アンティコカフェ アルアビス@駅近くの地下街

アンティコカフェ アルアビスは、英語で表記するとANTICO CAFFÈ AL AVISと書く。イタリアのバールをイメージしたオシャレなチェーン系のカフェだ。店の面構えにも、そのへんのコーヒーチェーンとは一線を画す格式の高さがある。真っ赤な看板にANTICO CAFFÈ AL AVISという店名がセリフ体のフォントで掲げられており、店先には婉曲した優美な背もたれと華奢な足を持つ椅子が並んでいる。入口近くのショーケースに並べられたスイーツやフードは、さながら欧州の街角にたたずむバルを思わせる。

アンティコカフェが出店している街も、六本木のヒルズや東京ミッドタウン店をはじめとして、恵比寿や二子玉川などとなっており、店のイメージに合う都市が慎重に選定されているように思われる。

フリーライター田所洋介は、駅近くの地下ショッピング街にあるアンティコカフェ アルアビスの一席に陣取っていた。田所の相棒、VAIOのラップトップの画面にはアンティコカフェ アルアビスの公式サイトが開かれている。


”アンティコカフェ アルアビスは、
イタリアの日常のオアシスとなる
「バール」をコンセプトとしたカジュアルなカフェです。”

そう、アンティコカフェはイタリアのバールを模したオアシスなのだ。

”バリスタがいれる豊富なカフェメニュー、
新鮮なフィリングをたっぷりサンドした自家製パニーニ、
旬のドルチェ、焼き菓子、アルコールなど
一日中何度でも立ち寄って、気軽に楽しめる
バリエーション豊かなアイテムを
リーズナブルプライスで提供いたします。”

店頭ではバリスタたちが、オーダーを受けてからカフェメニューを作り始める。カプチーノをオーダーすれば、出てきた紙製カップの表面に木の葉型のラテアートがほどこされている。
しかも提供されるフードはサンドイッチなどとは呼称されない。あくまでもパニーニである。しかも、中に入っている具をフィリングと呼ぶのだ。

フードやスイーツのいずれも、他チェーンのそれとは比べ物にならないほどのクオリティだ。中でも田所のお気に入りはフレンチトーストだ。分厚く切られたフレンチトーストきつね色の焼き目がついている。フレンチトーストは人気商品らしく、ショーケースに並んでいても夕刻には売り切れていたりする。レジでオーダーすると、パンを温め、さらに上からシロップを湖が出来んばかりに振りかけてくれる。
さらに、望めばプラス100円で大きなアイスクリームを乗せてくれる。

お昼を食べ損ねた田所は、仕事の合間にアンティコカフェで、好物のフレンチトーストを昼食代わりに頂こうとカフェに入った。しかし、と田所は思う。

「まさか、こんなところまでババアゾーンが浸食しているとは。」

ババアゾーン。それは田所が作った造語である。田所はフリーライターというその仕事柄、都内近郊のあらゆるカフェで仕事をしている。しかし、一定以上の年齢の女性たちが集団で押し寄せるカフェー通称ババアゾーンでは、大声でパーソナルな話(例えばパチンコによる借金をこしらえた近隣住民など)が飛び交い、とても仕事どころではなくなるのだ。
一度ババアゾーン認定されたカフェは、その特性上、それ以外の顧客が寄り付きづらくなる。田所は首をかしげる。そう、アンティコカフェ アルアビスというカフェは、ババアゾーンからほど1億光年は離れたはずの所ーまさに日常のオアシスのはずだった。
店先に掲げられるセリフ体の英語名の看板、バルを思わせるオシャレな店内、横文字だらけのメニュー(モルタデッラハムと
パルミジャーノクリームにマッキアート)、これらの要素はババアゾーンを跳ね返す結界として有効に機能していたはずなのだ。
そう、スターバックスにおける呪文のような長いメニューのように。

トールアイスライトアイスエクストラミルクラテ。

田所は諦めて、目の前のフレンチトーストにナイフで切り込みを入れる。パンの上にたゆたうシロップの湖が決壊し、少し溶けだしたアイスクリームとマーブル状の模様を描き出す。一口大に切って口に入れると、卵液で柔らかくなったパンの食感とともにじわっとした甘さが口の中に広がる。咀嚼をすると、そしてわずかに噛みごたえのある卵液がしもっていないパンの歯ざわりも感じることが出来る。

やはりうまい。

「ああたね、それあれよ。やっぱりね、夫婦っていうのは、分からないもんだから。そうやってね、旦那の顔色ばっかりうかがってどうすんのよ。ああたね、それ、ガツンと言うとかじゃないのよ。ちょっとね、一呼吸おいて、それから、お互いじっくり話し合うのが夫婦でしょうよ。」

先ほどから隣のテーブル(正確にはテーブルを3つほど合体させた即席団体席)では10名ほどの団体が陣取り、老年を迎えた夫婦におけるあり方を議論している。主に発言発言権を持っている白髪でショートカットの婦人は、先ほどから「あなた」のことを「ああた」と連呼していた。

田所は熱いコーヒーを一口飲む。フレンチトーストの優しい甘みと、アイスクリームのクリーミーさには苦めのブラックコーヒーがよく合う。

「あのね、電気椅子に座るとね、全部治っちゃうのよ。血液の流れがさらさらになるの。」

団体席の逆側には、3人組が座っている。先ほどから、健康器具の実演販売について繰り返し熱心に語っている。田所は、実演販売会場の様子がありありと描写出来るほどの情報をこの3人組から得ていた。

実演会場には20代の若い販売員がいる。名前はみっちゃん。みっちゃんと書かれたネームプレートを胸につけている。

「みっちゃんはすごいんだよお。」

髪の毛を不自然に真っ黒に染めた老婆が言う。

「一発で来場者の名前全部覚えちゃうんだから。もうね、何百人も毎日来てるからね、何千人の名前覚えてるか分からないよお。」

実演会場には20個ほどの椅子が設置されており、お年寄りたちは20分ほどその椅子の上で電気治療を受ける。その間にみっちゃんが、画用紙に描いた図を使って治療器の効能をプレゼンするのだ。血液がさらさらになる、腰痛が良くなる、記憶力も回復…。

「裏のおじいちゃんなんかね、毎日かかってたら、杖いらなくなっちゃったんだからね。」

3人組のひとりが、そう自慢げに言う。治療器に毎日かかるリピーターがたくさんおり、毎日200人前後が来場する限りはその販売会場は存在し続ける。それゆえに、リピーターたちは新規の顧客たちを口コミで集客するのだ。治療器は、1台70万円程度するらしいが、一か月に10台近く売れているらしい。

田所は一口大のフレンチトーストをフォークに刺して、すっかり溶け切ったアイスクリームにからめて口に放り込む。そこにすかさず、ブラックコーヒーで苦みを味わう。

ため息をついて顔をあげる。先日に続き、ババアゾーンにはまってしまった。しかし、田所が以前にここを訪れた時、まだここはババアゾーンではなかったのだ。顔をあげる。地下街の通路を隔てて、目の前には大きなドトールコーヒーがある。座席間に少しゆとりを持たせた設計の大箱のドトールコーヒーだ。

かつて、このドトールコーヒーこそがババアゾーンであった。価格の安さも手伝って、このドトールコーヒーには連日お年寄りたちが詰めかけていた。そんな景色を見ながら、田所は適度に空いたアンティコカフェでフレンチトーストを楽しんでいた。しかし、いかにドトールコーヒーが大箱と言えども、近隣のお年寄りたちを抱えきれるだけのフロアはなかったらしい。ババアたちは、このドトールコーヒーとアンティコカフェの間に流れる深くて長い川を、海を二つに分けたもうたモーゼのごとく道を開き、いつの日か浸食してきたのである。

ババアゾーンの浸食。リアス式海岸よろしく、昼下がりのコーヒーを楽しむババアたちにとっては、オシャレなイタリアンバルも横文字だらけのメニューもフローズンドリンクをグラニータと呼ぶセンスも、防波堤としての役割を果たさなかったらしい。

「ああたね、だから、何回も言ってるけど、旦那がすべてじゃないからね。自分を、自分をちゃんと持つことがね、大事だから。」
白髪ショートカットの婦人は、さらに「ああた」に力を込めて力説している。

「やっぱりね、みっちゃんじゃないとだめよ。こないだ熱出したとかいって、代理の人来たけどね、なんか全然違かったからね。あ、今度みっちゃんが言ってたけど、ケイ素をさ、売るって言っていたから。健康に良いんだってケイ素。なんか5000円くらいだからさ、娘にも買ってあげようかなってさ。」
3人組の会話も、実演会場で販売されている健康食品への話題へと及んでいるようだ。

田所は、目を閉じてフレンチトーストの最後のひとかけらを咀嚼した。地球温暖化により地球の気温は上がり、北極や南極の氷は年々減っているという。同じように、オシャレカフェたちが、そのマーケティング能力を駆使して築いたオシャレの防波堤も、ババアゾーンというモーゼの所業の前には、なすすべもないのかもしれない。

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