ADHDと生きていくこと
こんにちは。とりささみです。
2つ目の記事となります。最後まで読んで頂けると幸いです。
さて、記事のタイトル通り、ADHDについて書こうと思います。書こうと思ったきっかけは、Twitter上で「ADHD」がトレンド入りしていたことでした。目にした方も沢山居られるかと思います。
【ADHD:注意欠陥・多動性障害】
……ADHDとは
ADHDの有病率は報告によって差がありますが、学齢期の小児の3-7%程度と考えられています。ADHDを持つ子どもの脳では、前頭葉や線条体と呼ばれる部位のドーパミンという物質の機能障害が想定され、遺伝的要因も関連していると考えられています。
ADHDの診断については、アメリカ精神医学会(APA)のDSM-5(「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版」)に記述されており、下記などの条件が全て満たされたときにADHDと診断されます。
「不注意(活動に集中できない・気が散りやすい・物をなくしやすい・順序だてて活動に取り組めないなど)」と「多動-衝動性(じっとしていられない・静かに遊べない・待つことが苦手で他人のじゃまをしてしまうなど)」が同程度の年齢の発達水準に比べてより頻繁に強く認められること
症状のいくつかが12歳以前より認められること
2つ以上の状況において(家庭、学校、職場、その他の活動中など)障害となっていること
発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
その症状が、統合失調症、または他の精神病性障害の経過中に起こるものではなく、他の精神疾患ではうまく説明されないこと
(引用先URL→https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-04-003.html)
この記事を書いているということは、とお察しになられた方も居られると思いますが、私も、軽度ではありますがADHDなのです。精神科病院できちんと検査を受けて、証明書も頂いています。
私の主な症状は上記のうち、「不注意」と「衝動性」の両方に当てはまります。「不注意」の症状はそのまま、「衝動性」は、待つことが苦手、あとは、あまり知られていませんが、思ったことをすぐに言ってしまう、立ち止まって考えることができない。私はこれを「失言癖」と呼んでいます。どちらの症状にも苦しみましたが、特に友人関係の面では「失言癖」は大きな壁でした。何しろ、傍から見ればただの空気の読めない奴なのですから。1度仲良くなって、離れていった友人達も少なくありません。その度に、「なんで私はこうなんだろう」と、虚しい気持ちに駆られました。また、「不注意」の症状にも、学校生活を送る上で苦労しました。委員会の仕事を忘れたり、沢山忘れ物をしたり。きっと「無責任な奴」だと思われていたことでしょう。
思えば、小学生時代からこの症状がありました。それほど苦しく思わなかったのは、まだ幼かった故なのでしょう。中学生になり、精神が成熟していくにつれて生きづらさを感じるようになりました。周りとのギャップを感じるようになりました。それでも踏みとどまれたのは、全てを受け止めてくれる気の置けない友人が数人できたからです。問題はここから。私は高校生になりました。高校生になると、学ぶ教科が一気に増えます。順序だてて行動をとるのが苦手な私は、物事に優先順位をつけることも苦手でした。今の精神科に通いだした頃、主治医に言われました。
『普通の人はね、数学と英語に力を入れて、それ以外は手を抜くんだよね』
衝撃でした。手を抜く、ということが全く理解できませんでした。主治医が言うには、私は全てに100%の力を注いで行おうとする。その結果、疲れ果ててしまったのだ、ということです。
母に聞いても、やはりADHDの症状に心当たりがあったようで、「右と左が繋がってないよね、そういえば」と言われたことを今でも覚えています。
現在は投薬治療を経て、症状は以前ほど酷くはありませんが、それでも、たまに例の「失言癖」が飛び出し、父の機嫌を損ね、怒鳴られる日々。家族とギスギスする日々。やはり、生きづらいです。
話はTwitterで見かけた様々な意見に対して感じたことに移ります。
ある書き込みを拝見しました。
『ADHDの症状って誰にでも当てはまるよね』
『みんなそうなんだからこれを言い訳にされても』
その書き込みに、どのような意思があったのかは憶測に留まります。何しろ無機質な文字の羅列だけですから。でも、なんだか悲しくなりました。そして、思うのです。
確かに、誰にでもあるような症状かもしれない。
でも。
当てはまることと障害は、イコールではない
と私は考えます。
2つ以上の状況において(家庭、学校、職場、その他の活動中など)障害となっていること
発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
と、上記の資料にあります。
日常生活に支障をきたすから、【障害】と位置づけられているのです。生きるのに困るから、きちんとした精神科での検査が存在するのです。
他にも。
『発達障害は病気じゃない』
という意見を、発達障害を持たない方が仰っているのを時々見かけます。
ここからは私の素直な気持ちです。不快に思われたらすみません。
私は、「私の人格に問題があるわけではなく、病気なんだ。仕方ないことなんだ」と、ADHDだと診断されたときに救われた気がしました。発達障害を持たれる方が「病気じゃない」と仰るのなら、まだ分かるのです。その人が実際に感じていることなのですから。でも、発達障害を持たない方が言えることなのでしょうか。私たちの味わった苦しみを知らないあなたに、本当に分かるのでしょうかと、私は問いたい。少なくとも、私には逃げ道になりました。もしかしたら、他の発達障害に苦しんでいる人の逃げ道にもなりうるかもしれない。そう、私は考えるのです。だからどうか、闇雲に『病気じゃない』と言わないでください。病気かどうか、ハンデかどうかは当事者が決めることだと思います。
結びに。
ここまで読んでくださってありがとうございました。私的な内容である上に、個人的な考えばかりで申し訳ありません。ただ、親にすら分かって貰えない私の思いを、誰でもいいから聞いて欲しかったのです。
まだ、社会の中で発達障害は十分な理解を得られていません。「甘えだ」と言われることすらもあります。その社会の中で、生きていかねばならないのです。一人でもいいから、「そういう人もいる。足りない部分は助け合おう」と思ってくださることで、私たちは生きやすくなります。どうか、よろしくお願いします。
とりささみ