まあ地下鉄東豊線が現在の形で豊水すすきのから福住まで延長
される前は当然「学園前」って駅もなく(ただ新校舎と共に
建設されつつはあった)、どの地下鉄の駅からも15分から20分は
かかる立地にあった。
一番多く使っていたのは昔遊郭が薄野から移設された菊水から
でも地下鉄のゲートも設置されてる中の島でもヘアシュで一時期
街としての灯が消された平岸でもなく乗り継ぎも必要だったので、
結局中島公園駅から歩いていた(まあでもはじめの1週間は、欲
を貼りすぎて、バイトしながら自治会に入り、交通費も勿体ない
からと札幌駅から大学まで歩いてた)。
パークホテルの少し西にある出口から右に向かって歩き出し、
複雑に交わる交差点を過ぎる辺りで、今はもうない2つの建物。
一つは六花亭と同じ建物に入るために移転したヤマハとヤマハ
ホール。ここは何故か主役もやったこともあるのに影の薄い
司会が影薄く進行してて、出向で来たばかりの上田耕行が自棄に
なりつつイベントを仕切ってはいて、2つやるうちの試写会の
うち1つはひたすら退屈で寝てしまう人達もちらほら、といった
あたり。そちらの試写会が終わって本チャンのゲストが「北斗星」
に乗って来てようやく登場、なんてなことがあったりもしたので
すが、まあこの話はおいおい後にでも。
https://m.youtube.com/watch?v=_aBhdiI2Tmk
もう一つは在学中だとまだ跡地として野晒しになってたミカド。
ほどなくしてキリンビールのビアホールとなり、モーニング娘。
がデビューシングル「愛の種」を手売りしていた札幌会場だった
ことでも知られていた(そこで体調不良を起こした飯田圭織が
不参加になる地でも)。
そして豊平川にかかる南大橋を渡る。ここを冬にとぼとぼ歩いて
行くのは結構キツかった。教養課程が当時はまだあったし、大部屋
授業の後ろでは必ず誰かが免許を取るための試験問題を解いていた。
この河畔沿いにあった自動車学校と連動していた。今は係争も
あったし、自動車学校は撤退してパークゴルフ場になっている。
南大橋を渡りきると、碁盤の目は見事に外されてて、旧豊平村の
地合が残る豊平区の道は実にカオスであると歩行者に訴えかけてくる。
大学と中島公園との中間地点にあるこのあたりにはスーパーと
アイス屋が何故かあり、スーパーは最終的に「ユアーズなんまる」で
時々利用していたけど、アイス屋はラボのようにして毎度前を通る
たびに変わり種のアイスを作っているようだった。
時は経ち、アイス屋は本社を西野側の奥地(をあえて伏見と自称
しているそうですが)に移して丸井さん(丸井今井)にもテナントが
入る「ミッシュハウス」になってるかと。
カオスに分岐する交差点に至るまでは大体一本道のように進まな
ければならないが、ここからは三々五々に人が分岐する、といふ感じ
で、それもまた豊平区旭町に突入したな、といふ合図の一つでもあった。
ってところがまあおおまかな本筋。
といふことでここからは「マイナーな地名スレ」の「旭町」に関する
補足部分も発掘は出来たので、そちらを加えると。
旭町は「マッキントッシュ」町。
〜分断と、断絶と、これもまた板垣遺産の一つなのかな
豊平区の「りんご並木」。|torov|note
ってことで「札幌地名考」は手元にあるので、詳細を拾ってみる。
更に現在に至ると北海商科大学が設立され、札幌商業学校は
共学化し(1986年)、北海学園札幌高等学校に改称(2004年)
されたと(なのでもう商業科はないんだっけ)。
で、もう一つ白石区時代に厚別にも旭町がありました。
「旭町」は厚別区ができる際に「厚別中央」に組み込まれ、
地区会館バス停に名を残すのみとのこと。
具体的なイメージはかつてTSUTAYAまであったが、今は
スーパーのアークス・ユニクロ・もりもとが密集している
あたりのバス停留所が「旭町」でしたか。