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第10話「哀愁の元◯荘物語①」

自転車日本一周旅〜人生で大切のなことはすべて旅で学んだ〜



自転車日本一周中の6月下旬から7月にかけて、北海道の最果て「礼文島」で約1か月間、民宿アルバイトをした。
旅を美化するつもりはない。
結構惨めな体験を綴りたい。
民宿名はあえて伏せておく。

民宿「元◯荘」の玄関前で旅道具一式をくくりつけた自転車をとめた。
民宿内の様子を伺うと、二人の若い男が慌しく無言で働いていた。

「あのぉ、電話でアルバイトをお願いしていた者ですが・・・。」

僕は恐る恐る声をかけてみた。
髭をはやした方の男が掃除の手を止め、奥の部屋へ走った。宿主に伝えに行ったのだな、と下駄箱を見つめながら、旅のアルバイトの始まりに気合を入れた。
しばらくすると、宿主人ではなくドタドタと奥の方からおばさんがやってきた。

「ちょっと、あなた遅かったわね。」

いきなり、おかみさんらしき女性が、かなきり声をあげた。
ちょっとよく見るとちびまる子ちゃんのお母さんをパンダふうに太らしたような人だった。
遅いもなにも、稚内から礼文島へのフェリー本日第一便で急いでやってきたのだ。礼文島香深港フェリー乗り場から大急ぎでペダルを漕いで峠を一つ越えてやってきたのだ。
それに到着時間は、この時間になると電話で伝えていたのだ。

「まあ、いいわ。あがって履歴書みせてちょうだい」

なにがまあ、いいのか分からないが、とりあえず証明写真もきちんと貼った履歴書を渡した。
しばらく目を通して、

「あなた本当に26歳なの」

とおかみさんが言う。

「はい、そうなんですけど・・・。」

なにか悪いように答えた。
おかみさんは、おれの肌が黒いことと年齢の割にふけていることが気にいらないようだ。
この時点で突発的にアルバイトをしようとしたことを後悔した。

この二日前、天塩(てしお)にある稚内から約60キロほど南に位置するライダーハウスに宿泊した。
このライダーハウスはキャンプ場も併設し、無料だった。
ライダーハウスは、すでに何名かの旅人がいて、五人ほど寝袋にくるまればいっぱいになる小さなプレハブ部屋だった。
お金に困っていることはまだなかったが、アルバイトをしながら旅の資金を稼いでいくのはとても魅力的だと前から思っていた僕は、この時期数十年礼文島に通い続けているという60代ほどの無精髭をはやした初老になにかいいバイトはないかと尋ねた。

「この辺りで、なにかアルバイトはないですかね」

僕が尋ねる。

「そこに、バイト情報誌があるから、調べて電話したらいいねん」

初老は、おかしな関西弁で言った。
プレハブの隅に古い色あせた週刊誌や漫画、雑誌がでんと積まれていた。
数冊は、アルバイト情報関係のものだった。しかし、情報誌には札幌や旭川近郊の都会ばかりのもので稚内周辺の情報はほとんどなかった。

「ああ、やっぱ、タイミング合わないですよね。札幌まで引き返すのは大変だし、旭川も自転車で行くのも大変ですよね」

出来ない理由を口に出した瞬間。

「やらずに、あれこれ考えていても、始まらない。とにかくやってみなはれ。」

初老は、経営の神様・松下幸之助のような格言めいたことを言うものだから、仕方がないのでそばにあった利尻島、礼文島の観光案内用パンフレットの民宿や宿泊施設へ電話をかけまくった。
五件目ぐらいにひっかかったのが、礼文島の元◯荘という民宿だった。

「あのですね。アルバイトをしたいと思うんですよ。旅人で別にお金に困っているわけではないんですよ。自転車なんですよ。一生懸命働くんでよ」

僕は緊張とアルバイトができる喜びで思いつくことそのまま話し続けた。
なかなか相手のおかみさんも愛想がよかった。
これはいけると初老に目で合図を送ると、初老は親指と人指し指で丸を作って笑顔といっしょに金をきけという。こっちはバイトができる喜びでお金なんて別に気にしていない。初老はしつこくこの世の中すべて金じゃと金に飢えた浮浪者のごとくせまりくる。
僕は、思い切って尋ねた。

「一日働いてどのくらいもらえるんでしょうかね。」

それまで機嫌のよかったおかみさんの口調が少し変わるのを感じた。
ようやく実現しようとしたアルバイトがだめになるんじゃないだろうかと不安になったが、写真付き履歴書を持っていくということで無事にアルバイトの第一歩をクリアーした。
そうか、そうかと初老は、喜んでくれた。
そして何十年も礼文島にこの時期通い続けているこの人から、礼文島の魅力を聞かされた。
花の浮島といわれている礼文島は、400種以上の花が生息していて、緯度の関係で里山など低山でも高山植物が楽しめるらしかった。
花にあまり興味のない僕だったけど、ウニ丼発祥の島でもあり、ウニ以外にもおいしい海の幸や食べ物はたくさんあるらしかった。
礼文島でアルバイトができるなんて、なんて幸せ者なんだ。
礼文島の人は温かく、やさしく、人情が厚く、ウニなんて食いまくれるに違いない。なんといっても住み込み三食付きだからね、とうれしくてしょうがなかった。

ひたすら履歴書を眺めているおかみさんの攻撃はとどまることをしらない。
視線はその状態のままで

「だいたいね。お金のことばかり聞く人はねー、続かないんだからねー。」

と、どこか落ち度がないか必死で探すおかみさんが食いかかる。

「いやっ、これはですね。電話をする時、一緒にいた人がバイト料を『聞け。聞け。』としつこく言うものですから仕方なしに聞いただけなんですよ。」

僕が言い切る前にいきなりおかみさんは

「ちょっと、おにいさん、宗教なの。へんなつぼ売ったりしてないでしょうね」

今度は履歴書の職歴のなかで宗教団体に勤めていた記載にひっかかったのだ。
大学卒業後、四年間宗教団体職員として働いた。
何万とある宗教法人のごく一握りの団体が、私利私欲に走っているだけで、多くは世界平和を祈ったり、その実現に向けて活動している。
なにより信仰は、自己向上の研究の場なのである。

「別に怪しくないですよ。僕の信仰しているのは、人や社会に喜ばれるような働きをすることなんです。」

分かってもらおうと説明するもおかみさんに軽々と玉砕される。

「みんな、そういうのよ」

こっちは雇ってもらう立場である。
下手、下手にでる。
ひたすら謝る。
厳しい拷問の末、ようやくアルバイト採用となった。
この時点では気づかなかったが、この先、約1ヶ月の地獄的生活が始まろうとはこのとき知る由もなかった。

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