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ドラマ『MIU404』【第10話の感想】 “フェイク”を見極める目。「桔梗は本当に酔っていたか?」という考察

そうかわかった、と思った。
今回の第10話を見ながらあらためて気づいたのだけれど、脚本の野木亜紀子が描きたかったのは、このドラマの最初っから一貫して“フェイクニュースについて”だったのだ。
“その目に見えているものは、本物ですか?”
そして、“フェイクかどうか、疑う目を養え”。
第1話からの10話をかけて、共通項として示され続けてきたのは、このふたつのメッセージだったのだ。

この“疑う目”の訓練のために、1話1話、多様なパターンのフェイクニュースのケーススタディを講義のように示してきた。それぞれの回で登場した“フェイク”を振り返ってみると、下記のようにまとめられる。

第1話『激突』は、“偽装”されたナンバープレートではじまる。そして、銃に“見せかけ”たオモチャの魔法の杖。
第2話『切なる願い』には、犯人が紛れ込んでいる“フェイク家族”。死んだ息子を、生きていたと思い込みたい親。
第3話『分岐点』では、“虚偽110番通報”。1人で走って逃げているように見えるが、実際にはリレー方式で走る複数犯。
第4話『ミリオンダラーガール』には、ぬいぐるみの目に“見せかけ”た1億円のルビー。それと、携帯電話ショップの“フリ”をした暴力団の資金洗浄ルート。

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第5話『夢の島』では、同郷の外国人かのように“装った”日本人による犯罪誘導SNS。“偽物”によって書き込まれた、ベトナム語によるメッセージ。
第6話『リフレイン』には、自作自演のメールによる“偽造タレコミ”。犯人かのように“装って”警察に近づいてくる愉快犯の女。
第7話『現在地』は、“本名不詳の”コスプレイヤーに、“偽名義”の売買、トランクルームでの“仮”住まい。
第8話『君の笑顔』は、痴呆症の“フリ”。

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第9話『或る一人の死』では、“捏造情報”のSNS投下と、大量の“捏造アカウント操作”による情報拡散。エトリという名の“偽名”。


1話の抜けもなく、一貫して貫かれている。世の中は“フェイクニュース”で溢れている。

そして第10話へ。
クズミはその存在のすべてが“フェイク”だ。

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第10話の中には、総集編のように第1話から今までに示されてきた“フェイク手法”が、丁寧にすべて実践され盛り込まれている。見つけられるだろうか?
現代を生きる我々は、“フェイクニュースを見極める目”を養わなければならない。
それが、MIU404からのメッセージだ。

◆◇◆

さて、では最後に、実践問題をひとつ。

本題にあたるクズミの行動については他の記事に任せるとして、この当原稿では「桔梗と志摩」の恋愛風パートについて少し掘り下げておこう。

志摩は、早朝にメロンパン号で、待ち伏せしていた伊吹にこう話した。
・キャッキャッもウフフもしていない。
・深夜、隊長は酔って遺影の旦那と話し始めた。
・求められたので、遺影に挨拶した。
・泣き上戸でボロボロずっと泣いている。
・いつのまにか2人とも寝てしまい、起きたら朝。

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しかし、それは“本当のこと”だろうか?

志摩はウソをついているかもしれない。虚偽の報告をしているかもしれない。
この第10話においては、なにもかもを“疑ってかかれ”というメッセージに溢れているのだ。この件も例外ではないはずだ。

しかし、信頼しあうべきバディ間でまで虚偽に包まれているとすれば救いがない。であるとするならば、もうひとつ違う角度から疑っておくべきは、桔梗だ。こうは考えられないか?

“桔梗は酔っていなかった”。

フェイクニュースは“人の善意につけこむ”。嘘も偽装も良くない。しかし、この世には“ついてもいいウソ”というのも、ほんの少しだけかもしれないけれど、あるんじゃないか? 相手のことや、周りの人のことを思って、つい、口からこぼすウソ。

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殺伐とした騙し合いばかりを見せつけられた第10話の中で、あそこの“桔梗志摩のシーン”にはとてもほっこりさせられたし、砂漠のなかのオアシスのようなシーンだった。
「人生には、時にはそういう息抜きの場所も必要なのだ。」そう示しているかのようにも読みとれた。

さあ、残るは最終回だ。

(おわり)

※同作脚本家の野木亜紀子による「獣なれ」のシナリオブック。本人による裏事情たっぷりの“あとがき”と“クラフトビールリスト”が読みごたえあって必見↓

※他の回の感想noteはこちら↓


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miyamoto maru
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