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第1話 「出発 20代は人生の交差点だ」(兵庫県)


ついに出発の朝がやってきた。
時は21世紀に突入し、八重桜が咲き乱れる2001年4月20日。
年度末まで仕事をきっちり勤め上げ、大急ぎで旅の準備を行った。
この日のために、たっぷりと旅の資金を蓄え、綿密なルート選定を行い、度重なる試走と厳しい野宿生活に備えて素早くテントを設営する訓練、ご飯を炊く研究などを実践して、新しい出発の朝を迎えたのだった。 
というのはウソで、実は一週間前に自転車を購入して数回その辺を走っただけだ。
テントは試しに一度だけ狭い部屋で張った。
道なき道を進むのが旅の醍醐味だと信じて詳細地図は買わなかった。
米など炊飯器以外で炊いたことなどない。
つまり、予行演習というものは一切なしで、自転車に大量の荷物をくくりつけてぶっつけ本番で、自転車日本一周旅に出発したのだった。

「まあ、なんとかなるだろう。」

人生の捉え方全体が適当なのだ。前向きなのだ。いや適当なのだ。これはもう私の性格なのだ。

人が事を成すのに必要な要素は次の三つ。
「やる気」
「時間」
「少しのお金」
準備は不足しているけど、楽観的人間は、4年間の社会人生活で蓄えた百万円、健康な体と自由な時間、そして自転車日本一周という大いなる野望を持って8時に兵庫県丹波篠山の自宅を出発。
26歳の春だった。

「しんちゃん、いってらっしゃい。」

「体に気をつけてムリしたらあかんで~。」

両親やたくさんの人の声援を背中に受けて勇ましく自宅を後にし、丹波市の祖父母宅に向かう。丹波篠山市から篠山川に沿って丹波市山南町方面に進めば、国道175号線に突き当たる。
ちょうど、篠山川と佐治川が合流し、一級河川の加古川支点付近の祖父母宅で、しばらくのお別れの挨拶を交わし、本格的に旅が始まった。
国道175号線を右に曲がれば福知山方面へ、やがて日本海に続く。
左に曲がれば明石方面へ明石海峡、播磨灘へと続く。
明石方面にペダルを漕ぎ始める。

走り始めてすぐに日本社会の構図を道路事情に見た。
完全なる車社会だ。
自転車の横スレスレを大型ダンプカーが走り抜ける。
トンネルの轟音、大型車の風圧でよろける危うさ。
自転車後輪左右上の荷物のバランスを取っての自転車走行は慣れが必要だ。
市町村境付近の歩道は完備されていない。
歩道のない国道は危険だ。
ゆっくり慎重にペダルを漕ぐ。
自転車は、自動車と同じく左通行が原則だ。
片側1車線の道路の場合、車道の左側端へ寄って通行する。
路肩の左側。つまり道路の左端ギリギリをバランスを取りながら走る。
この路肩がよろしくない。傾斜や段差がある。場所によっては排水口があり、走行には適さない。
左車道の路肩ギリギリを走ると、車が勢いよく走り抜く。
その度にドキッとする。
それより、端から1mほど中央側を走り、自転車の存在を後方から迫る車に知らせ、スピードを緩めてもらう方が安全であると判断。
対向車、後方車両に通行迷惑を掛けるが仕方ない。
左側通行は、後方の状況がつかめない。交通事故に遭遇するのは運任せのところがあるのだ。
前方不注意の酔っ払い運転に猛スピードで追突でもされたら、ジ・エンドだ。

「ププププーッ!」

背後から激しいクラクションの音。
振り返ることもできず、大型ダンプカーが、クラクションを鳴らしながら、迷惑そうに猛スピードで追い抜いて行く。
慣れない自転車走行と大型車の風圧でバランスを崩し、倒れそうになる。
そのタイミングで後方から猛スピードで走り抜いていく乗用車。
危ない。危険すぎる。
歩道がない国道を離れ、農道や迂回路を探しながら、安全な交通量の少ない道を選びながら進んでいく。
まるで弱肉強食の世界。
強いものが欲張りちらし我が物顔で道路を占領する。一方弱者は、慎重に小動物のように周りをキョロキョロしながら、遠慮しがちで、歩道もしくは路肩をひっそり走る。
格差社会の象徴だな、と道路事情に嘆きながら進まねばならない。
自動車を運転していたときには気づかなかったことだ。

国道175号線を南方面に突き進むと、国道2号線にぶち当たった。
国道175号線以上の交通量の多さだ。
左折すると神戸、大阪方面へ。大阪から東海道53次の国道1号線を走れば東京へ。そして一桁代の国道を辿っていけば青森まで行ける。
右折すると姫路、岡山方面へ。やがて九州、鹿児島まで続いている。
直進すると明石海峡に出る。
旅は選択の連続だ。
人生も、また選択の繰り返し。

人間が、生まれてから死ぬまでの間、何があるのか?
生まれて(Birth)から死ぬ(Death)までの間。
BとDの間にCがある。
Cとは、何か?
Choice(選択)である。
人生は、生きている間ずっと選択の連続。
どの道をどうやって歩いていくかで人生は大きく変わる。
結局、その場その場で瞬時に自分の決断で選択していかなければならない。
人生は、旅と同じように、生きている間ずっと選択の連続なのだ。
どこの高校に行こうか。
どの大学を受験しようか。
どこの会社に勤めようか。
どの自転車を買おうか。
どのテントにしようか。
どの携帯にしようか。
どんな晩御飯にしようか。
選択が多すぎる。
無数の選択を自分の判断で生きている限りしていかなければならない。
僕たちは、常に選択という名の人生交差点に立っている。
行く先、行く先で選択を繰り返してきた結果、今の自分がある。
いま、生きているということはその選択が正解だったということ。

国道2号線をまたいで、少し走ると海に出た。
明石海峡大橋が間近に迫る大蔵海岸で休憩をする。
ウエストポーチから日記帳とペンを取り出し心象スケッチする。
1、ダッパン
2、カイテキ
3、ゴエン
自力旅における選択理論のキーワードは、この3つだ。
脱藩 (ダッパン)とは、今いるところから抜け出すこと。古い環境から脱却し、新しい景色、新しい人に出会っていく。
快適(カイテキ)とは、スッキリ感。青空の遥か遠くまで見渡せるように、心がクリアーな状態で物事に接していく。
ご縁はランダムにやってくる。人生はランダム。全て偶然にまかせよう。風に吹かれて、心のままに運ばれよう。
自力旅は、古い自分の殻を破って、新しい未来を発見する体験の場なのだ。

生まれてから死ぬまで選択の連続。
何を選択し、誰と出会って、どう行動するかで人生は大きく変わる。
20代は、人生の交差点だ。
人生の分かれ道が無数にある。
変化できる可能性も無限にある。
未来を拓くカギは、全て自分の中にあるのだ。
旅に限らず、未知への挑戦をする時は、一歩を踏み出す勇気を躊躇する。しかし一歩を踏み出すと、後はなるようになるものなのだ。
勇気の羽を広げたら、必ずチャンスの風が吹く。
不安要素が、無いわけではない。交通事故、泥棒、病気や怪我などなど。どちらかと言えば、頭の中は不安や心配事に支配されている。
期待と不安の割合は、3対7ほどで、旅を案じる気持ちに軍配があがっている。
社会人として、このような勝手気ままな行為が許されるのかと言う後ろめたさもある。
しかし、やると決めたからやるのだ。
夢は逃げない.逃げるのはいつも自分なのだ。
夢が与えられる時には、必ず実現する力も与えられるものだ。

旅も人生も選択の積み重ねだ。
人生の岐路や交差点に立った時、右折か、左折か、直進するか、時に後退するか、常に選択している。
右折、左折、直進、どのような選択をしても行き着く先は、一つの大きな海だ。
大海は繋がっている。
人生もどんな道を選ぼうが行き着く先は皆、同じだ。
「死」という終着点に向かって俺たちは走っている。
大切なことは、どんな人生や道を走ろうが、今この瞬間なのだ。
心を燃やして歩める道を選べばいいだけだ。
最後に「まぁまぁ、気張ってよくやったなぁ。」と思い出が残ればいいのだ。

20代のメインイベントである自転車日本一周旅の基本方針を読み返す。
 ・日本の東西南北のそれぞれの最端に自力で立つ。
 ・旅が終わるまで自宅には帰らない。
 ・資金が尽きたら働く。

人生は玉入れ競技と同じだ。
歳をとった時に必要なものは少しのお金と友達、そしてたくさんの思い出。
その思い出をたくさん蓄える極意は玉入れ競技にある。
玉入れ競技の最中は自分が投げた球が、かごに何個入っているかは自分では分からない。
でも投げなければそもそも入らない。
だからこそ若いうちは玉を入れる作業を面白がる。
面白く生きるとはそういうこと。
それが人生の思い出作り。
思い出だと、どこかバカンスっぽい雰囲気がある。
思い出より人生のネタ作りと思った方がしっくりくる。
3つのキーワードと基本方針を貫き、人生のネタ作りをする。
さぁ、自転車日本一周旅のはじまり、はじまりぃ。

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