あの人はまだいるの?
先日仙台に行ってきました
その時に瑞鳳殿という場所に伺って参りました
伊達政宗公やその後の歴代伊達家の方々の霊屋があるところです
正確には瑞鳳殿は伊達政宗公の霊屋だけをさすのですが、全体もその名で呼ばれているような印象を受けました
そこで私はこのように感じました
ひょっとすると初代正宗公と二代忠宗公、三代綱宗公の遺骨はもうそこにはないのではないのか?
と言う仮説がなぜか浮かびました
仮説の理由をいかに列挙します
1、戦争で焼けてしまった建物を鉄筋コンクリートで建て替えるにあたり、それに耐えられるかの内部調査なる名目でお墓の発掘調査が行われている
2,その時期が昭和49年でその年の12月9日に田中角栄内閣が金脈問題で総辞職している
3,瑞鳳殿には戦災で焼ける前伊達政宗公の木造が飾られていたのであるが、今の木造は現代風にあわせたと言うことで別の像が飾られているが、元の像とは自分がみたところ全く似ていない
建物の方は再現を試みているのに、肝心の木造を再現していないのは理解に苦しむ
4,遺骨のレプリカや副葬品の実物も飾られておりこれも甚だ理解に苦しむ
5,遺骨によると伊達政宗公は隻眼であるとはわからなかったようだし、身長は150cm台しかなかったことになっている
6,お三方の遺骨を復元すると顔のほりが深くて欧米人ぽい顔かたちだったらしいのだが、復元された像と残されている木造や肖像画とでは私が見る限りこれは違うんんじゃないのっと思わされる
これらと
最近あったアトキンソンの税金による日光東照宮、陽明門修復後カビだらけ事件
コロナ騒動、ウクライナ事件・・・・
伊達政宗公は朝鮮に出兵しており恨みを抱く方々もおられる
統一教会と勝共連合の我が国での暗躍
それらを全てミックスして考えてみると
ひょっとするとこれも
税金を使った墓あばき&遺骨すり替え
の類ではないのか?
と勘ぐってしまいたくなるんですよね
ここで仙台で萩の月じゃない方でもう一つ有名なものがありますね
そう 青葉城恋歌 です
私も大好きだった曲で良くカラオケで歌わせて頂きました
その中でこんなフレーズがありましたよね
あの人はもういない
って
この歌ができたのが昭和52年
昭和49年に発掘調査が始まって建物完成が昭和54年ですから
大体同じくらいの時期です
歌の作詞者は 星間船一 さん 一般人の方です
一般人からの公募でできてるんですよね
果たしてこれはどうなんだろう?
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