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第5話 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!!!!

 さぉ今週もやってまいりました、尾っぽがないと書きまして「尾無(おなし)」でございます!

 このnoteを始めてから「スキ」の数以上に、多くの方が読んでくださり、メッセージやメール等々ご連絡をいただき嬉しい限りです。この調子で調子にノリノリで災害時の活動を普及していきたいと思います!!

 保健師・助産師・看護師だけでなく、看護学生さんやその他多くの災害に関心のある皆さんに知っていただきたいと思っておりますので、包み隠さず、臨場感たっぷり、新人保健師目線そのままにお送りします!!笑

 発災初日、不眠不休で活動し、朝を迎えた尾無少年に次々と押し寄せるミッション。エヴァンゲリオンしんじんくんばりの「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!!」のシーンがこの後も目白押しだった!!!そんな発災2日目の活動をどうぞ、お読みください!!

●尾無ミッションインポッシブル

 一難去ってまた一難(どころか二難三難。)。

 朝を迎え、消防団員の皆さんが津波から救助してきた低体温のおばあちゃん。服をハサミで切り、毛布で包む。自販機のゴミ箱からペットボトル見つけ、反射式ストーブで沸かしたお湯を入れて体を温め、小学校へできた救護所へ

 続けて瓦礫の上で転倒し頭部から血がダラダラの成人女性は、特保で配る予定の清潔な手ぬぐいで圧迫止血し小学校へできた救護所へ。

 このように救助された方や、瓦礫等で怪我をされた方などの対応に追われましたが、なんとかこれまでの知識をフル回転して対応。出納と水筒で悩んだポンコツ男性保健師とは思えない活躍ぶり。(自分で言うな)

出血の対応はこちら!!
低体温の対応はこちら!!



 いや、本当に怖かったです。

 保健師1年目、臨床経験もない私。逃げ出したいと思い、心の中では、何度も何度も大学時代の基礎看護学講座の先生方の名前を叫びました(この対応ができたのは、基礎の先生方が講義と演習で丁寧に教えてくださっていたからだと思います。不真面目学生の私でも覚えていたぐらい!!笑)。


 応急処置を4、5例し、これもようやく終わった!!と思ったら・・・




 (災害対策本部より)次は「近くの児童館で妊娠39週の女性がお腹が張っていると言う情報がある。尾無!迎えーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!」



「イエッサーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」





 …いやいや、やっぱりおかしいんですよ。アドレナリンって怖い。すぐさまスクーターで駆けつけ、問診。その横で住民のかたが、「あなた男だけど保健師か!すごいねーーーー!!じゃあここで産気づいてもお産を取れるのかい!?」






……(5秒ほどの沈黙。尾無も一応考える。大学時代の母性の授業、「ハイリン・ハイリン・ハツローーーーーーー!!!」が思い出される。


「いや、無理です!!!」


 これまではアドレナリンと、授業で習ったことの応用で乗り越えてきたが、これは無理だと察知。

 お母さんに優しく「大丈夫です。僕、この後、災害対策本部に行って搬送要請するので、待っててくださいね。」…とその場では生田斗真並の笑顔で声をかけ(だって、先生たちが授業で相手に不安を与えないように看護しなきゃいけないって言ってたよ!!!僕だって、保健師なんだ!!!ポンコツだけど保健師なんだ!!!!!)

 またまた半べそで災害対策本部へ向かい緊急搬送要請。保健師が言うならと、優先して航空自衛隊へ搬送要請をしてくださり、後日無事出産されたと伺いました。

 このほかにも、薬を県??が送ってくれると言うことで、必要な薬をまずリストアップしろというミッションや、被災した医療機関から酸素ボンベを見つけ出して、酸素が切れそうな〇〇避難所に届けろというミッションなど、今思い出したらはちゃめちゃなミッションをクリアし続けました。

やっぱり控えめに言って、俺、やばい。(色んな意味で)

 発災当日から次の日まで、災害対策本部の指示を受け、一人で行動する新人ポンコツ男性保健師。結果オーライだったけど、ここで皆さんにお伝えしたいのは、私のような動きをするのが正しいですよーっていうことではなく、

 被災自治体の保健師が被災地全体を把握しつつ、必要なところに必要な支援を届けるよう体制を整えることを優先した方が良いということです。


 支援者は程なくしてたくさん来てくださいます。なので、私たち現地の保健師は、数人が必要時出て行くことはあっても、基本、ブレインとなる保健師が被災地の被災状況や体調不良者の位置等、全体像を掴む必要があります。ぜひこれを読まれる保健師さんはご自身の自治体がどのように初動を過ごされる予定かご確認・議論していただければ幸いです。(おーーーー。なんか初めて世の中のためになる災害看護情報を発した感じ。笑)

赤枠を見ると「リスト化」「調整」「体制整備」など書いていますね。



●50人の要介護者vs新人保健師


 ミッションを多数クリアした尾無君頑張ったねーーーー!の声が聞こえてきそうですが、ここで終わらないのが、モッテル尾無君。

 発災から丸一日ミッションをこなし続け、ようやく課長から「先輩保健師たちが行った山手の地域へ行け!!」と言う指示が。「あ〜、この一人で動かなければいけない重圧から解放される…」と思い、意気揚々と山手の地域へ。

 その際、私が1500人を山手の地域へ送ったわけですが、その山手の地域に行く途中に老人ホームがあり、そこには約50人の要介護者を送っていたため(私が勝手に送ったのではなく、上司の指示)、「よろしく」というご挨拶をしてから山手の地域へいこう!と思い、老人ホームを訪ねると…

「あなたがここに要介護者を送った保健師さんですか?!困ります!!!!うちはうちで老人ホームの利用者さんを守る責任がありますので、この50人の方の面倒は見てくださいね!!そして、明日までには全員ここから移動させてください!!!!」

「えーーーーーーーーーーーぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!!!!!」

 いや、振り返れば当然なんです。そんな契約は一切交わしていなかったので。これも教訓です。皆さんの街では、災害が起きた際、福祉避難所はどこにどのように開設されますか?また、福祉施設や医療機関とどのような契約を結び、協力されることになっていますか??とっても重要なことです。ぜひこれを機会に、自分の自治体の災害時の医療・福祉・行政の連携体制を見直してくださいね!!(おぉ今回2回目のお役立ち情報!!!!noteを書き始めた意義が出てきました!!!笑)

 とお役立ち情報を言っている場合じゃないんですよ。

 丸一日、全く休まずに行動し続けたのちに、二日目の夜は50人の要介護者VSポンコツ男性保健師です。ここで、災害対策本部にもう一度戻り状況を説明。すぐに移動させられないか要請しましたが、自衛隊は次の日にならないと来れないとのこと。それまでなんとか持ち応えなければいけないと、本格的に50人の介護がスタートしました。まず、全員に声をかけ、誰がどのような介護状態で、持病が何かを確認しました。また、家族がいる人もいらっしゃいましたので、その背景も確認し、どのように対応していくか作戦を練ったことを思い出します。

 このとき幸いだったのは、同大学出身の社会福祉学部卒業生が、祖母の避難の付き添いでいてくださり、一緒に介護ができたことです。既に外は暗くなり始めていましたので、ホールの中心に二人で座り、おむつ交換やお手洗いに行きたい方への対応を交代で対応することにしました。

 流石にアドレナリンも切れかけ、体力も限界に近づいていたのでしょう(当たり前。)ウトウトする瞬間もありましたが、なんとか懸命に介護を続けました。私を奮い立たせたのは高齢者の方々の「申し訳ないねぇ」の言葉。

 きっと嫌だったと思います。知らない孫ぐらいの男の子にお手洗いに連れていかれたり、おむつ交換をされるの。それでも私を頼りにし、言わなくてもいいはずの「ありがとう」や「申し訳ない」を言ってくれました。看護職として、頑張らないわけにはいかないわけです。

 夜通し対応し続け、朝方には社会福祉協議会の方が応援に来てくださり、昼には自衛隊の方々の支援があり、無事山手の地域に送ることができました。

 私は動き回っていたので避難所の食事にあたることなく、発災後、口にしたのは、丸2日で水1杯とおにぎり半分(よく倒れなかった〜〜〜〜)。この後も、結局町内の酸素を使われている方へボンベを見つけ出して届けたり、体調不良者の対応に終われ、最終的に夕方に保健師が役場に集められました。

 流石に帰れる人(家がある人)は帰り、一旦休むことにしようと課長から提案がありました。しかし、私の家(アパート)は全壊という情報があり、帰れません。そこで、男性の課長補佐(事務職)が家に泊めてくださることに。その際、「自分の家を見たいか?それとも何かしたいことはあるか?」と聞いてくださいました。

 私がこの2日間片時も頭から離れなかったのは、自分の家ではなく、最愛の彼女の安否でした。この彼女は、今の私の妻です。妻は私の2歳年下で、沿岸の市町村出身。発災の当日は、私の被災した家にいる予定でしたが、用事があってその沿岸の実家に戻っていたのです。

 私はこの2日間の対応の最中に、彼女の出身市町村・地区から来た人には話しかけ、どんな状況か聞きましたが、聞く人聞く人から壊滅的な被害を受ていると知らされ、安否を放送するラジオにも耳を傾けていましたが、名前は聞けませんでした。

 まさか…

 嫌なイメージが頭によぎる中、心配性でしっかりものの彼女のことだからきっと生きていてくれると信じ、上司に状況を打ち明け、瓦礫の道を運転していただき、彼女を探しました。

●僕の彼女は生きてますか

 最初に向かったのは、彼女の実家。全壊でした。

 念の為、被災した家に入り、妻の名前を呼びました。しかし返事は返ってきません。

 「きっと避難所だよな。」

 と、自分に言い聞かせ、一番近い避難所へ。
・ 
「すいません、〇〇(彼女)はいますか?お父さん、お母さんの名前は△△と言いますけど…」

「ありません。ここには来ていません。」

 全身が震え、この時に感じた絶望感や情景は今も忘れません。発狂するってこういう感覚なんだろうと思いました。

 「もう一回名簿を見てください」「この中の人の顔を見てもいいですか」「ここの近くに避難所はないですか」

 避難所の係の方を質問攻めにしていると、

「あ、〇〇家の方々ですか?〇○家の皆さんなら、長男の奥さんの実家に避難するって聞いたけどな。彼女さんがいるかわからないけど、いるならそこにいる可能性が一番高いかもしれないね!案内しましょうか?」

 「お願いします!!!!」

 瓦礫の中を案内していただき、義理の兄の奥さんの家にたどり着きました。

「すいません、尾無っていいます。〇〇いますか?!」




 「…え、え?!徹?!」

 自然に涙が出るとはこういうことなんですね。
 張り詰めた緊張が一瞬でとけました。

 ドラマのワンシーンで、結婚もしていないカップルが、人目を憚らずに抱き合うシーンあるじゃないですか。あれね、極限の状態だとマジで普通に起きます。いつも使うホッとしたっていう言葉を100万回言っても足りないくらい、ホッとしました←語彙力のなさ

 妻は山田の方から見える火事の煙を見ながら無事を祈ってくれていたようです。私はアパートが全壊だったので、「モノ」は全て失いました。23歳にして、持ち物は今着ているものだけ(しかも2日半着っぱなしのもの笑)。ギャクのような本当話。それでも、多くの方が犠牲になられた東日本大震災。命の尊さを感じた瞬間でした。

 お互いの無事を確認し、上司の家で溶けるように眠りにつきました。この日の朝になる速さは尋常ではありませんでした笑

 これからまた、尾無少年の全力の日々が始まるわけです…

第6話「(二度見で…)あなたが保健師さん?!」を以下の3本立てでお送りします

・病院になった小学校
・新人保健師、てんやわんやの避難所運営
・尾無ついに壊れる

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