「夜天一族」第十一章
第十一章 「銀河の中心にあるのはブラックホールの際限ない収縮」
ギンガノチュウシンニアルノハブラックホールノサイゲンナイシュウシュク
「お帰りなさいませ。菫青様。星葉様。本日はお疲れ様でございました」
「夜天家」月の邸に戻った双子を出迎えたのは、独り留守を護っていたオリオン三兄弟の一人ミンタカである。
「「ミンタカ、ただいま~」」
双子が同時にハモッた。
「「お帰りなさいませ」」
「「!?」」
ミンタカに続いて現れたのは、月の裏側にて置き去りにして来た二人の従者だった。
「「アルム!アルク!」」
双子が驚きを口にする。
「アナタ達、いつ戻ったの?」
自分達が月の裏側から、表側の月神殿にいる間に邸宅へ戻って来たのだろうか。
「はい。月の塔が突然消失致しましたので、切りが宜しいところで人魚達とお別れ致しました」
アルクが菫青の疑問に応える。
「彼女達も私達も突如として搭が消えてしまったのには驚きましたよ」
アルクに続いてアルムも丁重に応えた。
「そうだったの。気になってたから好かったわ、自分達で戻れて」
二人を月の裏側に置き去りにしてしまったことが気掛かりだっただけに、本来在るべき場処での再会に安堵する。
「はい、ご心配お掛け致しました。我々はこの通り、何事もなく戻ることが出来ました」
「菫青様もお疲れのご様子。ゆっくりとティータイムになさいませんか」
アルクとアルムの二人の顔を視た途端、一気に疲労感が襲って来た。
「うん、そうね。頼むわ」
「畏まりました。早速、ご用意致します」
疲労困憊と化した菫青にアルムが優しく応えた。
もう、それだけで癒される。
「あっ僕はいらないよ。このまま、ベッドに直行するから。もう、限界だ」
とてもお茶など飲んでいる気力も体力もない。
星葉はフラフラしながら自室へ直行する。
「気持ちは分かるわ。でも、アタシはひと息吐きたい。王女はまだ目醒めないと思うから部屋に運ぶわ」
「破滅の呪文」の破壊力は物体だけでなく、生命体にも及ぶのかと思うと、ダメージは測り知れないのだろう。
今はゆっくりと憩んで欲しい。
「畏まりました。ではリビングにてお待ちしております」
「ありがとう」とひと言、礼を云い菫青は自室へ王女を運び込み、疲れ果てた王女をベッドへ横たえる。
頭上のティアラを外しサイドテーブルに置くと、そっと部屋の外へ移動する。
リビングに現れた菫青をオリオン三兄弟が持て成した。
「わぁ、美味しそうなマカロンだわ。お腹空いたし、咽も渇いてカラカラ、そして、疲れた。甘い物ウレシイ♡」
リビングのソファへ深々と身を沈める。
「お疲れ様で御座います。月の裏側は如何でしたか」
今回、同行しなかったミンタカが菫青を待っていた。
何処までも柔和な所作のミンタカに、疲労の濃い菫青の心身が癒されてゆくから不思議だ。
「うん?骨折り損のくたびれ儲け?って云うんだっけ、そんな感じ」
手渡されたおしぼりで両手を拭き終わると、直接マカロンを手で一つ取る。
「それは大変お疲れ様で御座いました」
成り行きを知らないミンタカである。
「うん、ホント疲れたわ。それにアルクとアルムも置き去りにして来ちゃったのも気が気じゃなかったわ。でも二人共、無事に戻っていて安心した。ふぅ、このマカロン様ってばウマウマ♡」
一口頬張ったマカロンに舌鼓を打つ。
この甘さと柔らかさと美味さが疲労感を癒してくれることは間違いない。
「彼等ならご心配には及びませんよ。何処でどのような状況であってもお気になさらずに」
ティーポットから紅茶をカップに注ぎ、テーブルにソーサーごと菫青の目前に置く。
「そうゆうものなの?オリオン星出身者は特殊な能力があるのかしら」
宇宙は広い、星の数だけ生命も多様だ。
「さあ、それは如何なものでしょうか。特に我々が特別な訳ではありませんよ。私共には菫青様達の方が特別です」
不思議な縁で出逢った「夜天家」の家人達は皆、オリオン三兄弟を大切に扱ってくれている。
それはとても有り難いことである。
「そうなの?そう云ってもらえて嬉しいわ。出愛いに感謝よね。そう云えば、コザル兄妹とも不思議な出愛いだわね」
異星界交流は面白くも刺激的だ。
「月での滞在はいつまでいらっしゃるのですか?」
「うーん・・そうねぇ・・・」
ミンタカの問いに応える途中で菫青の返答が途切れる。
不思議に思って菫青に視線を向けると同時に言葉が途切れた理由を知る。
「・・・お疲れのようですね」
ソファに横になり眠りの園へ踏み出した菫青に、ミンタカはそっとその場を離れた。
そして、再び戻ると眠る菫青にブランケットを掛ける。
夢を視ているのだろうと思う。
ナゼなら、宇宙服も酸素ボンベも宇宙船もない、いつも身に着けているゴシックロリータ服のまま宇宙空間を漂っているからだ。
『ここは何処の宇宙なのかしら?』
自分が生活拠点としている太陽系ではない宇宙。
その証拠に恒星の数が尋常じゃない。
円盤状銀河の特徴は中心に行くほど星の数が増えてゆく。
自分達が存在している太陽系は銀河の外れにある。
太陽系惑星に取って身近で一番輝いている恒星が太陽だ。
太陽より巨大な恒星は存在する。
その場合、地球から何光年も離れた距離に位置している。
でもここは眩いばかりの星々の光に満ちている。
「あれー?キンギョじゃん!どしてこんなとこにいるの?」
星は眩しいが暗黒空間に轟く、素っ頓狂な声の主は応えるまでもない双子の片割れだ。
「セイ、銀河の中心には何があるのかしら、知ってる?」
星葉はナゼか真っ白な着ぐるみの衣装を身に着けていた。
モフモフが宇宙に不釣り合いだが違和感はない。
「銀河の中心にはブラックホールがあるんだよね。そのブラックホールに、周りの星々が捕り込まれて、すさまじい勢いで吸い込まれてゆくんだ。だから、ブラックホールの周りの星々は加速する。グルグル回転してる姿が円盤状に視える。それを降着円盤云うんだよ」
実は宇宙好きの星葉なだけあって妙に詳しかったりする。
「?へぇ、そうなんだ」
銀河の中心にナニがあるのかなんて考えたこともない。
「宇宙はやがてブラックホールに吞み込まれて、星のひとつも残らなくなるって話だよ。本当かどうかは分からないけどさ」
やがて宇宙が消滅する?
「宇宙が消滅したらどうなるの?」
星灯りもない暗黒空間になるのだろうか。
「さぁ?例えば、三次元の物質宇宙がなくなるとするじゃない。でも、この宇宙は多次元で他の次元の宇宙が存在しているなら、宇宙は実は消えて無になることはないかも知れないね。それか、無になった暗黒宇宙にまたビッグバン的な宇宙が始まるかも?」
珍しく饒舌な星葉に感心するばかりである。
「どっちにしても、宇宙は謎だらけね。生命体と同じくらい不思議だわ。アレ?セイ、何処?」
今まで隣りにいたはずの星葉の姿はなく、それどころか銀河の中心から、いきなり太陽系へ戻っている。
「月と地球?」
今度は月と地球の中間に菫青は浮いていた。
「なんなのだろう?この空間は。でも、宇宙空間の地球も月もなんてキレイなのかしら」
自分以外誰もいない宇宙空間を漂いながら、うっとりと眺める。
「セイは何処へ行ったのかしら、こんな美しい月見も地球見もしないなんて、もったいないわねー」
「本当にね。地球も月もなんて美しい星なのでしょう」
独り言に返答されて、菫青は驚いて声の主を振り返った。
「えっ、どうしてアナタがここにいるの?」
視線を向けた先にいる人物に気付いて再度驚く。
「フフフ、どうしてかしらね?ワタシは何処にでも行けるのよ」
楽しそうに笑うのは、月の女神の本体であるユージニーだった。
「何処でも?それはスゴイですね。夢のような話」
「フフフ、そうね。だって夢だもの。ワタシ、人の夢の中にも自由に行けるの」
身体は眠りに就いているはずなので、今、視ているのは夢だと云う意識は感じる。
何故ならば、いくら太陽系が次元上昇したとは云え、身一つで宇宙空間を漂うことなど出来はしないのだ。
「なぜ、アタシの夢の中に?そうだわ、アタシを月に呼んだくせに逢うこともなかった月の女神とは、イーシャとは一体なんだったの」
夢ならもう遠慮もいらないと開き直ることにする。
意を決して菫青はユージニーに訊ねた。
「そうねぇ、何から話そうかしら、イーシャになったのはユージニーを水晶に閉じ込めた代わりに自由な身体が欲しかったからよ。ワタシは月の祭司でもあったから自由を手にすることは出来ずにいたの」
月の偉い人は行動するのも不自由を要するのだろうか。
「水晶の中に自分を閉じ込めちゃったり、分身の術みたいに別の人物になったり、月天人って地球人の想像の上を行き過ぎてて思考が追い着かないわ」
混乱する思考を落ち着かせようにも鎮まらない。
「考えなくて好いわ。理解しなくても好いの。只、ワタシはアナタに話しておきたいだけなの。聞いて欲しいだけ」
考えることも理解しなくても好くて、聞いてるだけで好いのなら、その通りにするしかない。
「それなら、お好きなだけどうぞ。アタシは聞くだけに徹すればいいのね」
ユージニーの正面に向き合う。
その姿を目の当たりにして「ハッ」と息を吞んだ。
月の貴公子ユージンも貴公子と称されるだけあって、月光のような凛とした美しさがあった。
その母親だけあって、月の美神の如く白肌は何処までも滑らかで正絹のようであり、睛の光彩は漆黒に浮かび上がる月光のような輝きを放っていた。
それは輪郭を彩る銀色の頭髪も同様であり、だから深紅に燃えるような脣が異彩を放つ要因であるように視えた。
だが、一つだけ違和感を覚えるのは、ユージンの母と云うのなら視た目が若すぎることだろうか。
何処からどう視てもユージニーの姿は十代の少女と遜色ない。
黙っていれば清楚で健気な美少女なのに、息子と対峙した時の対応が狂犬並みだったのには度肝を抜かれた。
「アリガトウ。ワタシは月天人の神殿の神子として生を受けたの。ワタシには兄がいたのだけれど、兄は神子でも祭司として選ばれなかった・・・それで妹のワタシが月神殿の祭司として受け継ぐことになったの」
今の話でユージニーには兄妹がいたのが分かった。
その兄はどうしているのか気になる。
「兄は元々自由を好む、自遊人だから、それを見抜かれていたのね。ワタシが十五才になった初めの満月の夜に戴冠式が行われたわ。でも、そこに兄の姿はなかった。兄はここぞとばかりに月神殿から姿を消していたわ。それから、現在に至るまで兄とは一度も逢ってはいないの」
つまり生き別れたままなのだろう。
他に兄弟姉妹はいないのだろうか。
「兄妹は兄とワタシの二人だけ、でも月神殿を受け継いでからはワタシ一人が月の祭司の血筋の者となったわ。でも、月信仰の頂点に立つ者であっても跡継ぎを産むことは許されているの。それがユージンよ」
聖職者が家族を持つことを許されているのは、地球でもかつて様々な信仰にあった。
その中で妻や子供と云った家族を持てる聖職者もいただけに、珍しいことではない。
「ユージンはワタシが18才の時に生まれた子供なの。月神殿の決まりでパートナーを持つことは出来ないけど、恋愛は自由なの。可笑しいでしょ。地球の常識とは違うでしょうね。地球には往ったことはないけれど」
確かに神格化された存在に恋愛は生々しい。
人はリアルよりファンタジーを求めがちだ。
王子様や美少女はトイレには往かない的なニュアンスと同義語かも知れない。
「ユージンの父親は同じ月天人だったわ。だから、一応月天人の純血は守られているの。月には地球のような結婚制度はないの。結婚の制度なんて地球の何世紀も前の古い仕来たりですものね」
月に結婚制度がないとは初耳だ。
それは月神殿の出身だからでの話ではなさそうだ。
「あっ、それからね。ユージンには弟がいるのよ。今は月にはいないけど、あの子ったら、何処にいるのかしら。あっちこっち放浪の旅に出てるみたい。ワタシが水晶の眠りに就いていた時も好くチャネリングして繋がってたわ。ユージンなんてワタシと繋がろうともしなかった。一度のチャネリングもなかったのよ。ヒドイでしょ」
「え!マジで?」
思わず驚愕の声を上げてしまったほどに、衝撃的な告白だった。
弟の存在も、ユージンのコンタクトスルーに関してもだ。
「ええ、マジよ」
ニッコリ女神の微笑みで応えられても、逆に恐怖心しか起こらない。
月天人に常識も良識も期待してはいけない気がする。
「弟の名はジーニー・ムーンシャイン。二人共、ワタシの名前から命名したの。分かりやすいでしょ」
云われてみれば、ご尤もな名付けだとは思う。
単純と云えば単純だ。
「でも、まあ、息子達の話はもう好いわね。ワタシもユージンも月神殿を放棄することにしたの」
そんな簡単に決めて好いことなのだろうか。
疑問だらけだ。
「それじゃあ、月を信仰する人達はどうなるの。信者を裏切るの?」
月信仰は太陽系惑星の中でも崇拝する者達が多数いる。
どんなに時間が経過していても、ココロの拠り所としての信仰心は人々の心の底にある。
「いいえ、月神殿は今まで通り、只、ワタシとユージンは直接は関わらないと云うこと。正確に云うと、偶像は本物でなくても構わないのよ。この意味分かるかしら?」
分かる訳ないのが本音だ。
「月天人の縛りを解放するのよ。もう、誰もワタシ達を止めることは出来ないわ」
『月天人の縛り?確か、月の祭司は月から出られない掟があるとかないとか』
正直、菫青にはどうでも好いことなのだが、一応、大人しく聞いておくことにする。
微妙に頷き、菫青は黙って続きを聞くことに専念する。
「遥かな過去とは違って、現在はどの銀河、どの惑星間も自由自在に行ける時代なのに、月天人の頂点に立つ者だからって、他の惑星への移動を禁止されるなんて御免だわ」
つまり、自由を手に入れるために、不自由な立場からの解放は絶対必要不可欠なのだろう。
「ユージンのことも解放してあげないとね。本来なら今まで通りワタシの跡はユージンが月神殿を継ぐことになっていたのだけど、それが予定より早まってしまったからユージンにとっては単なる押し付けでしかなかったようね」
不自由な月神殿の継承者のせめてもの抵抗が、月の貴公子として唄を披露することに繋がっているのだろう。
しかし、夢とは云え、そろそろユージンの話に飽きて来た。
まだ続くのかと緩む気を引き締めようと身構える。
「ふふ、そろそろ、現実の世界に戻りましょうか」
菫青の思考が見事に読まれている。
瞬き一回分の間だったと思う。
一瞬でユージニーが姿を消した。
見上げた天空には煌々と煌めく満月があった。
「あれ?月が遠い。地球に戻ってる?」
なんだか久々な気がする。
月はいつ視ても美しい姿を届けてくれる。
それだけで心が洗われるようだ。
月に見惚れていた。
「ずっと、視ていたいな」
夢でも好い。
「キンちゃん、サーターアンダギーたべるニョロ?」
聞き間違うことはない、声の主はコザル王子だ。
「え?王子、なんでサーターアンダギー?」
突如、眠りから醒めた。
「アレ?ユ・メ?アッそうだ!」
いつの間にかソファに寝そべっていた菫青が勢い好く起き上がる。
「おはよう。菫青。好く眠れたかしら?だけど、喰べながら寝るのは好くないわ。虫歯になるわよ」
寝惚けた状態に一瞬、思考が停止する。
「あ?ママ!どうしたの!?なんでここにいるの!いつ月へ?」
自分が寝ていたソファに母親を視付けて驚嘆する。
「アナタか夢の中にいる間にね」
目の前に現れたのは、菫青の実母「夜天菊花」(やてんきっか)である。
「ママ!愛たかったー!」
喜び勇んだ菫青が、母親に全力で抱き着いた。
第十一章「銀河の中心にあるのはブラックホールの際限ない収縮」了。