愛の対義語は憎しみではない、無関心である

自分の暮らしが、全然関係ない世界のどこかの戦争や、人殺しに加担しているかもしれない。
そのことに、「気が付かない」という無関心も、ひとつの犯罪だと思う。
自分たちの年金が、外国の武器産業の会社の投資に運用されていたら、それは、もう人殺しへの加担。
イスラエルのワインが美味しい、イスラエルは若者の起業大国だと持ち上げるのもいいけど、でも、その葡萄作っているのは勝手に占領しちゃってるところじゃないの?とか、パレスチナとの紛争の問題をどう考えているのとか、その紛争問題などに無関心で、きれいごとだけ言ってることも、それもある意味犯罪だと思う。
「愛情の対義語は憎しみではない。無関心である。」
マザーテレサはそう言って、来日したときに、日本は「経済面では豊かになっても、心の面では豊かになっていないと言った。
地下鉄の席で携帯電話に目を落とし、目のまえに立つお年寄りに気が付けない人をみて、「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することです」と何度も言っていたマザーテレサは、なんというだろうか。
無関心からの脱却。社会に横たわる問題をジブンゴトに。
今晩、「小屋ROOTS vol.3 戦争とこどもたち」です。

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