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いいねをしなくなったこと

 私のスマートフォンの容量って64Gで、JKにあるまじきギガ数でこれまでやってきたんですよね。言うまでもなくすぐにスマホがぱんぱんになってしまったのですが、最近受験大戦争終結によって時間がので、スマホの中身(主に写真、特に被写体元彼の)を整理しまくり、やっとこさnoteをインストールする隙間ができたのです! うれしい! ちなみにインスタグラムはまだブラウザ版です。

 ここまで下書き保存されていた。アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアというかんじだ。亜spと亜う゛ぉpkxklcgあmんhぺrjはprtじゃぃえrjh語知るt所為エアc;m曽ペおら宇甫;ギネ慣れ血らになれ螺というかんじだ。
 過去の自分は否定したくない。でもでもふりかえるとくるしいことはあたりまえに分かっています。あたりまえにわかっていたはずなのに、私は未来の私がもっと強くなることができているし、JKでなくなったのだから、もっといろいろなものに鈍感になっていると過信していたから、こんなことをしでかしてしまったのです。
 高校生だからできること、許されることを高校生のうちにやりたいっていう願望はきっと人一倍あって、それが、高校生にはあてはめられたくないけど自分から当てはめられにいくっていう奇行に私を導いていったんだとおもう。そういうおセンチな感じもJKっぽい。
 最近できたインターネットのおともだちがnoteを通してエッセイを読ませてくれた。そういえば私も目をそらし続けてきたブツがある……とおもって、唆されて読み返してみたら恥死どころじゃない、沈没です。もし私が死んだときは海洋散骨がいいなあと漠然とおもっていたけれど、こんなかたちで太平洋に還ることができるなんて思いもしませんでした。
 あのときの私のなかではしっかりと「意識されたイタさ」があったとおもうのだけれど、今となってはただ単にイタくてカワイソウな文章としてしか読めない。かなしいことです。大学生の私は高校生の私の二重のイタさと二重のイタみを受け入れられなくなっちゃった。たすけてほしいよぴよりせんぱい。
 でもでも、まだ太宰治のことが大好きって言えないし、好きな人にしねって言ってかかわりたいし、あるべき魂はまだ、まだあるとおもう。まだやれるとおもう。やっていくしかない。



ちなみに、noteは結局のところインストールできなかったし、インスタもブラウザ版でほとんどログインしてないです。女子大生だしね。
「いいねをしなくなったこと」→たくさんいいねできるようになりました!
いいねとおもうもの(好きな人たちの作品やつぃーと)に対して私の名の下にいいねと言えるようになったのは、いいねと言いたいと思えるようになったのは、よい方向性の成長だとおもう。さすがだね。


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