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第4話 「人生はブーメラン」(和歌山県)

自転車日本一周旅 〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜


本州中央部から南側の太平洋に突き出る日本最大の紀伊半島。
U字型の紀伊半島を和歌山県から反時計回りに走ること6日目。
ようやく6時の位置にある本州最南端「潮岬」にやってきた。
本日は、野宿ではなく、串本市にある「みさきロッジユースホステル」に宿泊。チェックイン前だったが、YHに荷物を置かせていただき自転車で周囲を散策。
ここは素晴らしいところだ。
部屋から外を眺めると180度広がる太平洋が、ドカーンと広がる。今日は風がきついが誠に景色は素晴らしい。
少し走ると本州最南端へ行くことができる。
記念写真を一枚。
途中、大きな公園でキャッチボールをしている親子がいる。
のどかだ。

本州最南端から少し走ると、紀伊大島がある。
1993年に橋がかかり渡ることができるようになった雑誌によく特集される島なのだそうだ。
橋を渡り、行ってみることにした。
島特有の細かい起伏が続く。上り坂がきつい。多すぎる。
観光地らしいところがどこにもない。
引き返そうかなと思った矢先、「トルコ記念館」の標識が目に留まる。
なぜ、串本にトルコなの?
気になったのでトルコ記念館を見学した。
ここには、学校では教わることがなかった素晴らしい歴史があった。

1世紀以上前の日本とトルコを紡ぐ歴史。
1890年、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルツゥールル号」が親善大使団として日本に派遣されていた。
600名の軍人を乗せたエルツゥールル号は、日本を訪れ、横浜に数ヶ月停泊したのち、帰国する途中で悲劇が起こった。
折しも日本には台風が到来しており、強風に煽られ紀伊大島の樫野崎の岩礁にエルツゥールル号は、激突し沈没する。乗組員のほとんどが海に放り出され、587名が死亡もしくは行方不明となる大惨事となった。
しかし、中には一命を取り留めた乗組員もいて、島民は救助にあたった。
小さな島だから、たくさんの人は住んでいない。50軒ほど。
島民は、身体が冷え切っている初めてみる外国人に自分の服を脱いで、その人たちを抱きしめて、体温で温めたりして、懸命の介護を行ない、69名の乗組員の命を救った。
紀伊大島は漁場の村。あまり食料がない。まして、わずか50軒ほどの島に69名もの人の食糧などあるはずがない。すぐに食料は底をついてしまった。
困った島民たちは、島難時の非常食として大切に飼っていた鶏を与えることにした。人の命には代えられないと最後の砦を外国人に食べさせ、命を繋いだ。
事件の翌日には、紀伊大島の代表が和歌山県知事に報告し、当時の明治天皇に連絡が入った。明治天皇はこの惨劇を悲しみ、日本政府をあげて救助に向かった。
ほとんどの方は亡くなったが、丁重に埋葬し、生き残った69名の乗組員を2つの日本の軍艦に乗せて、日本中から集まった義援金とともに、トルコまでに送り届けた。
紀伊大島の島民の手厚い勇気ある行動が、日本人の素晴しさを伝える歴史であるが、この物語はその程度では収まらない。

時は流れて、エルツゥールル号事件から95年後の1985年。
イランイラク戦争が勃発した。
イラクの当時の大統領であるサダム・フセインが、とんでもない声明を発表する。
「今から48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と全世界に向けて発信した。
民間機、軍事戦闘機関係なく全ての飛行機を撃ち落とす、とありえないことを言い出し、世界中がパニックなった。
この宣言を受けて世界各国は自国民救済に動き出す。イランにどんどん飛行機を飛ばして連れて帰る。
当然、日本人も仕事や旅行などでイランに滞在している。215名もの日本人が、まだイランに残っている。
タイムリミットの48時間まで刻一刻と時間は迫っている。
しかし案の定、日本政府は出遅れる。自衛隊の軍用機を飛ばせば済む話でも、憲法9条の問題で自衛隊は海外へ行けない。
困った日本政府は民間航空機に依頼。ところが自衛隊でも行けないような危険地帯に民間人が行けるわけがない、と政府とやりあっている間に時間は迫っていく。
残された日本人はパニックです。

「各国は救助隊が来ているのになぜ日本はまだなのか」

「この戦争に巻き込まれたらどうしよう」

「家族を残してこのまま死ぬのか、無念」

タイムリミットの48時間が迫る中、日本人たちは、イランのテヘラン空港で途方に暮れて諦めかけていた。
もうダメかと諦めかけたタイムリミットの1時間15分前に、あり得ないことが起こった。
空港に2機の飛行機が颯爽と降り立ち、全ての日本人を乗せて飛び立っていった。

この飛行機、どこの国だと思います?
日本の飛行機ではありません。
トルキッシュエアライン、トルコ空港の民間機でした。
なぜトルコが日本人を救ったのか。


元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏はこういう言葉を遺している。

「95年前のエルツゥールル号の事故に際し、紀伊大島の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を今もトルコ人たちは忘れていません。
トルコでは子供たちでさえ、エルツゥールル号のことを知っています。
それを知らないのは日本人だけです。」

「トルコ記念館」
https://kankou-kushimoto.jp/spots/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8

偶然立ち寄ったトルコ記念館で、学校では習うことのなかった素晴らしい日本の歴史を学んだ。
旅に出ると五感が研ぎ澄まされる。太陽の光を浴び、汗を流し、人情に触れる経験を重ねれば、感性が豊かになる。
人間関係の達人 デール・カーネギーは

『人前ではいつもにっこりするよう心がけるだけでも、けっこう役に立つ。
微笑みかけられた相手が幸福になり、その幸福がブーメランのように、こちらへはね返ってくるからだ。
相手の気分がよくなれば、こちらの気分もよくなり、間もなく笑顔が本物になる。』

とコミュニケーションの極意を示している。
快適な自力旅を楽しむために必要なスキルだ。
与えたものはブーメランのようになって自分に返ってくる。
宇宙の法則は超シンプルなのだ。
疑えば、疑われる。
喜べば、喜ばれる。
与えれば、与えられる。
感謝すれば、感謝される。
笑顔で接すれば、笑顔が返ってくる。
しかも倍返しになって。
こんなことを思いながら、トルコ記念館からYHに戻る。

途中、太平洋の大海原が広がる公園で親子はまだキャッチボールを楽しんでいた。
そうだ、人生から返ってくる球は、いつか自分が投げた球なのだ。


映画「海難1890」
https://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E9%9B%A3%EF%BC%91%EF%BC%98%EF%BC%99%EF%BC%90-%E5%86%85%E9%87%8E-%E8%81%96%E9%99%BD/dp/B01GGPRZCS

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