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日記 2024/11/5|大人になりつつある、のかもしれない

三連休は毎日調査に行った。
ずっとしたいと思っていた現地調査だったので、動き出せてとても嬉しい。

今回は会えないだろうな、と思っていた方にも思いがけず会うことができたので大変ラッキーだった。行ってみるものだなあ。

ところで、調査の依頼やお礼の連絡をメールでしたときに返信が来ないととてもヒヤヒヤしてしまう。「もしや私は何かめちゃくちゃ失礼な言い回し・お願いをしてしまったのでは……!?」と心配が胸の奥からもくもくと湧いてくるのだ。

結局いままではっきりと怒られたことはないけれど、それがイコール失礼なことをしでかしていないということにはならない。私のことだから、ボケーっと無自覚に無礼を働いているような気がする。

みんなそういう「これは相手に失礼だ/失礼じゃない」っていうのはどうやって判断しているんだろう?(ふつう分かるでしょ!ってことなんだとは思うが……)
私はいつでも「自分のやり方は間違っているかもしれない。何か失礼なことをしているかもしれない。」と思ってドキドキしているんだけど。

実際にやり始めてしみじみと感じるのだけど、聞き取りのような「人」に対する調査って、その方に対してはっきりとした見返りがない。下手するとただただ人の時間を奪う行為になってしまうんだな、と思う。(謝礼を払うケースはあるのかもしれないけど、卒論・修論の調査ではそれはかなりレアケースなのではないだろうか。)

だから、いま調査に際していろいろ対応してくださる方々には本当に感謝している……当たり前のことだけど。でも、そういう方々も、もしかしたら今後の私の失礼な振る舞いに不快に思って相手にしてくれなくなるのかもしれないな〜と考えたりもする。
未来は分からないけど、気をつけることはできるので精一杯気をつけよう。

こういう「人にお願いして何かしてもらう」ということが私はものすごく苦手だ。それに対してなにかを差し出せる自信が全然ないし、「お願いする」ということ自体が苦手なのだ。心の奥で「嫌だ!お願いなんて恐ろしいこと、したくない!」と子どもみたいな誰かが叫んでいるような感覚になる。

恥ずかしい話なのだが、それは私が家族にかなり甘やかされて育ってきたからなのかな、と最近(28歳にもなって……)感じている。今まではお願いする前に家族に用意してもらってきたというか。

そういう自分のふてぶてしさみたいなものを感じると、なんだか絶望的な気持ちになる。そんな日々である。

という感じで、特に結論も解決策もない。

ただ、いま感じているのは、自分がやりたいと決めたことを一所懸命やっているとこうやって「自分」に向き合う機会が増えるということだ。
いまは遅れてきた成長期で、大人になりつつある。のかもしれない。

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