インターネットTRPG界隈から生まれるユーザー創作の取り扱いについての見解

先日「2024年のインターネットTRPG界隈のトレンドについて」の記事にも書きましたが、インターネットTRPG界隈におけるユーザー創作活動は、グッズ化やイベント化をはじめとして、IPとして一定の価値を持つようになってきました。

TRPGがより盛り上がろうとする時、そうしたユーザー創作が世の中で活躍していくことは、とても重要なことだと思います。シナリオやキャラクター設定を自分でつくることが前提になっているジェネレーティブな部分は、現代においてTRPGが特別である理由の一つであるからです。

そうした流れの中で、娯楽としてやっていたことが世の中に出ていく時に避けては通れないのは、それぞれの権利や利害関係をクリアにしていくという工程です。なかなかこういった話は表でしづらく、距離を置きたいと考える人が多いのもまた事実のように思います。ただ、必要なことであるのは確かなので、今回はやや小難しい話にはなってしまうかもしれませんが、TRPGにおける創作と権利の考え方について自分なりに少し書いてみたいと思います。

※本記事は個人的な見解を述べるものであって、何かを保証したり断定するものではありません。実際に困ることがあったら、専門の方に相談してみるようにしてください。


まず最初に話したいことは、現在のTRPGに関するユーザー創作の捉え方については概ね二つの方向性に大別することができそうだということです。TRPGを遊んでいく上で発生する創作物は色々とあると思いますが、今回はわかりやすくTRPGシナリオを題材に話をしてみます。

ひとつ目に、TRPGシナリオという完成品について、ルールブックに書いてあるものが元となって自分の創造性が加わったものだと考える場合、これはおそらく著作権法上においても二次的著作物に当たるということです。すると、ここでは独自に考えた物語やキャラクター部分についても原著作物の権利が及ぶことになり(著作権法第二十八条)、自分の著作物と言えど完全に自由ということにはならないかもしれません。

一方で、あくまで自分の創作した物語が別個にあってTRPGを使って遊べるようにしているのだという考え方もあります。その場合には物語部分とゲーム部分で二つの原著作物を持つ作品と捉えることもできそうです。そして、それぞれの権利は分離して運用される可能性があるように思います。一つの作品に全く別の権利が共存するのは少し不思議な感じがするかもしれませんが、ソフトウェアの世界ではよくあることだったりもします。

どちらの考え方を適用すべきかというところですが、社会的には前者寄りの考えが基本でありつつ、個々人に責任を求められるインターネット時代の流れとしては後者のような解釈をして物事が進むケースが増えていくことになるのではないかと思います。どちらの場合でも通すべき筋というものがありますが、一方の権利を認めるというのは他方の権利が認められないということでもあるので、実際にそれらが問題になり対立した場合には司法の判断が問われることになりそうです。


自分がよく勝手に憂いていることとしては、こうした流れの中でTRPGとユーザー創作が分離していってしまうことは、私たちにとって損失なのではないかということです。どうしても現状の仕組みやルールの中ではそうせざるをえない部分があるので、今後いろいろな対話や取り組みを通じて、二つが分離されなくてもTRPG文化発の創作が元気よく世の中に旅立っていけるような状態がつくられていくといいなと思っています。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。思い立って記事にはしたのですが、自分もまだ勉強中であまり広く議論したい段階ではないので、ご意見がある方はできればSNSに書き込むよりは、友人と話してみたり、あるいは私に話しかけて色々と教えてくれたらとても嬉しいです。

それでは、またお会いしましょう。

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