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卒論を提出した後の空白を埋める作業と、心鏡(こころのかがみ)について(日記21)
つい先日卒業論文を提出し終えて、Twitterで締切直前に阿鼻叫喚している人達を観測して(見えないものではなく、とても見えるもの)、私は来年からも論文を書くから“最後”と言っている人達からスっと離れて、画面をよくスクロールした年明けの夜。
就職する人達(ありがとう)が一気に解き放たれたように(純粋な)自由になっている姿と、私の周りにはまだこれから院試を受ける人達の姿とがあって、その狭間に私がいる。
(挟まれているわけでも、ゆらゆらと漂っているわけでもなく)
いつだって少しくらい挟まれていた方が気持ちいいというか、転ばないから、英語の勉強をまた始めた。あなたとの言語の壁を、また別の言語で塗りつぶすために?
4月までの空白の埋め方はあなたとわたしで違う。
でもあなたもわたしも白さを保たないと思う、
せめて白濁。
最近思うのは、彼氏や彼女の間柄なら【「察して」と言ってはならない、嫌だと思ったことはちゃんと言葉にして伝えること】ということが成り立つのだけど、友達となると迷子になってしまうことについて。
ストローってよく刺した部分から漏れないなぁ、と思いながらブルーベリージュースを飲んでいます。
しめじのキーボードを北京ダックにした。
Windowsのホーム画面も北京ダックにした。
おやすみなさい。