日記(10/16) ~文学には紙煙草を~
文学と煙草は僕の好物であり、今の僕を育ててくれたものであり、いつまでもグダグダしてる人生だけどまぁもうちょい頑張ろうかと思わせてくれる心のHPの回復アイテムである。
これらがないと僕の人生はきっともっとめっちゃキツイと思う。
そしてこの2つは僕にとってはセットで楽しむものでもある。
何となく、煙草を吸っていると文学作品により集中できる気がするし、文学作品を読めば煙草を吸いたくなる、
それは一つに煙草に含有されるニコチンに鎮静効果があるからだろうけど、僕が好む20世紀のアメリカ小説の空気感には煙草がよく合う(気がする)というのもあるだろう。
今はアメリカ人作家ポール・オースターの『ガラスの街』という作品を読んでいて、もうすぐ読み終わる。
英文科卒だから原書で読むのがしかるべきなのかもしれないけど、バリバリ翻訳で読んでいる。
原初でもおそらく読めなくはないけど、それなりに集中力と根気がいるのでサーセン。
あ、そういや来月にTOEICのスコアが失効するので、2年ぶりにテストを受ける。
特にTOEICのスコアに関心はないけど、TOEICのスコアを持ってると「自分TOEICのスコア〇〇○っす」と一言でおおよその英語力を相手に示せるので役に立つ。
一度受けるだけで2年間はその手を使えるので、TOEICという試験は非常にコスパがいい。
とりあえず前回を下回らなければいいかなという感じで、特に高得点を目指すほどのやる気はない。
話が脱線。閑話休題。
僕が思うに文学には紙の煙草がよく合う。
最近加熱式煙草のプルーム・テックを使うことが増えた。
匂いがほとんどしないし、灰が出ないし、味もうまいしで長所が多い。
しかし、文学を深く味わうにはやはり紙煙草がいいのだ。これが。
やはり煙をモクモク出し、ときどきむせ、灰をズボンにこぼしながら読むのが文学、という固定観念が僕にはある。
最近吸い始めたプルーム・テックよりそのスタイルの方が馴染みがあるから、というだけかもしれないがやはり文学には紙煙草だ。
濃いブラックコーヒーも添えよう。砂糖もミルクもいらない。
苦いコーヒーに苦い煙草、少し古いアメリカ文学。
しかめ面で読書している僕にはなかなか誰も話しかけようとしないだろうし、僕も話しかけられたくない。
僕が望むのはそういうものだ。ザ・内向型人間。
河原でバーベキューでウェイみたいな余暇の過ごし方は生来の気質に合わない。
Twitterのつぶやき2~3個分くらいの長さで日記を書こうとしたら、思ったより長くなってしまった。
文章を書き出すとついダラダラと書き連ねてしまい、まとまりのない文章になってしまうのは僕の悪癖だ。
とりあえずこれが今日の日記。
気が向けばまた書きます。とりあえず『ガラスの街』の続きを読むかぁ。