日記(5/17) ~マージナルマン~
ゴールデンウィーク明けに、韓国は釜山へ一人旅をしてきた。
4泊5日、海辺のゲストハウスに泊まった。
実に二年半ぶりの海外渡航、一人旅だった。
親しい友だちと旅行に行くのも好きなのだけど、僕の場合は一人旅の方が肌に合っていると思う。
一人ぼっちで知らない街をただ歩く時間、自分はここでは「異邦人」なのだと思うと、身震いするほどの興奮を覚える。
街の雑踏の熱気の中で、水銀のようにひんやりとした孤独が体内を巡り、生の実感を覚える。
この感覚が理解できる人とは、きっと心のどこかで繋がり合えるのではないかと思う。
目に入る異国語の看板も、日本人とは少し違う顔立ちをしている行き交う人々も、原色をふんだんに使い誘惑してくるネオンも、その全てを愛している。
釜山では、多くの老人が労働をしているのを見かけた。
大衆食堂や屋台を営んでいたり、道端で果物や靴を売る人々が山ほどいた。
韓国は年金をもらえない人が多かったり、額が低かったりするらしく、老人でも働かないと食っていけない人が多くいるのだそうだ。
そういえば、街でホームレスの男性を何度か見かけたし、地下鉄の車内で物乞いの男性に声をかけられたこともある。
街を歩く老人は、日本人よりも質素な服装をしていたようにも思う。
僕が短い滞在で見た光景の中にも、韓国の老人の経済状況の厳しさを表すような様子は見受けられた。
だから韓国では受験競争が加熱するのだろうか。
それは、親も子供に安定した社会人生活を、そして老後を送ってほしいと願うのは当然だろうと思うし、そのための王道が一流大学に入り大企業に入ることであるなら、そこに子供を押し込もうとするのも当然だろう。
しかし、子供の教育費が家計を圧迫し、親の老後が不安定になるようなことがあるすれば、切ない。
所詮旅人が韓国の上澄みだけ見て感じたことであり、実際の韓国の社会がそのようなものかは分からない。
ただ、欧風のおしゃれなカフェやレストランが並ぶ中に、ぽつんと時代に取り残されたように居心地悪そうに佇む古い食堂の佇まいに、韓国の来た道、そして行く道を垣間見た気がした。
総じてとても楽しい旅ができたし、韓国という国に親しみが湧き、前よりも好きになれたと思う。
もう少し言語と文化を学び、また訪れたい国だ。
久しぶりにアルバイトに応募する。何年ぶりだろう。
プログラマーのアルバイトをするつもりでいる。
単純に、今一番やってみたい仕事がそれだからというのと、プログラマーとしてのスキルはどう考えても今後需要があるので、身につけておいて損はないだろうと思う。
僕は非常に臆病な性格だし、中途半端に賢いせいで頭でものを考えすぎてしまう。
だから、新しいことに挑戦するのが怖い。
私大文学部卒の自分がプログラマーになんてなれるのか?
頭の中を離れない疑問と自己否定が、長い間前に踏み出そうとする足を止めていた。
でももういい。失敗を恐れて何もしないでいるのは飽きた。
人生には楽しいことがいっぱいあるのに、こんな自分のままじゃそれらをほとんど味わえずに死んでしまうではないか。
そんな恐ろしいことはない。
最初は小さな一歩しか踏み出せないが、着実にその一歩を踏み出したい。
傷つくのは怖いが、傷つくことを恐れて何も出来ない方が辛いに決まってる。
今の僕は、マージナルマンだ。
どこにも属していない(属せない)、自分が何を求めているのか分からない、人生の目標がない。
それでも一歩踏み出せば、少なくとも誰かが僕に反応を示してくれ、凪の海に笹波が立つだろう。
大波にいきなり乗る気はない。そんなことはできないと思う。
最初は足を水に浸すことから始めよう。
ゆくゆくは両手を振りしぼって海を泳げるように、日々練習をし続けよう。
忘れかけていた、自分の中にもある冒険心を、釜山の旅で思い出すことができた気がする。
この気持がまだ自分の中に残っているうちに、最初のちっぽけな一歩を踏み出すことにした。
そんな自分を自分自身が応援している。
今はそれだけで十分だ。