。
まとめ
ニコラス・G・カーが2003年5月に”IT doesn’t Matter”という論文を発表してから、企業におけるITの価値について活発な議論が巻き起こった。反論の中にはカーがITの必要性を否定したとの誤解もあったが、カーが言いたかったことは「ITは、技術的成熟にあわせて誰でも入手可能なものになりつつあり、持続的競争優位の源泉にはなりえない」ということであり、最近の企業戦略論からみて、それほど突飛なものではない。カーは、ITの利用方法についてもソフトウェアの中に埋め込まれるようになっており、利用方法も含めてITはコモディティ化していると述べているが、ITを実際にビジネスや経営に活用する能力(ITケイパビリティ)は、企業の抱える人材や組織形態、企業のカルチャーに依存しており、これは簡単に模倣できるものではない。つまり、ソフトウェアを含めたITはどんな企業でも容易に入手可能なものとなっているが、それを十分に使いこなせるかどうかは、個々の企業によって大きな差があると考えられる。このITを活用できる組織能力こそが競争優位の源泉の一つとして重要になっているのである。
(参考文献)
Carr, Nicholas G., “IT Doesn’t Matter” Harvard Business Review, May 2003, pp.41-49(邦訳:カー、ニコラス・G『もはやITに戦略的価値はない』ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、Mar. 2004、pp.137-148)
Carr, Nicholas G., Does IT Matter ?, Harvard Business Press, 2004 (邦訳:カー、ニコラス・G『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』ランダムハウス講談社、2005
Smith, Howard & Finger, Peter, “IT Doesn’t Matter - Business Processes Do”Meghan-Kiffer Press, 2003
加護野忠夫・井上達彦『事業システム戦略 事業の仕組みと競争優位』有斐閣アルマ、2004年4月
岸真理子、相原憲一(編著)『情報技術を生かす組織能力』中央経済社、2004年7月
國領二郎(監修)『ITケイパビリティ』日経BP企画、2004年9月
コリス、デビッド・J. & モンゴメリー、シンシア・A『資源ベースの経営戦略論』東洋経済新報社、2004年9月