「贅沢な悩み」、あるいは親

私は恵まれています。

ポリコレ


最近もまた話題ですね、私はトレンドで出てくる多数の日本人ツイッタラーと同じ意見ですが。まあ多数派だからね。

アカデミー賞かどこかで張り手をかました事件がありましたが、あの周辺で「カードバトル」と揶揄されていましたね、ポリコレ。
「僕は黒人でゲイでユダヤ教徒です」コピペなんかもありました。あれ大好き。
さて本題。

満ち足りること

私は宗教の生まれなのもあって「満足」の認識が人一倍強いと思っています。ヘレン・ケラーでも乙武洋匡でもないし、死にかけたことすら夢の中でしかありません。
なので私には何も文句を言う資格はないし、このまま社会に阿って生きれば……

いいわけないだろ、ころすぞ。
と、そういうジレンマを心中に抱えて生きています。特に最近は社会に出ることを意識して、また同時にここを離れる機会を一度逃して後がなくなって、より考えるようになりました。
無論「正しい」答えは社会の中で生きれるだけありがたいと思うことなんでしょうが、私は自らの生に価値を見出せないし、自分で付与したくないんですよね。
夢想した未来予想図にことごとく(勝手に)裏切られ、また人生を夢想しているという自覚はあるんですが、どうしても僕は自由に夢を見てしまうんです。

仕事をしたくありません。実社会的な人との関わりはなければないほど良い。ただ死にたくもない。行為に制限があるのも問題ですね。
切実に、優先度が高いのは最初から順でしょうか。逆に最も満たされないものでもあるんですが。
矛盾するようではありますが(実際矛盾)、別に就職する分にはいいんですよね。その周辺に見え隠れする理不尽が大嫌いだというだけで。
ただ、僕は頭がいいので理不尽で私が生かされているということは知っています。だからもっと大変なんですね、夢が夢だと分かってしまうから。

早く消えてしまいたいけど、”今”消えると無限の迷惑をかけてしまうな。
その積み重ねの先に、結果何もしていない私がただ生きています。

一身上の都合で、親は自分より大事なので、親のために自分をある程度重んじなければならないという窮極の枷を付けられています。

私はただ、私がしたいことをしたい、それだけなんだけどな。

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