リストカット(またの名をあみだくじ)の跡が浮かび上がるとき(日記15)
リストカット(いつでもあみだくじができる)は、誰につけられた傷なんだろう。
その跡が浮かび上がるとき、早稲田駅の精神科に向かって電車に揺られていたあの夕方の時間を思い出すけど、私は病名をつけてもらいに通っていたのかもしれないと思う。
初めてもらった精神薬はクエチアピンとロゼレムで、きっと私は重症ではなかった。でも私の精神についた傷が公式に認められた気がして酷く嬉しかったし、そのどうしようもなさがあの頃の少女性(少女性とでも言っておけばかわいくなると思ってるだろ!😡)(その通り.)だったんだろう。
病名をもらいに病院へ行くこと。
それは向かっている電車の中で揺られながら、憂鬱になろうとする見えない力に変わっていた。
クリニックの待合室は優しい色をしていて、カウンセリングルームは太陽の光が差し込んできていて煌めいていた。たぶんあの場で暗いのは私たち患者だけだった。
カッターを掴んで泣きながら皮膚に刃を立てるあの瞬間に何の意味があったのかはわからないし今はもうしない、どれだけ心に衝撃があっても今はもうしていないけど、あの時間だけは気持ちが良かった。
傷を愛していた。でもそれが終わって朝日が昇ってくると大抵それは逆転して、後ろめたいものになるから良くないんだろうと思っている。
あみだくじはLINEでできる時代になっているし、傷の形も変わっていくし、傷のつき方も変わっていくし、私の傷は今目に見えないところにある。