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Toruのゼルサポ史~一人の町田市民がFC町田ゼルビアのサポーターになるまで

皆さんどうもこんにちは。Toru Kusakabeと申します。
noteの投稿は約2年半ぶりとなります。

今回久々に筆を執ることとなったのは、私が応援している地元のサッカークラブ・FC町田ゼルビアについてお話ししたいと考えたからです。
過去の記事ではサガン鳥栖についてお話しさせていただきましたが、町田サポのアカウントなのに鳥栖の記事しか投稿していないのもいかがなものか、と思うところもありまして。
最近は野津田のゴール裏に通う機会も増えて町田サポのフォロワーさんも増えたので、ゼルビアについての記事も投稿しなくては、と思い立った次第です。

そんな私はと言いますと、もともとはJリーグにもゼルビアにもさほど興味がない、ごく普通の町田市民でした。
そのような一人の町田市民がどのような経緯をたどってサポーターへと変貌を遂げていったのか。
今回はそんな私のサポーター史、すなわち「ゼルサポ史」についてお話しさせていただければと思います。

なお、この記事で最も伝えたいことは一番最後の終章に書かせていただいております。
「お前のゼルサポ史なんてどうでもいいわ!」という方は、途中の部分は飛ばしてもらって終章だけでもお読みいただければ嬉しいです。

それでは早速始めていきましょう。


・胎動期(2012~2015年)

正確な時期は記憶にありませんが、私が初めてFC町田ゼルビアの存在を認知したのは2012年のことでした。
そのゼルビアに2012年に起こった出来事と言いますと、Jリーグクラブ史上初にして唯一のJFL降格となります。
私が町田市民であることを知っていた大学の友人が「町田ゼルビア、J2お疲れ様でした。」と話してきたのです。
言われた私の反応はというと「・・・はぇ??」と何のことだかわからない様子。
何しろ当時はJリーグにも関心がなく、まして地元の町田にチームがあることなど全く知りませんでしたから、そう言われても何のことやらよく分からない状態だったのです。正直降格と聞いても当時はその事の重大さも認知できなかったので、「あぁ、そうなんだな。ていうか町田にもJリーグがあるんだな。」と受け流すくらいの心持ちでした。
今思い返すと実に腑抜けた反応ですが、とにもかくにもこれが私が地元のサッカークラブを認知するきっかけとなったのです。

時は少し流れて2014年ごろ、留学先でサッカーが好きな友人ができ海外のサッカーはたまに観るようになっていました。
この時もJリーグに対する興味は高くなかったのですが、「そういえば地元の町田にもJリーグのチームがあったっけな」と思い立つことがあり、順位表を調べたりする機会はありました。
調べてみるとJ3という聞いたことのないリーグで意外と上位、もしかしたらJ2に昇格できるかもという状態。そんな風に順位表をチェックして気に掛ける時期がしばらく続きます。

こんな感じでしばらくはゼルビアにさほど興味がない状態が続きましたが、そんな私にもテレビで見た唯一の試合があります。
それが2015シーズンの「J2・J3入れ替え戦」です。
このシーズンも順位表で順位を確認するばかりでしたが、地元のクラブがJ2に昇格できそうという状況でしたのでその動向は何かと気にかけていました。
最終的にはゼルビアの歴史に残る「世紀のぬか喜び」により当時J3首位となったレノファ山口FCに自動昇格の座を譲り、入れ替え戦に回ることに。
歴史的な昇格まであと少しという状況でしたのでこの入れ替え戦はちょっと観てみたいなと思い、どこの局か忘れましたがホーム&アウェイの2試合をテレビで視聴。これが私がテレビで見た初めてのゼルビアの試合です。

相手は当時のゼルビアにとっては格上となる大分トリニータ。
初戦のホームでは鈴木孝司が2ゴールをあげリードで折り返し。アウェイでは苦しい戦いを強いられPKを与えるもこれを守護神高原寿康がストップ。逆にPKを獲得した町田は鈴木孝司がこれを決めて逃げ切って勝利。見事昇格を決めるという痺れる展開だったのを覚えています。(この鈴木孝司がゼルビアにとって偉大な選手と知ることとなるのはもっと後のこと。)
ゼルビアにそこまで思い入れのなかった当時の自分でも、この劇的な展開で昇格を果たした時は何となく嬉しく感じたものです。

・空白期(2016~2017年)

前述の入れ替え戦で見事J2復帰を果たしたFC町田ゼルビア。
このJ2復帰を契機として私のゼルビアへの思い入れも強まり・・・と思いきや、そうはなりませんでした。

結果としては昇格してJ2になっても特に試合を観に行くでもなく、順位表を確認する以前と変わらぬ日々が続きます。サブタイトルの通り、まさに空白期です。
入れ替え戦という心動かされる試合を観たというのに、いったい何があったのか?
理由としては二つあったと考えています。

一つはサッカーとJリーグをテレビの向こうの世界の他人事として認識していたこと。
当時はJリーグをあくまでスポーツのイベントとしてとらえていて、地元のチームを応援するといった当事者としての認識はありませんでした。画面の向こうの他人事の世界と認識していれば、現地で観戦、ましてや応援という考えには至りません。

もう一つは、そもそも私自身がサッカー観戦を楽しめる状況になかったことです。
この空白期は、私の人生の中でも黒歴史の時期に当たります。
学生時代に就活が上手くいかず卒業後にやっとの思いで入社した会社がブラックで早期退職。退職後は公務員試験の勉強をしながら実家暮らしでニート同然の生活を送る日々。働いてないからお金もないし、親のすねかじってる状況で遊びに行ったりするのは気が引けるものです。
まずは試験と就職が第一、趣味でサッカー観戦なんて夢のまた夢という状況でした。

結局公務員試験は面接で落ち、2017年末に何とか就職。それでも就職してしばらくは生活に余裕もなく貯金しながら会社に定着することが目標でしたので、サポーターとしての空白期はもうしばらく続きます。

そんな空白期に転機が訪れたのが、2018年の中頃のこと。私のサポーター史はようやく黎明期を迎えることとなるのです。

・黎明期(2018年~2019年)

サッカーに興味を持ってからもJリーグの試合観戦に至らなかった時期がしばらく続きましたが、そんな私がJリーグに関心を抱くこととなる転機が2018年の夏に訪れます。
それがフェルナンド・トーレスのサガン鳥栖への移籍です。
2018年はアンドレス・イニエスタのヴィッセル神戸への移籍もあり、これらの移籍報道に多くのサッカーファンはさぞ驚愕したことでしょう。
私もその一人、特に時々海外サッカーを見ていて何故か個人的に好きだったトーレスの日本への移籍は衝撃的でした。(なぜイニエスタよりもトーレスに興味をひかれたのかは今でもよく分かりません。)
その衝撃のニュースは、今まで試合観戦に興味がなかった一般人がスタジアムに足を運ぶ理由としては十分すぎるものです。この時には会社にも定着し財政的に多少余裕のある状況でしたので、サッカー観戦できる余裕もできていました。
「あのトーレスが日本で観れる、このチャンスを逃すわけにはいかない!」
そう思い立った私は当時仕事で在住していた韓国から飛行機で九州へ向かい佐賀県鳥栖市のベストアメニティスタジアム(現・駅前不動産スタジアム)へ。
2018年8月11日、この日観戦したサガン鳥栖対浦和レッズ戦が、私にとってのJリーグ現地観戦デビューでした。Jリーグのファンとしての第一歩です。(子供の頃親に連れられて日産スタジアムでマリノスの試合を観た気がしますが、あんまり覚えてないのでこれはノーカウントで。)

ただしここまでの動向を見ると分かる通り、まだまだ興味の中心はトーレスと鳥栖。
仕事で韓国にいたこともあり、ゼルビアの現地観戦にはなかなか興味が至らない状況でした。
2018年のゼルビアは相馬直樹監督の下J2で優勝争いをしていましたが、このシーズンは時々DAZNで視聴していたくらいだったと思います。「よく走ってよく守って、強いな。」という印象でした。

さらに転機が訪れたのが2019年、私がJリーグを観るきっかけとなったトーレスが引退してしまいます。
ただしトーレスが引退してもJリーグ自体への興味が薄れることはなかったので、Jリーグの観戦をやめることはありませんでした。

ではゼルビアへの関心はどうであったか。
結論としては、この年から私のゼルビアへの関心はだんだんと高くなっていきます。2018年に帰国していたこともあり、再び町田に住むようになったことも大きかったでしょう。
ただ、もう一つ大きな要因がありました。
実はこの時期、私がこの地元のクラブに強い思い入れを持つ契機となるある衝撃の事実を知ることとなったのです。

それを知った時期としてはトーレス引退の2019年夏より少しさかのぼり、2019年の中頃でしたでしょうか。
2018年シーズンにJ2で躍進したFC町田ゼルビアは、なんとJ1ライセンス取得が承認されず、自前のクラブハウスも無いというのです。
何かのニュースだったかツイートの投稿で知ったかは忘れましたが、どんなチームも当たり前にJ1に行けると思っていた私にとっては衝撃でした。さらに自前のクラブハウスも無い小さなチーム規模で優勝争いをしていたという事実。
これは私の性分なのか、こういう逆境に果敢に立ち向かうチームにはどうしても思い入れを感じてしまうものです。
「もしかして相馬監督とゼルビアって凄いんじゃないか、もっと応援しないといけないんじゃないか。このクラブを応援したい!試合に行きたい!」
そう思わせるきっかけとしては十分すぎるものでした。

ただ周りにゼルビアのファンもサッカーのファンもいなかったので現地観戦に行く勇気を出すには少し時間がかかりました。
それでも観戦に踏み切ったのが、2019年のホーム野津田での最終戦、柏レイソル戦。
「試合に行きたければ一人でも行けばいいし、あの有名なレイソルが来るならぜひ行きたいな」と思ったのがきっかけです。
この柏レイソル戦が自分にとっての初めてのゼルビア現地観戦となりました。ただしゴール裏ではなくメインスタンドでの観戦です。
チームは残留争いの苦しい状況で、試合はというと3失点完敗。しかもレイソルはこの試合でJ2優勝とJ1昇格を決めて野津田で優勝セレモニーを行うという町田にとってはかなり気の毒な展開。初めての現地観戦はなんともほろ苦い経験となったのでした。

J1ライセンスのない逆境で戦う小さなクラブ、そんな事実が私のゼルビアへの関心を掻き立てることとなった2019年。私のゼルサポ史の黎明期に当たる時期ですが、翌年にはせっかく高揚したモチベーションが断絶してしまう混迷の事態が発生することとなるのです。

・断絶期(2020~2022年)

ゼルサポとしての黎明期を迎え観戦へのモチベーションが高まりつつあった2020年、そのモチベーションをさらに加速させる出来事が起こります。
それが有名選手の加入です。トーレスの時もそうでしたが、当時から有名選手の加入に釣られやすかった気がします。
その有名選手というのが、水本裕貴と秋元陽太です。
特に水本裕貴については長年J1で活躍し日本代表経験もある実力者でしたので、すごい選手が町田に来たものだ、と衝撃と期待を覚えたものです。

こうなると現地観戦への意欲は高まる一方です。
さらにホーム開幕戦の相手であるヴァンフォーレ甲府には昨年サガン鳥栖から移籍した藤田優人もいましたので、町田で有名な選手を観れると同時に鳥栖に縁のある藤田優人も見れるととても楽しみにしていました。
そうして期待感の高い中迎えたホーム開幕戦。結果はスコアレスドローでしたが期待していた選手の活躍も見れて、かなり満足のいくものであったと記憶しています。(ただゴール裏には関心がなく、この時もメインスタンドでの観戦でした。)
選手への期待、チームへの期待、それらの期待も相まってこれからもスタジアムに通っていこうと決意を新たにしたこのシーズン。
しかしながらこの年、そんな決意をへし折られることとなる前代未聞の事態が発生することとなるのです。

2020年2月に開幕戦を迎えたJリーグですが、その後数か月にわたり中断を余儀なくされます。当時を知る皆さんであれば何のことかはすぐにお分かりでしょう。
そう、新型コロナウイルスです。
この未知のウイルスの猛威は日本にも上陸し、Jリーグの開催にも影響を及ぼすこととなります。
対策方法もわからず通常の外出さえもままならない状況でプロスポーツのイベントを開催することは極めて困難。2020年のJリーグは開幕戦を最後に長期の中断期間に入ることとなりました。
週末にサッカーのある当たり前だった日常が、突如として奪われたのです。
何年も熱心に応援されていたサポーターの方のショックは計り知れないものであったでしょう。
現地観戦を初めて間もない私にとっては、せっかく観戦へのモチベーションが高まっていたのにあきらめざるを得ない歯がゆい状況が続くこととなります。

こうして新型コロナウイルスの蔓延により、私のサポーター史は断絶期に入ります。
不幸中の幸いであったのは、ゼルビアへのモチベーションはなくならなかったということです。
先述した有名選手の加入もありチームへの期待感はあったため、中断期間が明けてからもDAZNでの観戦は続けていました。しかしリーグ戦が再開して無観客試合してからもコロナへの不安が強かったため、現地観戦については長期にわたって足が遠のく状態となってしまいました。
2021年~2022年もDAZNで全試合視聴していましたが未知のウイルスの脅威への不安はなかなか払拭できず、ようやく現地観戦を再開したのは2022年9月の野津田での東京クラシック。その日は大型台風が来ていて足元の悪い状態でした。
ただ、ここを逃すともう二度と現地観戦に行く気力が湧かなくなるかもしれないと思い強行。
この時期のチームはなかなか勝てておらず苦しい状況でしたが、中島裕希の久々のゴールとシーズンを通して奮闘していた太田修介のゴールで2点と上々の内容。それでも終盤のラストプレーでPKを献上しドローで終戦。
悔しい結末となりましたが、ここで久々に現地観戦できたことは大きかったと思っています。これがなければスタジアムから足が遠のいていたかもしれません。(ただしここでもゴール裏ではなくバックスタンドでの観戦)

コロナ禍という想定外の事態に見舞われながらも長く中断していた現地観戦を再開。そしてここからはクラブとしても一人のサポーターとしても大きな転換点となった覚醒期、2023年を迎えることとなります。

・覚醒期~現在(2023年~)

コロナ禍の影響によりサッカー観戦に大きな支障が出た時期もありましたが、2023年には自粛ムードも落ち着きを見せ、現地観戦についても本格的に再開することとなります。
そしてこの2023年は、ご存じの通りゼルビアにとって歴史に残るシーズンの一つとなるのです。

ランコ・ポポヴィッチ監督の3か年計画が失敗し低調な成績で終えた2022シーズン。クラブは次のシーズンを勝負の年と考えていたのか、新たに社長に就任したサイバーエージェントの藤田晋氏の下で大型投資による補強を敢行。
下田、沼田、チャン・ミンギュといったJ2の主力を中心とした豪華でありながら的確な補強戦略には驚かされたものです。
そんな的確な補強に加えてエリキ、ミッチェル・デュークという絶対的な個の力を持つスター選手のサプライズ加入。
ファンが期待に胸を躍らせるにはこれだけでも十分な動機です。(監督人事については黒田剛監督が高校サッカーから初挑戦ということもあり懐疑的な見方も多くありましたが、その結果は現在の成績を見ての通り。)
個人的に大きかったのは荒木駿太選手の加入。サガン鳥栖の大卒組の中で最も期待されていた荒木選手が地元にやってくるという事実は、私の現地観戦へのモチベーションを更に大きく高めるものとなりました。

そんな高いモチベーションを持った私はシーズン初戦から早速ゴール裏へ・・・とはならず。
実はこの年も最初の方はバックスタンドで一人静かに観戦していました。なんというか、ゴール裏って過激な人たちが集まるイメージだったので怖かったんですよね。抵抗感がありました。
そんな感じでしばらくはバックスタンドへ。周囲にゼルビアのファンがいるわけでもなかったので、一人で観戦していました。
ソロ活は慣れているので現状に不満はない。チームも強く勝ち試合も多いから観ていて楽しい。特に問題はない。
それでいて何かが物足りない感じがする。シーズン初めはそんな感情を抱きながら過ごしていたように思います。

そんな状況に変化が訪れたのは、2023年4月2日のホームでの藤枝MYFC戦でした。
この日もバックスタンドで一人で観戦し、試合はミッチェル・デュークの値千金弾で勝利。
いつもと違ったのは、バックスタンドから見て左手に位置したゴール裏のサポーターに目をやったことです。
それまでは試合を観るだけでゴール裏は目に入らなかったのですが、いざ見てみると、
「あそこの歌って応援してる人たち、結構楽しそうだな。ちょっと怖いけど、どうせ一人で見るならあっちの方が楽しいかもな。今度行ってみようかな。」
そう思い立った私はネットで見つけたチャントを覚え始めます。
次のホーム戦のブラウブリッツ秋田戦は行けませんでしたが、その次の試合でとうとうゴール裏へ。
2023年4月16日の大分トリニータ戦、この日が私のゴール裏デビューとなったのです。
今思い返すとこの試合で始めてゴール裏に行ったことがその後も通い続ける大きな契機になったように思います。
その試合はというと、ホーム秋田戦での黒田体制初敗戦、色々あったアウェイジュビロ磐田戦を経て臨む重要な一戦。
入念に仕込まれた巧みなセットプレーを荒木駿太が冷静に決め切り見事先制。
ゴール裏で初めてゴールを見届けた瞬間でしたが、この時のゴール裏での体験は今でも覚えています。
重い雰囲気が破られ歓喜に沸くサポーター、しばらくすると周囲のサポーター達が喜びを露わにハイタッチをし始める。
勝手がわからなかった私も周囲に釣られるように知らない人たちとのハイタッチを繰り広げていく。
この瞬間はいろいろなことを感じましたが、特に感じたのは、
「ゴール裏って結構楽しい所だな」「知らない人たちばかりだけど、ゴール裏に集まればみんな仲間なんだな。」ということです。
同時に「バックスタンドでの観戦もいいけど、どうせ一人だし今後もこっち(ゴール裏)に通いたいな」とも感じていました。

結局この試合でのゴール裏の楽しさが印象に残り、次のホームの2023年4月29日のロアッソ熊本戦もゴール裏に足を運ぶことになります。
その時も楽しかったのですが、正直その時はそのうち飽きてバックスタンドに戻ってもおかしくない状況でもあったと思います。ゆっくり試合を観たいとか、ちょっと恥ずかしいといった気持ちも最初はあったのでしょう。
しかしながらここからしばらくして、ゴール裏から離れられなくなる最大の転機が訪れることとなります。

その試合こそが2023年5月21日のホーム清水エスパルス戦。昨シーズンのゼルビアを応援していた方は今でも強烈に覚えているでしょう。最近のゼルビアの中でも最もセンセーショナルな試合の一つです。
試合は前半で両チームが1点ずつゴールを決め、その後は一進一退の攻防が続きます。
その膠着状態は試合終盤まで差し掛かり、傍から見ればこのままドローで終わる可能性が高い展開。
それでもゴール裏のサポーターは諦めず応援を続け、それに釣られるように私も歌い続けていました。
そして訪れた伝説のラストプレー。後半45+6分。
「・・・稲葉インターセプト!稲葉ナイスプレー!!下田、ターンした藤尾左脚!こぼれて・・・シュート!!チャン・ミンギューーー!!!強い、強い町田!これぞ首位の町田ゼルビア!!」(DAZN実況より抜粋)
2-1。劇的勝利での幕引き。あの日のスタジアムの雰囲気は忘れることはないでしょう。
ゴールが決まった時は普通は歓声が沸くのですが、この日は悲鳴にも近い叫び声が響き続け、スタジアム全体が揺れているようにさえ感じました。
そしてこの試合を通して私が強く感じたことが「応援の力は存在する」ということです。
あの劇的な勝利は直接的な結果としては選手の頑張りによるものですが、サポーターが諦めずに応援し続けたことで呼び込めた勝利でもあると考えています。
ゴール裏での応援はただ楽しいだけではない。応援は選手に確実に届いており、勝利を引き寄せる力がある。
それならば自分もその応援の一部となってチームを勝たせたい。FC町田ゼルビアのサポーターの一人としてJ1に行きたい。
それまでどこか他人事のように感じていたFC町田ゼルビアが、本格的に自分事になった瞬間でもありました。

その後のゼルビアはシーズン中盤に未勝利が続く時期もありながら首位の座を堅持。
私個人としてもゴール裏での応援を続け、2023年9月17日のアウェイ藤枝MYFC戦ではアウェイ遠征デビュー。この頃には自分の中でFC町田ゼルビアがすっかり生活の一部となっていました。

そして迎えた歴史的な瞬間。2023年10月22日のアウェイロアッソ熊本戦。
この日は残念ながらどうしても遠征できず町田市内のスポーツバーでのパブリックビューイングでの観戦でした。
スポーツバーということもあり他のサポーターと話しながらの観戦。
一人で参加して会話せず帰ることも多かった自分にとっては斬新で楽しい経験だったことを覚えています。
試合はというとシーズンを通してチームを力強く牽引してきた3人、宇野禅斗、髙橋大悟、下田北斗の3発でリード。
後半アディショナルタイムにはLos Del Azulを歌いながら沸き上がる会場。
遂に鳴り響く試合終了のホイッスル。
小さなクラブが苦難を乗り越え成長し、遂に夢をかなえた瞬間に立ち会うことができました。
自分事として応援してきた地元のチームの昇格は、本当に素晴らしい経験でした。
このクラブのサポーターになって良かった、これからも地元のこのクラブの挑戦と躍進をサポーターとして見届けていきたい。
そのように決意を新たにした瞬間でした。

その後J2優勝も決定し王者として迎えたホーム最終戦、2023年10月29日のツエーゲン金沢戦、そしてシーズン最終節の11月12日アウェイベガルタ仙台戦を経て、大きな飛躍を遂げたシーズンは幕を閉じます。

サッカーとJリーグ、そしてFC町田ゼルビアに一切興味のなかった一人の町田市民であった私は、こうして一人のサポーターとなったのです。

・終章~まだ見ぬ未来のサポーターたちへ

さて、前の章までで私がサポーターになるまでの経緯をお話しさせていただきました。
想像の10倍以上の長文となってしまった感じがしますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

ただし冒頭にも申し上げました通り、この記事を通して本当にお伝えしたいことはこの終章に書いていますので、最悪この章だけでも読んでいただければ大丈夫です。

ここまでお読みいただいた方はお分かりかと思いますが、私がサポーターとして、自分事としてFC町田ゼルビアを応援するようになったのは2023年からです。
それ以前からゼルビアのことは地元のサッカークラブとして認知はしていたものの、どこか他人事のような感じで観ているところがありました。
なので私は自分のサポーター歴については「2023年から」とお話ししています。
その2023年というのはゼルビアにとっても節目となるシーズンであり私としても大変濃密な時間を過ごさせていただいたので、満足はしています。

ただ、私は2023年からサポーターになったことについて後悔していることもあります。
それは、「2023年からFC町田ゼルビアのサポーターになった」ということです。「何を言っているんだ!進○郎構文か!」とお怒りかもしれませんが、まあ聞いてください。

2023年にサポーターになったということはそれ以前はサポーターではなかったということであり、それまでにクラブに起きた出来事を実体験できなかったということなのです。それまでクラブが歩んできた歴史の生き証人となるチャンスを、みすみす見逃してきたということなのです。
私を2023年からのサポーターとするならば、J2優勝とJ1昇格こと当事者として見届けることができたものの、それ以前の歴史については二度と当事者になることはできず、過去の歴史として後追いで学ぶしかないのです。
私はSNSでゼルビアの過去の歴史について言及することもあります。それらの歴史は敬意を表するべきものでありサポーターとしては自分事のように誇らしいものでありますが、私が語るそれはつまるところ後付けの知識でしかありません。

石垣島決戦を経て地域リーグからJFLに昇格したこと。
Jリーグ入会をなかなか満たせなくてもあきらめずに奮闘し、遂に入会が認められて一度目の昇格を果たしたこと。
初めてJリーグに参戦するも苦しい戦いが続き、J2からJFLに降格した唯一のチームとなったこと。
J3で最後の最後に自動昇格を逃し入れ替え戦に回りながらも激闘を勝ち抜き、二度目のJ2昇格を果たしたこと。
今となっては伝説として語られる2017年のアビスパ福岡戦で、一人少ない状況から中島裕希がハットトリックを決めたこと。
J2で優勝争いを繰り広げるもJ1ライセンスを取得できず優勝と昇格を逃したこと。
何度も取得を断念してきたJ1ライセンスをようやく取得できたかと思ったら残留争いに巻き込まれたこと。
チームにとって長年の念願だったクラブハウスがついに完成したこと。

もっと早くサポーターになっていれば、これらの過去の歴史的な瞬間を当事者として目の当たりにすることができたかもしれません。
前の章までで話してきたとおり、経済的な状況やコロナ禍など自分ではどうしようもない事情によるところもあったので、仕方のない部分もあったとは思います。仕方のないことだしもうどうしようもないとはいえ、これについてはどうしても後悔が残ってしまうものです。

だからこそ、まだ見ぬ未来のゼルビアサポーターの皆さんには、同じような思いをしてほしくないと思っています。

FC町田ゼルビアは今、クラブの歴史の中でも最大の成長期、変革期を迎えています。
J1初昇格にして初優勝という、誰も成し遂げたことのない偉業に手が届くところまで来ています。
飛躍的な成長を遂げている今のゼルビアを当事者として直接見届けられるのは、当然ながら今しかありません。
もし今年応援することをためらってゼルビアがJ1初優勝を果たしたら、その歴史の当事者となる機会を一生逃すことになります。
「あの時サポーターとして応援していれば・・・」と振り返ってもあるのは過去の事実だけ。後からではどうしようもないのです。
なので今から応援しようかどうか、サポーターになろうかどうか少しでも迷っているのであれば、今すぐにでも応援を始めてもらいたいのです。

これこそが今回の記事を通して私が最もお伝えしたかったことです。
過去の私と、同じ後悔をしてほしくはないのです。

正直サポーターとして応援することが絶対に楽しいかというと、それは保証できません。
歓喜の瞬間もあれば、それ以上に多くの苦境に直面することもあります。スポーツという勝負に関わる趣味である以上、対価を払ってもその対価に見合った満足感を得られないこともザラにあります。
時にはお金を払って負け試合を見せられ続け、楽しみに来たはずなのにかえってストレスを抱えることとなり、「何でこんなことしてるんだっけ?」と感じることもあるかもしれません。
それでも、同志であるサポーターと苦楽を共にするということはそれ自体が貴重な経験であり、価値のあるものだと思っています。
改めて申し上げますが、少しでも応援を迷っているのであれば、チームのため、選手のために一緒に応援してほしいのです。今のゼルビアを応援できるのは今だけですから、後から後悔することのないように今この瞬間にしかできない経験を当事者として経験してもらいたいのです。
そして応援する勇気が出せたならば、できればゴール裏に来ていただいて一緒に熱く応援してもらえたら嬉しいです。

最後になりますが、私からまだ見ぬ未来のサポーターのあなたへ。
一緒にFC町田ゼルビアの、歴史の証人になってみませんか。
あなたの新たな挑戦を、心からお待ちしております。

ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。

Toru Kusakabe


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