新日本プロレス史#12【2000年代前半②】
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猪木問答
主力選手が相次いで退団する中、新日本プロレスに残った選手は蝶野正洋に第三世代の天山広吉、中西学、永田裕志といった面々でした。
アントニオ猪木が作り出した格闘技路線。
そしてその後の人気低迷。
彼らの怒りは猪木に向けられていました。
そして、2002年2月1日、蝶野が動きます。
自身の試合後にマイクを取り、猪木をリング上に呼び出します。
そして、猪木がマイクを取ります。
後に「猪木問答」と呼ばれるリング上のやり取りについて、ここではその問答の一部を紹介したいと思います。
蝶野「猪木さん、俺はここのリングでプロレスをやりたいんですよ!」
猪木「いいか!お前はただの選手じゃないぞ!
プロレス界を仕切っていく器量になれよ!」
蝶野「ここは俺に任せて欲しい!お前ら誰か他にやる奴いねえのか⁉️」
蝶野の呼び掛けに応じ、リングに上がってきたのは、中西、永田に、当時若手の有望株であった、鈴木健想と棚橋弘至でした。
猪木「お前は怒ってるか?」
中西「怒ってますよ!」
猪木「誰にだ?」
中西「全日に行った武藤です!」
猪木「お前はそれでいいや。」
永田「全てに対して怒ってます!」
猪木「全てってどれだい?言ってみろ!俺か⁉️幹部か⁉️長州か⁉️」
永田「…上にいる全てです!」
猪木「そうか。奴らに気付かせろ!」
鈴木「僕は自分の明るい未来が見えません!」
猪木「見つけろ!テメエで!」
棚橋「俺は新日本のリングでプロレスをやります!」
猪木「まぁ、それぞれの想いがあるから、それはさておいて…なぁ、お前達がホントに怒りをぶつけて、ホントの力を叩きつけるリングをお前たちが作るんだよ。オレに言うな!」
この猪木問答、不満がありながらも言葉を選ぶ選手達に対して、猪木が上手くスカすといった感じでした。
猪木に反旗を翻すところまでは至りませんでしたが、そんな中、ハッキリと自分の意思を伝えたのは、棚橋でした。
そしてこの棚橋の信念こそが、後の新日本復興の原動力となっていきます。
外敵との戦い
さて、2002年におこなわれた第12回G1 CLIMAX。
この時は「外敵」として参戦していた総合格闘技系の選手達(高山善廣、安田忠夫)との戦いも1つのテーマとなっていました。
そして、優勝決定戦は蝶野正洋vs高山善廣。
蝶野が勝ち、通算4度目の優勝を果たしましたが、ここで試合後に、高山のセコンドについていた安田と藤田和之が乱入し、新日本勢との大乱闘になります。
ここで永田がマイクを取り、蝶野や他の新日本の選手達に向け、外敵に対して、団結して迎え撃つことを呼び掛けます。
そして、これまでnWo JAPANやT-2000で、常に反体制側として戦ってきた蝶野でしたが、その呼び掛けに応え、外敵と戦うことで一致します。
ただし、外敵といっても藤田や安田は、元々は新日本出身で、猪木が総合格闘技の技術を身に付けさせた選手達です。
バックに猪木がいたことで、新日本のリングに上がっていたに過ぎません。
結局のところ、外敵との戦いというのは、形を変えた猪木との戦いでした。
本来ならば、新日本側としては、人気低迷の原因となった格闘技路線を止め、純粋なプロレス路線に戻したかったのだと思います。
それが猪木問答となり、それでも埒が明かずに、この避けては通れない外敵との戦いを続けることとなりました。
これで新日本は、いよいよ「脱猪木」へと進んでいくこととなります。
神の子
さて、2002年は1人の大物選手がデビューした年でもあります。
その選手とは、中邑真輔です。
中邑は、190cm近い大柄な体格に、デビュー時から総合格闘技の技術を身に付けており、次世代を担う存在として期待されていました。
そして、新人時代から総合格闘技に挑戦しながら翌年には、当時、天山が所有していたIWGPヘビー級王座を奪取し、同王座の最年少での戴冠記録を果たします。
この、後に「神の子」と呼ばれる中邑の活躍は、以後の新日本の復興に大きく関わっていくこととなります。
この先もしばらくは、低迷期が続く新日本でしたが、微かな希望の光が見えてきた時期でもありました。
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