本質について -人生-
物事の本質を見抜くとすべてが簡単に見えてくる。
ただ、この本質を見抜くのは、本当に難しい。
だから、自分が一番詳しいことを例にとって‘‘本質‘‘について考えてもらいたい。
まずは、医療関係者としての実例から入ろう。
よく、「もう、いいんだよ死ぬだけなんだから」と僕に言う方がいる。
食事もあまり食べないで水分も取らない。本当に待っているようだった。
ここで医療関係者は基本的に自分の立ち位置を無意識的に発動させてしまう。
「どうしてあげれば、この人は長く生きれるだろうか」と。
でも、これでは本質には迫ることはできない。
理由は簡単。相手の意思と自分の意思をリンクすることができないから。
だから失礼な質問を僕は投げかける時がある。
「なんで死にたいんですか?」と。
ここから話は絶対に広がる。
結果を話してしまうが、本人からでてきた言葉は「お金がないんだ」
「ある金だけでも子供に残してやりたい」だった。
‘‘死にたい‘‘の本質は‘‘金と愛情‘‘だったというわけだ。
逆に言えば、金はなんとかなるし、愛情は十分に受け取っていることを証明できれば、本人は‘‘生きたい‘‘になるかもしれない。
どんな福祉サービスの導入よりも重要なのは、家族との会話や思い出、家族から必要とされていることを認識してもらうことだった。
だから、どんなサービスの導入にも、家族に説明し家族から本人へ説明してもらうようにした。そして、定期的につながる手段としてビデオ通話の環境を整えることもした。
医療関係者らしからぬことをしたが、僕らの本当の目的は、
なんとかして生かす。ではなく、生きる目的を持ってもらうことだった。
これだけで本人は生きる目的を持ち、今は元気に生活している。
もし僕が、「そんなこと言わないでくださいよ。食事をとって運動もしたら少しは良くなりますから。サービスの検討しましょう」
なんてことを言っていたら、この方はどうなっていただろうか?
冒頭で言った通り、本質を見抜くことは意外と難しい。
ただ忘れないでほしいのは、‘‘なぜ?‘‘という疑問を持ち続けることだ。
ずっと深堀していった先に必要になるのが知識という名の‘‘手段‘‘だと思う。
先に知識をつけて、それを押しつけるとどうなるか?
手段だけ提示されてただそこから選ぶ。
この方法なら生きれますけれども、どれにしますか?と言ってるのと一緒だ。
少し長くなったが、本質について軽く書いてみた。
僕は医療関係者になって本当によかったと思っている点は、ここです。
次は、僕の大好きなサッカーに落としこんで考えてみようと思う。