手の中の理想郷
疲れた。ものすごく疲れた。
まだ週半ばだというのに、身体は悲鳴を上げることすらできず
ただひたすら、目の前を流れる事象を受け流すだけの装置と化している。
このままだと今週を乗り切れるかどうかすら危うい。
勤勉な労働者たる私は、疲労なんぞに振り回されるわけにはいかないのだ。
こういう時は、美味いものを摂取するに限る。
「食」ほど手っ取り早く、ありとあらゆるネガティブを解消できる手段はないだろう。
しかし身も心もよれている時は、外食をする気力すら湧かない。
大人しく近所のスーパーへ向かう。
普段なら絶対手を伸ばさない(伸ばせない)分厚い牛肉でも買ってしまおうか。
豪勢に寿司なんかもありだな…
そんなことを悶々と考えながら歩みを進めていると、スーパーの向かいに店を構える八百屋から賑やかな声が聞こえてきた。
思わずそちらの方向へと足が向く。
店内を物色していると、ふと鮮やかな色が目についた。
普段なら素通りしているその高貴なイメージの強い果物は、何の巡り合わせか、
驚くような価格で売られていた。
導かれるようにその果物を手に取る。
人生で初めて、桃を買った。
思い返すと、桃を自分自身のために手にしたことが無かったように感じる。
もちろん口にしたことは何度もあるが、
それは祖母の家で夕食を食べたあとに出てくるだとか、夏休みに親戚の家の畑に収穫しに行くだとか、
最近だとよく行く飲み屋の店主が「お客さんからもらったので良かったら」とお裾分けしてくれる、なんてこともあった。
とにかく自分の中で、桃という果物は「誰かに分け与えてもらうもの」という存在だったのだ。
この、少しでも力を込めれば簡単に潰れてしまいそうな柔らかな果物は、どう扱えばいいのだろう。
私はキッチンで一人、途方に暮れてしまった。
こんなに繊細なものだとは思っていなかった。
ふと、桃は桃源郷の果物であるという話を思い出した。
確か食べると不老不死になれる、なんて逸話もあったか。
その話を聞いた時は、「ずいぶんと大層なものだ」なんて思ったりしたものだ。
確かに香りも味も文句なしに良いし、何よりあの唯一無二のビジュアルは「理想郷の食べ物」と呼ばれるに遜色ないだろう。
でもたかが果物じゃないか。
不老不死をもたらすなんて、そこまでのポテンシャルは無いんじゃないか?
だが今実際に手にしてみると、これは確かに理想郷の食べ物なんだと実感する。
こんなに繊細なものを普段の生活に取り入れるなんて、不可能ではないか。
ネットを見ながら丁寧に皮を剥き、もはや手の温度でぬるくなってしまっている桃を1つ口に放り込む。
冷凍品やお菓子などでは味わえない、みずみずしい香りと甘酸っぱい果汁が鼻腔を通り抜ける。
破格の安さなだけあってだいぶ熟れてしまってはいるものの、
それにより極限まで高められた糖度が身体の隅々まで染み渡っていくのを感じる。
片手サイズの理想郷は、確かに私の疲れを癒してくれるものだった。
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