「夜天一族」最終章
最終章 「夜天一族」ヤテンイチゾク
「ママ!愛たかったー!いつまでいられるの?」
久々に顔を合わせた母親に擦り寄り、まるで飼い犬の如く視えない尻尾を振っているだろう菫青のテンションはMAXに達しようとしている。
「菫青~私も愛たかった~」
母親菊花は娘のような息子を抱き締めた。
「フフフ、嬉しい!月に来て好かったと思えることの一つだわ」
下手をすれば何年も顔を合わせることもないほど、一家団欒には程遠い家族なのだ。
「ナニかあったの?私達はしばらく月にいる予定よ。その後、一度、地球に戻ろうと思っているの。菫青はどうしてここに?星葉は一緒なの?」
菊花も久し振りに我が子に逢えたせいか、訊きたいことで一杯だ。
「セイも一緒よ。コン兄もいるわ。それでね、聞いてよ、ママ。非道いのよ」
菫青がこれまでに起きた事の顛末を語って聞かせる。
「それはご苦労様だったわね。でも、今までにない体験も出来たことには違いないわ。菫青にとってもね。無駄ではないわ」
月の裏側での出来事を延々と語り終えた菫青を優しい眼差しで見守っていた、この母はなんて寛大なのだろう。
「さすがママ!考えもしなかった。考えてる余裕もなかったけど、確かに初めての体験だったわ。ママは月の裏側に行ったことあるの?月の塔のことは知ってる?月の女神イーシャのことも」
訊きたいことは沢山ある。
畳み掛けるように菫青は逸る想いの丈を口走る。
それは様々な感情故のことだ。
「そうねぇ、月の裏側には数えるほどだけど、往ったことはあるわ。「人魚の国」の人魚達に逢ったわね。月の塔には往ったことはないわね。初耳だわ。女神イーシャ?逢ったことないわ」
この返答は菫青には意外だった。
宇宙を駆け巡るくらい、あちらこちらへ飛び廻っているが、それが却ってひととこに落ち着くことなく深く関わることも出来ない要因なのかも知れない。
「月の女神イーシャは月の聖母ユージニーと同一人物だったの」
結局、イーシャの依頼を完遂することは叶わなかったが、イーシャがユージニーに戻ったことにより月の塔も消えてしまった。
水晶の中に眠りに就いていたユージニーも覚醒の時を迎えて、この件は一件落着と思えたが、結果は予想を遥かに超えるものだった。
「あら、ユージニーなら知っているわ。友人だもの。突然、姿を消してしまった時には驚いたけれど。でも復活したなら直きに逢えるでしょう」
この母が月の聖母と友人関係にあるとは初耳だった。
それもそのはず、自分達が生まれる以前のことなどは知る由もないのだ。
訊こうにも当の両親は留守ばかりで顔を合わせるのも、年に数回と云った本当に自遊極まりない保護者達なのだ。
それでも、親には変わりないのも事実である。
「ママもだけど、コン兄もユージン様と友達だったし、アタシの知らないことばかりでびっくりよ。もう、うちってば自遊が過ぎるわ」
信じられない家族としか云いようがない。
実は他の兄弟に至っても、年がら年中、不在者ばかりなのだ。
「それでも、あなた達のことを一日だって忘れたことはないのよ。パパもママも何よりもあなた達は私達の宝物だもの」
どんなに離れていようとも、親は親、子供は子供。
兄弟の誰一人、忘れたことはない家族なのだから。
「ママ、ママのこと忘れたことないわ。パパのことだっていつも逢いたい。一緒にいたいと思っているもの」
知らず知らずのうちに菫青の睛から涙が溢れ出していた。
「菫青。ありがとう。私達の心はいつだって、あなた達と一緒にいるわ。忘れないでね。愛してる」
両手で菫青の頬を挟み、睛から零れた涙を拭う。
「ママ・・・今日の、そのお洋服もステキね。アタシがゴシックファッション好きなのはママの影響が大きいわ」
泣きながらでも母親の衣装チェックは怠りない。
夜天夫妻のトレンドは、古えの昔からマニアの多い白や黒を基調とした中世ヨーロッパをモチーフにしたゴシックファッションである。
ある程度の年齢が経った年配の愛好者を総称して「エルダーゴス」とも喩えられている。
「そうでしょ、やっぱり黒は最強よね。地球に帰ったら新調したいわ。菫青も一緒にショップ巡りしましょうね」
「する!する!絶対!約束よ。ママ!」
睛を輝かせた菫青の意識はスッカリ地球に飛んでいる。
「ええ、そうしたら、コザル王女も一緒に連れて行きましょう。彼女の美意識の高さは火星のオリンポス山より高いわ」
オリンポス山とは火星最大の楯状火山である。(標高21,230m、27km地表から)
太陽系内で一番高く、地球一高いチョモランマが富士山のような規模に思える。(但し、地球の山々は海抜を要する)
名前の由来はギリシャのオリンポス山からだ。
場所はタルシス地域に位置している。
地表に海がなく、大気もない火星は地球の海抜が地面だ。
それにしても、未だに活きた火山とは驚きである。
「そうね。王女もきっと喜ぶわ」
コザル王女も地球へ向かうと云っていた。
「パパならキッチンにいるわ。火星で面白い食材が手に入ったとかで張り切っていたから、今夜はパパの手作りご飯となりそうよ」
「夜天家」の主人は料理が趣味の一つでもある。
お陰で妻である菊花は滅多にキッチンに立つことはない。
「へぇ、パパの手料理も久しぶりだわ。楽しみがいっぱいになった感じ」
やはり、一番恋しかった両親の存在は大きい。
菫青のテンションも上昇中だ。
「ふふ。菫青のなんでも楽しむところがママは大好きよ」
嬉しい言葉を吐く娘のような息子を抱き締める。
「ママ!苦しい」
でも嬉しい。
久々の親子のスキンシップに盛り上がる。
「旦那様、こちらの盛り付けは如何なさいますか?」
広々としたキッチンで月の邸の従者ミンタカが「夜天家」の主に訊ねた。
火星で手に入れた食材の調理中である。
「うん、そうだな、大皿に盛り付けてビュッフェにしようか」
コック服に身を包み、本職ではないが妙に板に就いた佇まいの人物こそが、「夜天家」の当主「夜天天青」(ヤテンテンセイ)その人である。
「畏まりました。菫青様や星葉様もお喜びになられますね」
月の裏側まで同行せず留守番をしていた時に「夜天家」の当主達が半年振りに帰宅した。
なんの前触れもなく突然姿を現すのはいつものこと、既に慣れ親しんでいるミンタカ及びアルムとアルクのオリオン三兄弟にとっては特に驚くほどのことではない。
天青のサポートに一人だけミンタカがキッチンに入っていたのは他の二人より疲労感がないせいだ。
「双子達がこちらに来ていたとは驚いたよ。彼等に逢うのも久々だからね。親としては失格かも知れないけどね。だから、今は思いっ切り子供達を持てなすとしよう」
それがせめてもの親心と云うものだ。
「旦那様は充分に親としての役割を果たしていますよ。菫青様や星葉様の素直にお育ちになられた姿には感銘を受けましたから、決して失格ではございません」
盛り付けに集中しながらミンタカが応える。
火星食材の特徴の一つは野菜や果実の巨大化だ。
地球にも妖精の力を借りて巨大に育つ土地がある。
英国のフィンドホーンだ。
だが、火星は惑星全土で生育が好い。
「はは、君はおだて上手だな、ミンタカ。君達にも感謝しているよ。私達が留守の間、いつも月の家を護ってくれて有り難う」
主のいない月の邸宅の管理全般をオリオン三兄弟が担っている。
そこにプラスしてのコザル兄妹はいてもいなくても大差はない。
「ありがとうございます。そのように申して頂けて私達は大変幸せでございます」
料理を次々と皿に盛り付けてゆきながら、ミンタカは丁寧にお辞儀をする。
「本当のことを口にしたまでだよ。さて、盛り付けも完成したことだし、宴会としようか」
「畏まりました。ではリビングにお運び致します」
天青に応えてミンタカが出来上がった料理の皿をワゴンに移動する
「「私達もお手伝い致します」」
オリオン三兄弟のアルムとアルクも現れた。
「それじゃあ、二人にも運んで貰おうか」
「「畏まりました」」
丁度好いタイミングで現れた二人にも役割を与える。
「さあ、パーティーの始まりだ!」
天青が張り上げた声がキッチンに木霊した。
月の従者達が次々と料理を乗せたワゴンを運び込んでいる。
リビングにて親子の再会を楽しんでいた菫青が驚きの余り言葉を失っていた。
「・・・・・」
一体、誰が喰べるのやら。
「さあ、お待たせしたね。今宵は私の手料理祭りだよ」
コックコートそのままの「夜天家」の当主が登場した。
「パパ!」
ソファから立ち上がった菫青が間髪を容れず、天青へと跳び付いた。
「おー!菫青、久し振りだな。元気そうでパパは嬉しいよ。相変わらず可愛いね。娘のような息子だけど」
跳び込んで来た菫青を抱き留める。
久々の再会の抱擁に感極まる父と子である。
「うん、アタシは元気よ。パパ、愛たかった!やっと逢えてウレシイ以外に何もないわ」
両腕を天青の胴に巻き付け擦りより頬をよせる。
「嬉しいこと云ってくれるね。菫青。君は随分と大人になったんだな。しかし、君が一番ママに似て来たな」
思い返せば菊花と出逢った頃の姿に好く似て来たと思う。
「パパ!ウレシイ♡相変わらずダンディでカッコイイ。だけど、なんで今はシェフなの?今日は何があるの」
本当に今日はなんとも慌ただしくも目まぐるしい一日だった。
最後の最後にまだ何かイベントがあるのだろうか。
「パパ達は今まで火星にいたのだよ。そこでちょっと珍しい野菜や果物を手に入れてね。元々の種[タネ]は地球から持ち込んだものらしいのだけど、改良されるごとに火星の風土と相まって生長著しいのが面白いんだよ」
「パパ、いつの間にファーマーになったの?」
確か、この父はヒーラーでチャネラーでスピリチュアルセラピストだったように思う。
「そうだなぁ、パパは何でも屋かも知れないな」
好奇心と行動力が少しでもあれば、後はチャレンジするだけだ。
「うん、好きなこと出来るのって大事よね」
何事も嫌々やっても長続きはしない。
どうせやるなら好きを極めたい。
「あー!パパ、ママ、どうしてここにいるの!」
突如響いた甲高い声に、親子の和みの時間がぶち壊された。
「あーうるさい。セイ!声がでかい!」
眉間にシワをよせ、心底、嫌そうに菫青のテンションもダダ下がりだ。
「だって、ビックリするじゃん!まさか、ここでパパとママに逢えるなんて思ってもいなかったもん。でもなんでパパ達はここにいるの?」
驚愕するも嬉しいことには変わりない。
「火星での仕事がひと段落したから、地球で休暇を取る前に月に立ちよろうってことになったんだけど、ここで君達に出逢えるとは思いもよらなかったな」
思わぬ再会となった我が子達ではあるが、元気そうでなによりだ。
「パパ達、地球に帰って来る予定だったの?」
母親が自分と地球でのショッピングを約束したのは、本当に帰郷するつもりだったからなのかと改めて思う。
「その予定だったよ。地球で久し振りに家族みんなとゆっくり過ごそうかと思ってね。久々の休暇を取ろうかと思ってるんだ」
それは菫青が、星葉が、生まれてから初めての親子団欒のひと時かも知れない。
「ホントに?それが本当ならすごく嬉しい。ずっと希んでいたことだったもの」
本心が口を吐く。
「君達には淋しい思いをさせてしまったね。親として失格だな。どうにも、パパもママも仕事を優先してしまって済まない。自分の気持ちを抑え切れない性格でね」
親として子供達には申し訳ないやら、情けないやら、複雑な感情の嵐に見舞われる。
「うん、淋しかった。でも、そんな時に一緒にいたのがセイだったりコン兄だったり、最近ではコザル兄妹達もいて楽しいから大丈夫」
両親の留守での淋しさはあるけれど、それを補うだけの大事な存在がいることに改めて気付くことになった。
「そう云われると、パパ達の方がちょっと淋しいなぁ。それも子供達の成長と思えば喜ばしいのかも知れないけれど」
子供の成長は早いと云うが、しばらく逢わないと時間が経つのは「光陰矢の如し」である。
「パパとママはいつまでも年を取らないみたいで若々しいわ」
それは本人達の生きがいでもある仕事、支事または志事を持っているからかも知れない。
「嬉しいことを云ってくれるね」
全て理解している訳でも、了解している訳ではないけれど、全てに反対も反抗もしたい訳ではない。
「うん、いつかどっかで爆発するかも知れないけれど、その時は黙って視ていてね。そんな気分の時なんだと認めてくれれば好いの」
この子は本当に十代の子供なのだろうか。
そんな疑問を持ち得てしまうほど、魂年齢が達観していることに我が子ながら驚かされる。
「菫青、君は本当は何才なんだ?」
思わず訊ねてしまうほどに老齢だ。
「え?パパ大丈夫?アタシはこの間16才になったばかりよ。セイと一緒にね」
一瞬、何を訊かれているのか判断し兼ねてキョトンとした菫青が本気で父親を心配する。
「パパはもうダメかも知れない。本当は独りになるのが怖くて仕方ないんだ。だからいつもママに同行してもらっているんだよ。君達から母親を取り上げてしまって申し訳ない気持ちで一杯なんだけどね」
「パパ・・・なんて、可愛いの!あはは、まさか、両親不在の理由がパパだったなんて、意外すぎて笑えるわ」
笑いながら涙を流す。
菫青は久々に声を出して笑った気がする。
「そんな可笑しなこと云ったかな」
なんともバツが悪い気不味さと気恥ずかしさに居心地が悪い。
「パパは淋しがり屋ですものね」
どうやら母親の方は訳知り顔だ。
「へぇ、パパってば意外だね。でも、別に好いんじゃない?僕はたまに淋しいと思うこともあったけど、結構自由にさせて貰ってるから、余り気にならないよ」
結構な割合で脳天気な星葉らしい科白だ。
「セイらしいわね。まぁ、自分も似たようなものだけど」
どちらも深く物事を考えない、もしくは執着しない性格だ。
それがお互いに取っては救いとなっているのも事実である。
「あらー!?キッカですのー!いつ、月へ帰還したですのぉ?」
ひと眠りしてすっかり復活の兆しを視せたのは、コザル兄妹の妹、コザル王女である。
「王女!」
名前を呼ばれた菊花が王女と久々のハグを交わす。
「キッカ、お久しぶりですの。ここで逢えるなんて嬉しすぎるですの!」
「私も!愛たかったー王女!」
久々に顔を合わせた喜びに、その場が女子会と化す。
「あっ、テンちゃんニョロ。いつもどったニョロ?おひさしぶりニョロね」
コザル王子も空中を漂いながら姿を現した。
「おお!王子!元気そうだね。久々に逢えて嬉しいよ」
なんちゃってコック帽を被った天青の帽子の尖端に着地する。
その高さ約50㎝。
「テンちゃんも元気ニョロね。ボクもテンちゃんにあえてウレシイニョロ。どうして帰って来たニョロ?」
コック帽に留まりいつも通りのコザル王子に天青のテンションも上がる。
「うん、久々に子供達の顔が視たくなってね。地球に戻る途中で王子と王女やオリオン三兄弟、月の家の皆に逢いたくなったからね。それで、月に戻ることにしたんだよ。まさか、地球にいるはずの双子達に逢えるとは思っていなかったな」
地球にいるものだとばかり思っていた息子達に逢えたことは嬉しい限りだ。
子供達の教育方針は揺るい。
学習するのは本人の意識に任せてある。
そこへ、
「あ、コン兄、おかえりなさい。問題は片付いたの?」
姿を視せた金剛に気付いた菫青が迎えた。
「ああ、一応決着した。詳しく訊きたければ本人達に直接当たれば好い」
「え?」
金剛に云われて驚いた菫青の動きが静止する。
「やあ、先ほどは大変迷惑を掛けたね。改めてお詫びを云わせて欲しい。本当に申し訳ありませんでした」
そこには深々と頭を下げる月の貴公子ことユージン・ムーンシャインだった。
「ユージン様・・・とユージニーさんも一緒なんですね」
金剛とユージンの背後から現れた女性は、先ほど派手に親子ゲンカを披露していたかの女性である。
「こんにちは、本当に見苦しいところをお見せしてしまってごめんなさいね」
興奮も治まったのか二人共、落ち着きを取り戻したようだ。
「いえ、はい。かなりビックリしましたが、今後はどうするんですか」
月神殿を放棄してしまうなら彼等は何処へ向かうのだろう。
「ユージンは地球へ往くと云っているわ。ワタシはどうしようか考え中なの。月以外の星を知らないから、他の惑星へ向かうのは不安があるわ」
月の偉い人は行動制限があり、とても不自由を強いられていたのだと聞いた。
「あら、それならアナタも私達と一緒に地球へ往けば好いじゃないの」
それまで話を聞いていた菊花が二人の会話に割って入いる。
「え?あら?菊花?まぁまぁ、何年振りかしらね、あらあら、それってワタシも地球へ連れて往ってもらえるってことなのかしら?」
懐かしい顔にユージニーは少女の頃へ戻ってゆく想いに駆られる。
「そう、自由を手に自遊を謳歌しましょうよ。月神殿の方はどうするか決めたの?」
月の頂点に立つ者が揃いも揃って職務放棄とは前代未聞だ。
「そうねぇ、暫くはこのままにしておくわ。システムを少し替えて表向きは今まで通りよ」
なんとも呑気な返答である。
「そうなの、私達は月神殿に対してどうこう云える立場ではないから、あなた達が決めたことに対して反対はしないわ」
「ありがとう菊花。この時期にアナタに逢えたのも偶然ではないのでしょうね」
いつの世も偶然はない。
偶然を装った必然だと云われる。
「詳しいことは後で決めましょ。まずは腹ごしらえが先ね、乾杯しましょう」
菊花の言葉を合図にオリオン三兄弟が各々にグラスを手渡しする。
乾杯の音頭を取るのはもちろん「夜天家」の当主かと思いきや。
「コザル王子、乾杯の音頭を頼むよ」
天青がコック帽の上にいるコザル王子を指名した。
「いいニョロよ。ボクがカンパイするニョロね」
あっさりと快諾するとコック帽の上に立ち上がる。
「カンパーイ!ニョロ」
なんの前触れもなくコザル王子が声を張り上げた。
「「「カンパーイ」」」
その場にいた全員がグラスを掲げた。
久々の再会を祝した宴が繰り広げられる。
ここは月面なので、月の出も月の入りもない。
月面から視える地球は、地球から視える月よりも大きく視える。
そして、青く美しい。
「地球は本当に美しい惑星だわ。この美しさにどれだけ憧れたか知れないわ」
クリスタルドームの天井一面に地球の姿が漆黒の夜天に浮かんでいる。
「私は地球から視える月に憧れていたわよ。それが十代の頃、月面留学することが出来て、あなたに出逢えた。長い年月逢えないこともあったけれど、今のこの状況を思えば年月なんて関係ないものね」
ユージニーの憧れが青い惑星にあったように、菊花もまた、対を為す地球の衛星「月」に恋焦がれていた。
「今は、かつての夢を叶えることが出来ると思うと嬉しくて仕方ないの」
「月」の拘束、それは月神殿の祭司一族の身を守護するためのものと、神殿にまつわる情報漏洩を防ぐための手段でもある。
「でも本当に好いの?月神殿はあなたの一族が守り抜いていたものなのでしょう」
それを「月の主」が全て放り出すことに未練はないのだろうか。
「伝統に縛られていては先に進めないわ。守りたければ守れば好い。でも、強制するものでもないと思うの。身も心も自遊になるためにワタシは覚醒したのよ。未練なんてないわ」
潔ささえ感じるユージニー自身が持つ輝く銀色の髪と同様に視せた笑顔が
美しく。
只々、眩しかった。
リビングでは既に宴もお開きとなっていたせいか、静寂を取り戻している。
ソファには天青、金剛、ユージンの三人が座って寛いでいた。
「君もユージニーと同様に地球を目指すのかい?」
「はい、そのつもりです。私は月から外へ出たことがありませんから、今後は他惑星へも行く予定です」
学生時代に、たまにこの月の邸宅で天青と菊花に逢うことはあった。
しかし、いつも忙しい「夜天家」の主人達は、自宅と云えども滞在時間は極僅かなものだった。
「そうか、ならば地球滞在中は我が家に泊まると好い。金剛もいるし、私達もしばらく地球にいるので、なんでも頼って欲しい」
息子が一人増えたところで気にすることではない。
「ありがとうございます。とても助かります。そう仰って頂けると心強いですね」
天青にとっては久し振りの、金剛にとっても自分以外の誰かと過ごすのも久々で、ユージンにとっては初めての、それぞれの想いが月の夜を包み込む。
「人魚の国」へ出向いた子供達と宇宙兄妹は、初めての出来事に心身共に疲労も蓄積されていたようで、再び夢の国へと旅立っていることだろう。
やがて、今日のことは思い出に替わる。
その思い出が少しでも多く、楽しいことであることを希むばかりである。
大人達の静かで穏やかな時間が流れてゆく。
月から視える水の惑星〈地球〉の青さが只々美しかった。
♫ 星に願うならばなかったでしょう
月にはワタシ達のことが視える
失くしたものを何処へ探しにゆくの
過去から未来への想いを誓う
月の祈りの魔法を唱える
言葉をワタシに伝えて欲しい
視えずに探してた暑い夏も
ワタシは何から逃げていたのかな
ずっと まだ それさえも忘却の中で
亡くしたくないと知っている
その時のヨロコビもあの時の淋しさも
月の祈りのすべてをワタシに託し
ココロの底に焼きつく想いに切なくなる
月が満ちゆくまでは届かない
空の上ではアナタは幸福 ♫
月の貴公子が口ずさむ唄が耳に心地好く響いてゆく。
最終章「夜天一族」了