環境・飽き性
久しぶりにnoteを更新してみる。
~環境~
京都に住んでいた頃は周囲にお坊さんがたくさんいて、その中で僕は暮らしていたのに、福岡に戻ってからはクリスチャンの知り合いが増えた。
振り返ってみると何だか不思議な心地だ。
僕はよく「落ち着いてるね」とよく言われるのだが、落ち着きがあるというより、単に時間の経過と環境の変化に頭の回転が追いついていないだけなのかもしれない。
僕は一つ一つの物事を受け止め、じっくり反芻しないとうまく理解することができないし、環境に適応することもできないのだろうと思う。
反芻中の僕はうまく人と話すことができなくて黙ってものを考えているので、「落ち着いてる」ように見える、ということのようだ。
~飽き性~
困ったことに最近は今の仕事に猛烈に飽きてきている。
元々消去法で選んだ仕事・会社なので、正直最初から面白い仕事だなんて全然思っていなかったのだが、それにしても飽きというのは恐ろしく、じわじわと僕の仕事へのモチベーションを覆っていく。
他に仕事の当てがあるわけではないので、しばらくは毎日つまらないなぁと思いながら働く日々が続くことになりそうだが、いつまで耐えられるだろうか、と考える。
まぁこういうのは考えてもどうしようもないことだと思っている。
堰き止められた水がいつかは流れるように、僕の道にもいつか道標が現れて生活が変わるのだろう、そういうもんだろう、と信じている。
自分の意志で自分の人生は切り開くものだ、そこでは自分の主体的な選択が何より大事だ、と主張する人がいるが、ほとんど同意できる部分がない。
まぁ考え方の違いだろう。