「夜天一族」第十章
第十章 「天上の館」テンジョウノヤカタ
月を統べる月天人(テンジョウビト)がいる。
その聖なる領域は「月神殿」もしくは「天上の館」と呼ばれている。
月を信仰する者の拠り所として頂点に君臨しているが、その実情はいつ放棄してやろうかと四六時中考えているのである。
「ねぇ、王女?アタシ達ってば、いつここに来たのかしら?ここって月の裏側じゃないわよね。ってゆーかここ何処なのかしら」
目の前には巨大な山のような水晶群が薄暗い室内のど真ん中に鎮座されている。
同じ空間に菫青は佇みコザル兄妹は宙を浮き、星葉はナゼか巨大水晶に抱き着くと云う謎の行動に出ていた。
「ここは「月神殿」ですの。別名「天上の館」とも呼ばれていますの。ここには一瞬で次元移動されましたの。月の貴公子の仕業ですの」
なんだかさりげなく衝撃的なことを聞かされたような気がする。
「ええ?ユージン様は魔法使いかなんかなの!」
「「月天人」は特別ですの」
月天人より特出しているコザル王女に特別扱いされているのも不思議な話だ。
「それよりも、あの大きな水晶もすごいけど、セイはなんでアレに張り付いてるのかしら?頭オカシクなったの?」
月の塔での現象を知らない菫青にとっては、星葉の姿は奇行にしか映らない。
「セイチョンは月の塔の巨大水晶の洞窟でもはりついてたニョロよ」
星葉と一緒に行動していたコザル王子が応える。
「そんなに水晶が好きだったかしら」
菫青の脳裡にはそんな記憶はない。
「月の塔の水晶はゼリーみたいにプルプルで中に沈んでったニョロ」
月の塔が普通でないことは既に体験済みだ。
プルプルゼリーの水晶があっても可笑しくはない。
「なんだかとっても美味しそうね。でも、今、目の前にあるのはカチカチ水晶よね」
その証拠に張り付いたままの星葉は微動だにしない。
「それよりも、これからナニが始まるのかしら?アタシなんて、結局、目的を果たすことも出来なかったわ。ホントにナニしに月まで来たのかしらね」
月の裏側にある月の塔は現実放れした場処だった。
呼び出しておいて、一向に現れない月の女神に翻弄されただけ莫迦を視た感じだ。
「はいですの、アタシもそう思いますの。時間のムダですの。そんなムダな時間すごすなら、ずっと、キンちゃんと一緒にいたかったですの」
コザル王女の愚痴まみれの言葉を受けた菫青だけが睛を輝かせた。
「王女!ウレシスギルワー。なんてこと云ってくれるのぉ、もう!」
目の前に浮いている王女の手を引き抱きよせる。
「キンちゃん、くるしいですのぉ!」
抱き潰されようとしているコザル王女が絶叫する。
「ウフフ~だって、こんな嬉しいことないわー。もう、早いとこ家に帰ってまったりゆったりしたいわね」
目的を見失っては何をして好いのか分からない。
「それで、ユージン、私達を月神殿まで連れて来た理由はなんだ?」
月の裏側の「人魚の国」にある月の塔へ往ったは好いが、目的を成し遂げたとは云い難く、どこか胸にモヤモヤとしたものが残り後味が悪いばかりだ。
「今、ここにいる君達にこの場に立ち合い、証人となって欲しいのだ」
ユージンの声が月神殿のクリスタルドームの天井に木霊する。
「立ち合い?なんの?」
そう云えばと思い出したことがある。
金剛が月に呼ばれた理由の一つがユージンからの依頼だった。
「我が母、ユージニーを覚醒させる。そのためには月の女神イーシャを封印させる必要があるのだ」
「「「???」」」
月の貴公子の言葉の意味を理解出来ずにいるのは、金剛、菫青、コザル王女の三名である。
「ユージニーは何処にいるのだ?イーシャと関係あるのか?」
ユージンは訳知りのようである。
あるのなら、ちゃんと説明して欲しいものである。
「大ありなのだよ。イーシャ、そこにいるのだろう。いつまで私達から逃げるつもりなのだ?」
巨大水晶の上部を視上げて、月の女神の名を呼ぶ。
薄暗い室内を照らすのは巨大水晶群、本来ならば水晶自体は発光しない。
だが、ここは月面世界であり、地球とは異なる常識が存在している場処なのだ。
仄白く発光する水晶の中に、人の姿が浮き彫りにされていた。
それが有り得ない状態なのは目に視えて顕かである。
巨大水晶が柩のように視える中で眠る一人の女性と、その水晶の前に佇む一人の少女の姿もあった。
彼女達は誰なのか。
初見である菫青には分かる由もない。
それは星葉と金剛も同様である。
だが、コザル王女は知っていた。
そして、多分、コザル王子も知っている。
そこにいるのは紛れもない、先ほどまでコザル王女と一緒にいた月の女神本人なのだから。
「イーシャですの」
「えっ、ってことは月の女神ってこと?」
驚いた菫青はコザル王女と、月の女神らしき少女イーシャに交互に目線を走らせる。
戻るとは一体、どう云う意味なのだろうか。
「それってどおゆうことなの、アタシにはナニがなにやらさっぱり分からないわ。理解不能としか云えない」
思考が追い着かない、グルグルする脳内を落ち着かせようと必死な菫青を余所に、コザル王女が月の女神へと浮遊してゆく。
菫青やその場にいる者達の視線が釘付けになる。
「コザル王女、アナタもここへ来ていたのね。また逢えて嬉しいわ」
月の塔で見失ったコザル王女の姿に、月の女神は歓喜の声を上げた。
「やっとここへ戻る気になれたですの?イーシャ」
どこまでも強かな態度を視せるコザル王女は、余程、月の塔でのイーシャに不満だらけなのだ。
「んー、本当は戻る気はなかったのだけど、もう飽きちゃったし、詰まらないので月の塔は消滅させたわ。コザル王女も破壊の呪文を口にしていたし、丁度好いタイミングだったのね」
さらりと恐ろしいことを平然と云って除ける月の女神に、その場にいた殆どの者達が驚愕と戦慄に心身の硬直に見舞われる。
「そうですの、アタシも、もう月の塔には用はないですの。キンちゃんとも逢えましたし、今はまだ、月の貴公子にこの場にいるように云われましたの、だからここにいるですの」
イーシャの言葉の意味なぞ、構うことなく、コザル王女は何処までも無表情だ。
「コザル王女がなんだか、いつもの王女ではないみたいだわ」
強かなコザル王女の姿は初めて視るかも知れない。
それは菫青の目にはとても新鮮に映った。
「それにしても、コザル王女はどうしてだか機嫌が悪そうだな」
金剛の興味は月の女神でもなく、ユージンでもなく、コザル王女の態度に集中していた。
「ナニナニ?王女がどうかしたの?」
巨大水晶に張り付いていた星葉がいつの間にか二人の傍にいて、金剛と菫青の間に割って入った。
「月の女神が現れてからコザル王女がご機嫌斜めなの」
状況を見守っていた菫青が説明するが、自分自身も二人の間に何事があったのかは不明である。
「ふーん、王女の機嫌が悪いなんて珍しいね。きっとナニかあったんだろうね。それよりも今から何が始まるの?」
不機嫌なコザル王女のことよりも、これから何が起こるのか、そっちに興味津々である。
「知らないわよ。月の塔ではコザル王女とは別行動だったし、月の女神当人 には逢えないし、過去のトラウマは思い出すし、あっでも、コン兄には逢えたけど、それにもう月の塔は無くなったらしいわよ。そこにいる月の女神本人が云ってたからホントなんじゃない?」
菫青にはこれから「何事」が起こるなんて知る由もない。
意味不明なことだらけである。
「そこにユージンさんがいるなら、あの人に訊けば分かるんじゃないの」
この脳天気兄は簡単に云ってくれる。
菫青に取って雲上の人である月の貴公子ユージン・ムーンシャインに、自分から話し掛けられるほど図々しくはなれないのだ。
「そんなに気安く話し掛けられないわ」
畏れ多くも菫青に取っては憧れの存在なのだ。
そんなに易々と話し掛けるなんて出来はしない。
もちろん、これは気持ちの問題なのではある。
自分にはまだまだハードルが高いと感じてしまっている。
「えっそおなの?んじゃ、僕が訊いて来ようか?あの人意外に話し易かったけどね」
「え?ちょっと、セイ!」
菫青の戸惑いなど気に留めることもなく、星葉は月の女神を凝視したまま佇むユージンの許へ、あっと云う間に移動していた。
なんと抜け目のない、少しの隙もありゃしない。
「一体、何を訊く気なのかしら、あの子ったら、余計なこと云わないでしょうね」
本人には聞こえないと知りつつ、やはり星葉の動向が気になってしまう。
ジッと星葉から視線を外すことなく、菫青も身動ぎ出来ずにいる。
「ハロー、ユージンさん、これから一体、何が始まるんですか」
遠慮も戸惑いなど微塵の欠片も持ち合わせていない星葉が、案の定、友人知人に出逢った時のような気安さで接している。
「やあ、君か。君がいると云うことはコザル王子も一緒にいるのかい?」
既に顔馴染みとなっているせいか話し方もフランクだ。
「あ、はい。コザル王子も王女も弟もコン兄もいますよ。これからナニが始まるんですか?みんな訳分からずですよ。説明して下さい」
誰にでも物怖じしない性格の星葉は、ユージン相手でも変わりない。
「そう慌てないでくれ、それを今からお披露目しようと思っているのだからね」
当のユージンは星葉に視線を合わせず、別の方向を視ているようだ。
「それじゃあ、とっとと始めちゃって下さい」
ペコリと一礼すると、元来た場処へと戻っ往った。
「ハイハイ」
戻りゆく星葉の背に応えて肩を竦める。
どうも、あの子供と対峙すると調子が狂う。
どうやら、月の塔の異空間だけの話ではないようだ。
星葉が駆け寄った先に金剛と少女とコザル王女の姿が目に映った。
あれは先ほど月の船の中で話した少女、ではなく少女の格好をした少年だ。
星葉の双子の兄弟か、では、あの少年達に協力してもらおう。
「やっと、この日を迎えられる。めでたいことだ。では、君達に役割を与えよう」
「パン!」とユージンが両手を鳴らす。
「あれ?ナニナニ、これナニよ?」
「え?え?これをどうしろと?」
星葉と菫青の手に現れたのは、ハンマーとタガネとツルハシであった。
「さぁ、君達、そこにある巨大水晶群を思い切り破壊してくれたまえ!」
双子の手に「鈍器」を確認したユージンが大声を張り上げる。
「おお!鏡の次は水晶か。本当にやっちゃってイイの?」
睛を輝かせた星葉の言葉の弾み具合に、傍にいた菫青は度肝を抜かれた。
「どうぞ、好きにやってくれたまえ!」
更に、月の貴公子が星葉に気安く応えている。
「どーゆーこと?意味分かんないけど、好きにってゆうなら、ガッツリゆくわよー!」
菫青が、手にしたツルハシを振り上げ水晶群に突進してゆく。
その後に続いて星葉がタガネをハンマーで水晶の結晶面に打ち突ける。
水晶にはヘキ開がない分、少々手強いが月の塔での色々と未消化な部分を発散させたい気分だ。
【ヘキ開】とは{鉱物の特性の一つである割れやすい方向に亀裂を入れると、竹を割ったようにスパリと割れることをヘキ開と云う}
星葉が思いっ切りタガネに向かってハンマーを振り下ろした。
「ジーン」と伝わる振動に手が痺れるが、それに構っている暇はない。
菫青は菫青でツルハシを振り下ろす。
現状の菫青はフラストレーションの塊だ。
「手応えあるわー。なんなのこれ~。全破壊OKかしら」
ガツンと亀裂が入った水晶に何度もハンマーが振り下ろされてゆく度に破片が飛び散る。
「イイーんじゃない?ここの責任者の許可済みだし」
それを聞いた菫青が勢い勇んでツルハシを振り下ろした。
「ヤメテー!壊さないでー‼」
誰かが叫んでいる。
双子には聴き馴染みのない女性の声だ。
先ほど、コザル王女が浮遊して往った先にいたあの少女の名はイーシャと云った。
「あれがきっと月の女神だわ」
その彼女が必死の形相で自分達の破壊工作を止めようとしている?
「構わん、粉々に叩き割ってくれたまえ!」
ユージンが双子に向けて声を張り上げる。
月神殿の御神体とも云えるのではなかろうかと思う巨大水晶群を叩き割る。
それはもう、畏れ多くも快感の極みである。
硬い水晶がまるで氷の如く崩壊してゆく様に、手のしびれよりも爽快感の誘惑に勝るものはない。
「カ・イ・カ・ン!」
破壊工作による高揚感に陶酔する。
遥か彼方の太古の時代の映画作品の名科白にあったはずだ。
菫青も星葉も、双子の特徴かシンクロするかの如く同じタイミングで鈍器を振り下ろす。
「ヤメテー!お願いだからーもう、それ以上壊さないでー!」
月の女神が泣き叫んでいる。
なにか壊して欲しくない理由があるのだろうか。
しかし、そんなお願いを聞く耳は持っていない。
地球からわざわざ呼び出され月面までやって来たと云うのに、月の塔まで来て本人に遭遇も出来なければ、救出どころでもない結果となったのは云うまでもない。
目的達成もままならないフラストレーションの塊と化している菫青の耳には届かない。
そんな双子を尻目にコザル王女は月の女神ではなく巨大水晶と対峙している。
その中には不思議な光景が映っていた。
透明水晶の濁りのない澄んだ結晶の中に、眠る少女の姿が納められている。
それはまるで柩のような形状だ。
水晶の中は空洞でもなく、紛れもない二酸化ケイ素の化合物である。
その中に閉じ込められているのはどんなマジックなのだろうか。
「コザル王女、この女の人は誰?」
一連の破壊工作の手を止めてコザル王女の隣りに並ぶ。
「キンちゃん。この女性は月の貴公子の母ですの」
「え?」
コザル王女の返答に衝撃を受ける。
「キンちゃん、この水晶も壊して下さいですの」
「ええ!?」
またもや意表を突く言葉に菫青の驚きは止まず。
「ユージニーですの。ユージンの母ですの。亡くなっている訳ではなくて、ちゃんと生きてますの」
「えええーマジ?」
もう何度、驚愕すれば好いのだろうか。
それよりも、なんでそんなことをコザル王女が知っているのだろう。
驚きは謎を呼び、謎は真実を突き付ける。
「はい、本当ですの。月の貴公子はユージニーを眠りから覚醒させるつもりですの」
死んではいないけど柩のような水晶の中で眠るユージンの母とは一体、どんな人物なのだろう。
それよりも、気になるのは、
「月の女神イーシャはナゼあんなにも泣き叫んでいるのかしら、絶叫も好いとこだわ」
何やら訳知りのコザル王女に話題を振り、回答を得ようと試みる。
「理由が知りたければ、この巨大水晶を叩き壊してユージニーの目を醒ませば分かりますの」
試みは失敗に終わったようだ。
なんとなくはぐらかされてしまった。
「分かったわ、ぜんぶ壊していいのね」
フラストレーションの塊と化している菫青である。
ここは何かに当たらないとやってられない。
手に持ったハンマーを両手に握り直す。
「せーの!」
「ガツン」と手に伝わる刺激にも、もう構ってはいられない。
許可されるまま力の限り鈍器を振り下ろす。
少女が収められている水晶へも遠慮なく破壊の限りを尽くしまくる。
菫青は見掛けは少女のようだが、身体的には少年だ。
振り下ろす力もそれなりに力強い。
「ガンガン」とハンマーが振り下ろされる度に、破砕された水晶片が飛び散っても気にしていられない。
「コザル王女、本当にこの中の女の人は生き返るの?」
死んでいる訳ではないとのことではあるが生きているようにも視えず、まるで夢物語でしかないのだ。
信じ難い思いを胸中に抱きつつ、菫青は目の前の水晶の柩を壊してゆく。
眠る少女を気付つけないように、亀裂にタガネを打ち込む。
「カーン!」と今までとは違った音色が響いた。
不思議なことに、内部の人ガタに添ってまるで眠る人物を傷付けないかのように、水晶が割れてゆく。
やがて、水晶はガラガラと音を立てて崩れ堕ちた。
「えっえ?えーっと、コザル王女、この女の人はどうしたらいいの?」
頭上を漂う王女に問い質す間もなく、横から人影が現れあっと云う間に、水晶に眠る美女の両肩を掴み起こそうと揺さぶる。
「さあ、起きろ!母よ。いい加減にちゃんと働いて貰おうではないか。月神殿の祭司を交替する。狸寝入りはもう充分だろう。いい加減に目を醒ませ!」
本音が言動に顕われてしまったせいか、月の貴公子自身に己を取り繕う余裕もなくなっている。
普段の取り澄ました仮面が剥がれ堕ちつつある。
「一体、何がどうなっているのかしら」
菫青にも訳が分からない。
只一つ、分かることは右目に星印が現れた菫青と同様に、破壊の限りをやり尽くしていた星葉にも左目に星印が光り輝いていた。
二人の睛の星は何を視ているのだろうか。
「「!え?」」
どうやら、二人同時に同じものを視ているようだ。
二人が視ている世界は、覚醒されぬユージニーと月の女神イーシャの魂が?果てはオーラが?融合しつつある。
「どおゆうこと?」
菫青は星型の印の方の目を片目で押さえて、通常の睛だけで二人を見直してみた。
「あれ?何もない?」
チャネリング状態に陥ると、星型が顕わになる双子の睛に映っているのは、この世の別次元の世界だ。
「多分?僕が感じるのはあの水晶に眠る美女と月の女神のオーラとゆうか、魂がシンクロしているってことかな」
取り敢えず、破壊活動をストップした星葉が、菫青の隣りに並んで佇んだ。
「やっぱり、セイにもそう視える?アタシも同じよ。もしかして、二人は同一人物であるのかしら」
謎多き月の女神である。
結局、自分達を呼び寄せた張本人とは遭えず仕舞いだ。
「そうかも知れない。その辺のことは王女が知ってんじゃないの」
星葉の言葉にハッとなる。
「きっとそうよ。さっき、コザル王女にはぐらかされたばかりだわ。きっと何か知っているに違いないのよね。確信したわ」
何かが始まる予感がする。
きっと、月の女神イーシャと水晶に眠る美女ユージニーに関してに違いない。
それに月の貴公子ユージンが妙な行動に走っている。
ユージニーを実に粗雑に扱っているのだ。
確か「母よ」と聞こえたような気がする。
その言動は、上品なイメージの月の貴公子の名も台無しにしてしまい、やや、幻滅感に襲われる菫青だった。
破壊工作はこの辺にして、あとは成り行きに任せよう、星葉もこの違和感を感じたようだ。
手にしている鈍器を下ろして菫青の横に並んで佇む。
「あの二人の女性は二つで一つの存在だと思う」
「ああ、やっぱり。なんとなく、セイにも分かるのね?」
星葉の言葉に菫青が応えるが、むしろ疑問形となっている。
「うん、僕達の目はなんのためにあるのかな?キンギョ」
ニヤリと星葉が嗤う。
「分かってるわよ。視えないもの、感じるもの、伝えられたメッセージ、それらを受け取るチャネラーだもの。だけど、この状況に関してはどうしたら好いのかしらね」
破壊され砕かれた水晶群、結局、救い出すことが出来ずにいた月の女神は目の前にいるし、何をしに月までやって来たのか完全に目的を見失ってしまった。
「アタシ達に出来ることは何もなさそうね。コトの成り行きを黙って観てるのが好いのかも」
「うん、まあ、そうかもね」
破壊活動にもそろそろ飽きて来たところだ。
月神殿は神聖な領域であるはずが、廃墟とまではいかずとも荒れ放題である。
バチでも当たりそうな気もするが、ここは月神殿の主である天上人本人の了承を得てのことであるから「善し」としたい。
「大丈夫。当人の許可済だもの。こっちにバチは当たらない。当たるなら、あの人達に当たって頂戴だわ」
思わず本音が口を吐く。
「キンちゃん、ココロの声がダダ洩れですの」
「ウフフ」と笑うコザル王女も本心は菫青と同様なのだ。
「王女だって思ってることでしょ」
「はいですの」
そこで二人して笑い合う。
「あーあ、僕も飽きて来ちゃった。そう云えばアルクとアルムはどうしてるのかな?お腹空いて来ちゃったよ。彼等、月の裏側でお茶してなかったっけ」
すっかり忘れていたことであるが「夜天家」の従者を置き去りにしている事実は拭えない。
「そうよ!彼等はどうするの。月の塔も消滅しちゃったし人魚達は?」
色々思い出して、慌てる菫青には何も出来ることはない。
「キンちゃん落ち着いてですの。元々、月の塔には人魚達は入ることが出来ませんの。イーシャが許可してませんの。なので、搭がなくなっても彼女達にはなんの影響もないですの」
月の裏側の事情はコザル王女の方が詳しいのは云うまでもない。
「そうね。考えるまでもなくアタシなんかよりも彼女達の方が月の裏側に詳しいわね。あそこは「人魚の国」だったわね」
とりあえず、心配事が一つ減ったと思うことにする。
アルムとアルクも月での生活は双子よりも長い分、馴染み深いのは確かである。
菫青にとっては月の裏側のことは皆無であるが、彼等の心配には及ばない。
自分達は今から始まる「事」を見守れば好いだけだ。
ユージンが母親であるユージニーを覚醒させようと試みるが、仲々、目覚めない。
「もう好い加減に、本体に戻って頂けないか、イーシャ」
「「「???」」」
ユージンの言葉の意味を理解するのに優に三秒は要した。
「イーシャって月の女神よね?」
菫青が確認するように横並びに佇む兄弟に訊ねる。
「そうなの?僕は直接チャネってないから分からないよ。でも、さっき視た限りでは二人は同調していた」
殆ど当てにならない返答をするのが星葉だが、一部合致する状態も把握していた。
「私もチャネリングによるコンタクトはしたが、一瞬だったから詳細は皆無だよ」
金剛にしても状況の理解度は星葉とさほど変わらない。
実に当てにならない兄弟である。
「同調、イーシャとユージニーは同一人物なのだと思う」
ちらりと横に浮いているコザル王女を視る。
王女は三人の会話よりも、関心はユージンとユージニーの二人の方にあるようだ。
これから起こるであろうことを待っている、そんな感じだ。
ならば、こちらも現状を見届けよう。
今から始まるのは、何か重大なことが起ころうとしているに違いない。
月の貴公子ことユージン・ムーンシャインと、月の聖母ことユージニー・ムーンシャインは親子だと云う。
しかし、見た目からすると、意識がないとは云えユージニーは十代の少女のような外見だ。
そして、その姿は目の前にいる月の女神イーシャと遜色ない。
「イーシャ、お遊びはもう終いにしよう。ユージニーに戻れ!」
もはや、お願いではなく命令になっている。
立場的にはユージンの方が上なのか。
「えー、戻りたくないわ。こっちの姿でここにいてはダメかしら?」
月の塔を出た月の女神イーシャは、すっかり俗世と化しているようだ。
しかし、
「それは無理ではないか?月の裏と表は次元が違う。裏次元の月の塔の波動に身体が慣れ親しんだイーシャには、表次元である月の表側の波動が身体の負担となりつつあるはずだ」
地球の次元上昇が為されて数千年、その間に月の表側との波動差は殆どなくなっていた。
それは月は常に地球に同じ面を向けて公転しているのに影響しているのかも知れない。
反対に月の裏側は地球からは視えない。
その境界線は定かではないが、表と裏には微妙に次元の歪みが存在している。
歪みがクッション材となり、表から裏へ向かう際に自然と身体が慣らされる。
双子達が通り抜けた次元トンネルが、所謂クッション材である。
「イーシャ、あなたの帰る場処は失っている。月の塔を消滅させたからにはあなたはここへ戻るしかない」
観念せよと云わんばかりにユージンが月の女神を追い詰める。
「月の塔は消失してしまったけれど、消滅させたのはワタシではないわ。ワタシも驚いているのだもの。自分の居場所がなくなってしまったのだもの」
眉間にシワを寄せたイーシャが困り顔になる。
「あなたがあの塔を消したのではないのか」
これには月の貴公子もビックリだ。
「違うわ。ワタシではないわ」
では、誰か別の者が崩壊に導いたと云うのか。
「それはアタシがやりましたの」
二人の会話を定観していたコザル王女が口を挟んだ。
「え!」
爆弾発言にその場が凍り尽く。
居合わせた者達は、思わず声を上げてしまった菫青と同様の思いのはずだ。
「君が月の塔を消滅させたと云うのか、王女?」
自分の驚きを抑えつつ、皆を代表してユージンが王女に問い質す。
「はいですの」
さらりと応える王女に恐怖さえ覚える。
どれだけ宇宙を渡り歩いたかは知らないけれど、謎多きコザル兄妹はさすが宇宙人と云うべきなのだろう。
「一体、何をしたのだ?」
人間の数分の一サイズの宇宙生物の何処に搭の一つを破滅させる力が備わっているのだろうか。
「アタシはナニもしてないですの。ただ、呪文を唱えただけですの」
大したことはしていないとばかりに冷静に王女が応える。
そして、王女の言葉で思い出す。
「あっ、確か「破滅の言葉」とか「破壊の言葉」とか、あの何語か分からない宇宙語。あれは呪文を唱えていたのね」
コザル王女の唱える宇宙的言語は不思議なニュアンスの言葉だった。
今度、教えてもらおう。
「コザル王女が破滅の呪文を唱えたから、ワタシも同調したまでのことよ。でも、あの塔以外ではワタシは存在していられない。それは分かってはいるの」
それはどう云う意味なのだろうか。
話の全容が視えない菫青には理解が難しい。
「では、元の姿に戻って頂きましょうか。やはり、月神殿を治めるべきは、月の聖母である方が親しみやすい。それに、未だにあなたの存在を忘れられない信仰者が後を絶たないのだ」
女神や聖母信仰はいつの世も変わらぬ崇拝者がいるものだ。
「そう、この姿で帰る場処はもう無いから、本来の姿に戻るわ。その代わりに・・・」
その代わりになんなんだろうか。
意味の通じる言語ではなく、聴き慣れない言葉がイーシャの口から発信された。
それはまるで突如空間から顕われた時のコザル王女が口にしていた宇宙語のようだ。
「∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞!」
宙を浮いていたコザル王女の口からも、謎の言葉が迸る。
「イーシャ!ナニを?コザル王女まで、まさか!?」
ユージンも予想だにしない事態が発生する。
「∞∞∞∞∞#∞∞∞∞∞#∞∞∞∞∞#∞∞∞∞∞∞#∞∞∞∞∞#∞∞∞∞∞」
月の女神イーシャとコザル王女の二人の言葉が意味するものは一つしかない。
月の塔を消滅に導いたと同様の現象が起きようとしていた。
「コン兄、また王女が破滅の呪文を唱え始めたのかしら?」
「それは・・・多分、そうかも知れない。ここにいては危険だ。避難した方が好さそうだ。菫青、星葉、外へ出ろ!」
片手で菫青の腕を掴み、もう片手で星葉の腕を取り金剛は出口へと走る。
「えっ、コン兄?王子はどうするの!」
突如、腕を引かれた星葉が混乱しながらコザル王子を捜す。
王子も王女と同調するように謎の宇宙語を唱え始めている。
「コザル、お、う、じぃぃ!」
月の女神とコザル兄妹の「破滅の呪文」の振動が月神殿のドームにまで影響を及ぼし始めていた。
双子が半分ほど破壊した水晶群に大きな亀裂が走る。
それはやがて無数の細かなヒビ割れとなり、硝子片のように砕け散ってゆく。
「∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞☆∞∞∞∞∞」
「∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞」
「∞∞∞∞∞※∞∞∞∞∞※∞∞∞∞∞※∞∞∞∞∞※∞∞∞∞∞※∞∞∞∞∞」
三人の口から迸る破壊の宇宙語は益々ヒートアップしてゆく。
巨大水晶群は跡形もなく瓦礫と化しユージンとユージニーを避けながら、
彼等の回りに破片が山積みとなっていた。
「見事に壊してくれたな。もう月神殿の再生はご免だ。どうせなら、全部破壊してくれていい」
ユージンはその場に佇みドームの天井を仰ぎ視る。
どうやら、ドーム自体は何事もないらしい。
月の塔とは違い月面ドームはイーシャが造り上げた虚像ではないせいか影響はなさそうだ。
反対に巨大水晶群はイーシャの本体であるユージニーが造り上げたものだったせいか影響も甚だしい。
三人の呪文が次々と月神殿の内部破壊を引き起こし、破壊はやがて終了の時を迎えた。
月の女神の姿が陽炎のように薄らいでゆく。
そして、コザル兄妹の姿が突如として、その場から消え去った。
水晶群のある月神殿の外へ退避していた「夜天家」の三兄弟は、隣室で何が起きているのかを気にしつつ待機していた。
落ち着きなく行ったり来たりを繰り返すのは菫青である。
隣室ドームはワンフロアに何もないだだっ広いホールとなっているため、動き回るには障害物がなくて丁度好い。
「隣りはどうなっているのかしら~気になるわー。コザル王女と王子はどうしているのかしら?まだ、あの変な宇宙語唱えているのかしらね」
幸い破壊が起きているのは巨大水晶群だけだったように思う。
「気になるのは分かるが、少し落ち着け、菫青」
落ち着きなくウロ着く菫青の気持ちは分からなくもない。
金剛とて残して来た彼等がどうしているのか気にならない訳がない。
「アタシは図太い神経のセイとは違うわよ。気が気じゃないわ。コザル王女も王子も無事かしら」
云ってる傍から益々、ソワソワと落ち着きをなくす。
図太いと称された星葉は床に横になり眠っているようだ。
本日、二度の破壊工作は星葉に取っては重度の疲労が蓄積されるに充分であった。
「菫青!上!」
ウロウロが止まらない菫青の頭上から、金色の光の塊が顕われた。
「え?あっ!」
既視感を覚える状況に、菫青は金色の光に向かって両手を掲げた。
「キンちゃん!無事でしたのね」
頭上から現れたコザル王女が菫青を視付けた。
「王女!アタシ達は大丈夫よ。ここはなんでもないのだもの。セイはくたばってるけど」
「そうですの。キンちゃん達に何事もなくて好かったですの。セイちゃんはすっかりお疲れですのね」
菫青の目線の位置まで降りて来る。
「コザル王子は?」
確か、コザル王子も宇宙語を唱えていたはずだ。
「お兄さまもいるですの。セイちゃんのところに」
言葉の先を追うと、横たわる星葉を見下ろすコザル王子の姿があった。
「あっホントだ。それでユージン様や月の女神はどうなったの?」
肝心なことを忘れてはならない。
「イーシャは姿を消しましたの。月の貴公子は変わりないですの。水晶の神殿は粉々に壊れましたけど」
浮いたままの状態で応えるコザル王女は、この件に関してはほぼ関心も感心も消失しているようだった。
「王女、かなり疲れてる?」
疲労が王女のイラつきに繋がっているようにも視えた。
「キンちゃん・・・はい、疲れているかもですの」
云われるまで気付かなかったが、破滅の呪文は結構な割合で身体的疲労を伴うものだ。
「そっか、それじゃあ、さっさとうちに帰りましょうか。帰ってゆっくり休んでからティータイムにしましょうね」
疲労が蓄積されているであろうコザル王女を早く休ませたい。
「はいですの・・・」
菫青に応えたコザル王女の全身から力が抜けて落下し始める。
「王女!」
落ちて来る王女を両手を広げて抱き留める。
コザル王女の睛は閉じられ、完全に意識を手放しているようだ。
「お疲れ様」
これでひと段落出来そうな雰囲気にホッとひと息吐く菫青だった。
「コザル王女は大丈夫か?」
今までの状況を視ていた金剛が様子を伺う。
「コン兄、王女を連れてこのまま家に戻るわね」
心配気に傍らに立つ金剛に告げる。
「そうか、分かった。先に王女を連れて戻ると好い。あとは私が見届けよう。それと、星葉達も一緒に連れて帰ってくれるか」
未だに床でゴロゴロしている星葉に視線を投げる。
「分かったわ。セイと王子を回収してゆくわ」
それをキャッチした菫青が応える。
「回収・・・あれは物か」
双子の兄弟であるのにこの云われように片割れが気の毒だ。
「なにを云われようともセイは気にしないから大丈夫。コザル王子も同様よ。あの二人は似た者同士だわ」
仲々、手厳しい。
「ホラ、セイ!家に帰るわよ。いつまで寝てるの!王子も先に帰りましょ」
床に横たわる星葉とコザル王子に声を張り上げる。
「わかったニョロ、キンちゃん」
王子が素直に返事するのとは対照的なのが星葉である。
「ウン?もう帰るの?コン兄は?」
目を開けて視線を向けた先に映る長兄に訊ねる。
「私はユージンを待つよ。元々、奴の依頼で呼ばれたからな」
「夜天家」の月の邸宅で聞いた彼の母親の話を思い出す。
眠っている場処が問題であると云っていた意味が分かったような気がする。
まさか、人が入れるほどの水晶の中に自らを閉じ込めるとは予想外も甚だしい。
地球では考えられない次元の話となれば、月は多次元で地球は三次元の影響を色濃く残しているせいか、考えられない現象がここでは可能のようだ。
「そうなの、ユージンさんに何か依頼されたの?」
のそのそと起き上がると、星葉は金剛に向き合った。
月へ来てから久々に面と向かった長兄に『なんだかやっぱり大人だなぁ』などと呑気に思うのである。
「そうだが、完了するにはまだ時間が掛かりそうだし、おまえも疲れただろう。菫青達と先に家に戻ると好い」
目の前に立つ弟の頭に手を添えグシャグシャと髪を撫でる。
「うん。今日は二度も暴れたから疲れたよ。先に帰るね。アレ?」
金剛の掌の心地好さに再び眠くなりそうなところで、視界の端に人影を捉えた。
「ん?どうした?」
星葉の視ている方向に振り向くと、月神殿から現れた人物に視線を留めた。
「お待たせした。悪いが帰宅するのはもう少し待ってくれないか。君達にも最後に立ち合って貰いたいのだ」
ユージニーを抱き上げて現れたユージンは帰り支度を始めた面々に懇願する。
「立ち合うとは?」
眉間にシワを寄せながら金剛が問う。
出来ればこのまま双子達を帰路に就かせたいところである。
「イーシャを完全に封印し、ユージニーを覚醒させる」
月の女神の封印とユージン母の覚醒になんの因果があるのだろうか。
「それはどう云う意味なのか説明してくれないか。弟達を早く帰したいので手短に手早く頼む」
若干イラつきながら、金剛はそれでも冷静だ。
「分かった。すぐ済ませよう。イーシャも準備は好いか」
ユージンの背後に隠れていた月の女神を名指しする。
「ええ、仕方ないわね」
先ほど陽炎のように薄らいでいたはずのイーシャの実体があった。
まだ、この場に姿を留めていたようだ。
渋々と云った体で月の女神が応答する。
その様子を視ていた菫青は、腕の中のコザル王女が無意識の状態でなにか反応し始めたことに眉をしかめた。
「王女?またナニか起きるのかしら」
コザル王女の口から、あの謎の言語の呟きが始まった。
それはコザル王子も同様で、少し離れた位置にいる月の女神も呪文のような文言を唱えている。
「∞∞∞∞☆∞∞∞∞☆∞∞∞∞☆∞∞∞∞☆∞∞∞∞☆∞∞∞∞☆」
「♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡∞∞∞∞∞♡」
「∞∞∞※∞∞∞※∞∞∞※∞∞∞※∞∞∞※∞∞∞※∞∞∞※∞∞∞※」
耳を澄ますと、それぞれ違う発音、異なる音程であるのに、どこか統一感があり不思議とマッチしている。
「あっ」
菫青が突如、驚愕の声を上げる。
呪文のような言葉に反応して?否、呼応してイーシャとユージニーの二人の全身が発光してゆく。
床に寝かされているユージニーとイーシャの融合が始まろうとしていた。
「∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰」
コザル兄妹に加わりユージンも呪文を唱え始める。
イーシャがユージニーと同化し完全に二人が一人と化す。
それはまるでイーシャの魂がユージニーに宿ってゆくようにも視えた。
『うわぁ、まるでなにかの儀式みたい。魔法でも観てる感じだわ』
地球がリアリティの星なら、月はスピリチュアルかファンタジーの星と云えよう。
不可思議が常識であっても可笑しくはない。
それが月の世界だ。
「∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰∞∞∞∞∰」
「「「・・・・・」」」
ユージンの言葉が合図になったのか、他の面々が一斉に沈黙する。
月の女神イーシャの姿はなく、ユージニーが床に寝かされたまま未だ目覚める気配はない。
その場にいた者全員が固唾を呑んで見守る。
「さぁ、もう好い加減起きろ!いつまでも寝た振りはよせ」
おもむろにユージニーの肩を両手で掴み、上半身を烈しく揺さぶり起こそうとする。
その動きがピタリと止まった。
「う、も・・・」
「「「「「「?」」」」」」
呻くようなユージニーの声に、その場にいた全員が疑問形の反応を示す。
「も?」
ユージンがその場の代表として問う。
「もう少し丁寧に扱わんか!ワレ!」
もの凄い勢いでユージンに喰って掛かるユージニーは、菫青だけでなくその場にいる者達の度肝を抜いた。
「ワレとはなんだ。散々、寝腐っていたのはどっちだ。職務放棄も甚だしい。職務怠慢だ!」
いきなり襲い掛かって来たユージニーをかわしながら反論する。
「家督を継ぐのは息子の役目でしょ。だから、その座を譲ったまでのこと!なのでこの機に引退を表明します」
少ないギャラリーではあるが、そんな他人の目などお構いなく親子ゲンカが始まってしまった。
そして、一気に興醒めしてゆく。
「コン兄、やっぱりアタシ達は先に帰るわね」
月神殿の親子の痴話ゲンカに巻き込まれるのはご免だとばかりに、菫青がそっと金剛の傍に忍び寄る。
「ああ、好いよ。これは茶番だしな。切りの好いところで私も引き上げるから、それまで二人の気の済むまで見守っているよ」
一応、依頼主であるユージンを放置する訳にもゆかず、金剛の出した結論は只々「生温かく見守る」そこに至った訳である。
「ご苦労様なことだわ。それじゃあ、またね」
再び意識を飛ばしているコザル王女を抱えて、菫青は出口へと向かう。
飛んだ天上人がいたものだ。
一気に疲労感が菫青を襲う。
途中、こちらも再び床に寝転がる星葉を拾い、浮遊している王子も回収して月神殿である別名「天上の館」を後にした。
第十章 「天上の館」了