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私と太宰治~桜桃忌によせて~
1948年の今日、ひとりの作家の遺体が、玉川上水の激流の中から引き揚げられた。太宰治、享年38歳。彼の死から75年が経った今日、三鷹の空は美しく晴れ渡っている。
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そのころの私
中学3年生の頃、私はうつ病になった。
所属していた青少年楽団で、パワハラを受けたのである。新入りの中では何故か私だけが経験者然として振る舞わなければいけなかったし、少しでも失敗すると、皆の前でなじられた。
ある時、涙が止まらなくなって、人の声が怖くなった。
自分が悪いと思っていた。これをパワハラだと認められるようになったのは、本当に最近のことである。
絶望の淵に立たされていたそんな時、私はとあるゲームと出逢った。
『文豪とアルケミスト』の太宰治
2020年春。世界が新型コロナウイルスによって閉ざされていたその時、私は「特務司書」として文アルの世界に足を踏み入れた。文アルの世界では、国内外の名だたる文豪が特務司書によって転生し、文学を守る戦いへと駆り出されていく。そんな文アルの「顔」ともいうべきキャラクター、芥川龍之介と太宰治に、私は強く心を惹かれた。
文アルの芥川については、彼の誕生日に語ることにする。
私が文アルの太宰治に惹かれたのは、彼の真っ赤な見た目と、芥川に対する少女のような尊敬の眼差し、そして、生きる苦しみに翻弄されて尚立ち上がろうとするその勇姿である。
覚醒の姿が実装された今、彼は全ての弱さを肯定し、倒すべき敵である侵蝕者たちの苦しみをも理解し、人の心を守るために刃を振るっている。その姿は赤い大鎌に揺らめくマントも相まって、とてもヒロイックなのだ。
また、当時はアニメもやっていたし、地獄と名高い文劇3もこの時期であった。
最後のひとりになっても尚文学のために身を捧げる彼の姿は、間違いなく、私の心の支えになっていたように思う。
このときの俳優(平野良さん)の演技にとても心を動かされた。
今や文アルは、私の心の大部分を占めている。
文豪『太宰治』を知る
キャラクターとしての太宰を知る。そうすると、今度は史実の彼を知りたくなる。調べていくうち、彼にはたくさんの弟子がいることを知った。その中でもひときわ目を引いたのが、田中英光の存在である。
師匠である太宰の後を追い、太宰の墓前で自殺を図った人物。そのセンセーショナルな最期に興味を抱いた私は、彼と太宰の二人を中心に、評伝や随筆を読み漁った。
そうすると、見えてきたものがある。
『川端康成へ』や『如是我聞』などに代表される、文壇の問題児的な印象で見られることの多い太宰治であるが、親しい人物から見た彼は、とてもチャーミングで教養に富み、どこか言い知れぬ魔性を持った、彩りに溢れた人物だった。
ひとたび弟子を前にすると、彼の風貌は全てを知った頼れる大人に変化する。そして田中英光『生命の果実』に「津島さんは、それから以後も、重道のどんな詰らぬ作品でも、みんな賞めてくれた。」とあるように、自分が師匠に尽くしてもらった分、そして文壇に排斥されてしまった分、弟子たちに大きな愛を注いでいたのだった。
『人間失格』で大庭葉蔵が独白しているように、太宰自身は人間社会に馴染めず苦しんでいたのかもしれないが、私から見た彼はとても人間らしく、人間の美しさを秘めた人物に見えた。もちろん、妻子が居ながら愛人と心中したことなど、道徳的に擁護できないことも数多あるが、それでも私が彼を好きでいることをやめられないのは、その作品の素晴らしさに加え、太宰本人の持つ魅力が、とても強烈なものだからだろう。
おわりに
桜桃忌は6月19日だが、太宰治の命日は6月13日から14日の未明にかけてだと言われている。6月19日は遺体が見つかった日で、太宰の誕生日でもある。偲ぶだけ偲んだら、今日はしっかりお祝いもしておこうと思う。
生まれてきてくれてありがとう、先生。