三十路になる頃には○○でありたい
27歳になった。日からさっそく1か月が経った。
30歳まであと3年だ。いや、正確には2年と11か月だ。
誕生日への感慨は年々薄くなってきている。生まれてから27回も迎えたので、慣れてきてしまったというか、ありがたみをあまり感じなくなっているようだ。
本来なら年を重ねるほどに、「こんなに長く生きていて偉いぞ凄いぞ」と盛り上がってもいいものだとも思うのに。
そんな中でも30という数字は、やっぱりひとつの節目のように感じる。
30周年。ディズニーランドだったらパレードだの新アトラクションだの限定グッズだのをこれでもかと披露して大っぴらに祝う周年イベント。
数年前、友だちの付き合っている年上の彼が30になった時、記念に自分で30万の時計を買ったと聞いた折には「なんかハリキってんなぁ」と可笑しく思ったりもしたけれど、いざ自分の身に迫ってくると「私もここはひとつジュエリーでも買うために蓄えておこうかしら…」なんて気持ちになってくる。
ま、ジュエリーは冗談としても、30歳になる、と思うとやはりその時にはそれなりの理想を叶えていたいものだ。
まだ3年くらいあるし、なんてうかうかしていれられない。3年前といえば24歳、年末年始のお休みで北欧旅行した頃、なんてこったそんなの一昨日じゃないか…。
だがここで、はたと気が付く。“それなりの理想”ってなんだ?
三十路になる頃には○○でありたい。
この○○に入る言葉はなんだろう。
スレンダー美女…?仕事のエキスパート…?貯金額1000万…?家庭持ち…?
そりゃぼんやり欲しいものとかなりたい姿は思い浮かぶけど、どれもしっくりこないんだよな、と思う。
でも、なりたい姿がなかなか思い浮かばないというのも、もしかしたら幸せのうらっ返しかもしれない。
と言うのも現在27歳の私、実は数年来欲しかったものや状況をこの一年であらかた手に入れていたりする。やりがいがあり、待遇にも恵まれた仕事。肌に合う人間関係。海辺の街でのひとり暮らし。気楽さと高揚が同居した恋愛。もしかして何年かぶりに、いや下手したら大人になって初めてくらいに満たされた日々を送っちゃっているのだ。
ぽっかり空いている場所があるとすれば、それは去年の夏の終わりにぽっくりと逝ってしまった犬の存在くらいで、でもひとまずその話は今置いておこう。
最近noteを全然更新してなかったのだって、新生活が慌ただしかったのはもちろんだけど(ちなみにどうでもいいけど、今「あわただしい」と打ちたかったのに何度打っても「泡立たしい(あわただしい)」になって文章を大いにモコモコさせてしまった…)、文章を書く必要性を感じなかったためだ。
あくまでも個人的な見解だけど、満たされている時にnoteで問わず語りなんてしない。
でもこの満腹感がそう長く続かないことは分かっている。だってほら、現にnote今書いてるわけじゃん?これが「足りなさ」を感じ始めている証拠。何か掻き立てられる気持ちがあると、昔から私は文章を書きだす傾向にある。
どんなにたらふく食べても時間が経つとお腹は減っちゃうんだなあ。生きて年を取っていくから。
てことで、今わたしが欲しいのは、3年(正確には2年11か月)後の理想像。
今よりちょっと大人の私。今よりちょっと賢く、強く、美しく、豊かになっていてほしい。
その姿にぴったりの言葉を見つけることから、まずは始めてみたいと思う。
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