タルタルソースを手作りできる暮らしが良いんだよ。
今週のエッセイ。
お昼にタルタルソースを作った。増える仕事を切り上げたある日。
自家製たくあんと新玉ねぎをみじん切り。横のコンロでゆで卵。色々あわせて出来上がり。
良いなあ、暮らしているって感じる。
仕事に圧倒されそうだった時間が僕のもとに戻ってくる。
今まで買うか諦めるか。タルタルソースの手作りなんて考えもしなかったのに。
時間をかけて、変わってきたものです。
暮らしのことなんて考えない時期があった。
仕事する。要るものは買う。眠る食べるに思い入れは無く、早く済むならそれが良い。
自炊して一度の食事で食べ切っちゃもったいないから大量に。
わざわざ手作りタルタルソースなんて、手間ひまそのもの。
それが良いなと感じる今。
なんだか自分、暮らしをしてる!!(・ω・)ノ
遊んだ時期、働いた時期、誰かと暮らし始めた時期、買って済ませず手作りする時期。
人生その時々の楽しみ。その時々の幸せ。
幸せが変化してきました。
『人生フルーツ』という映画が好きです。本もあります。
描かれる「ときをためる暮らし」が好きです。
貯める、より「溜める」だと思う。
野菜を育て、服を繕い、季節を愛し、贈り物を手作り。
ベーコンだって作っちゃう。手紙には味のあるイラストを添える。
家にも服にも食べものにも、かけた時間が含まれていく。
時間や手間が織り込まれる。積み重なる、溜まる、分厚くなる。
お金と引き換えに完成品を買うのは、過程を省いたインスタントな行為なのだと思い直す。
暮らしや人生に必要な過程まで省略せずにいよう。
疲れがたまるとマンガを読む。
流行りのマンガは世間の無意識を表すと思う。
一時期は「人が喰われる」が多かった。
流行りましたね。みんな人間が嫌だったのかな。
最近は転生もの。便利な設定。いきなり強い自分。
みんな過程を省略したいのかも。
いやめっちゃ面白いんですけどね。
でもどうなんだろう。
必要なものは省略できない。人生とは「過程」や「時間」のこと。
この日々こそが僕の人生。省略しても仕方がない。
インスタントな完成品じゃないことに意味がある。
強くてニューゲームは、僕の人生に起きなくて良い。
仕事が増える会議は疲れる。
次々と議題。増える仕事。慌ただしくて目まぐるしい。
完了していない感情が追いやられていく。
ToDoリストで自分が奪われる。
勘弁してって言いたくなる。
心を止めた方が生きやすい。
そんな社会は結局生きにくいんじゃないか。
人生その時々の楽しみ。その時々の幸せがある。
だからまた変わるでしょうけれど。
タルタルソースを手作りできる暮らしが良いんだよ。
これが人生この今の、僕の楽しみなのです。
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。