山下弘子的超思考法・・・私が知ってる弘子ちゃん(第1話)
明日25日はアフラックのCMに出演していた
山下弘子ちゃんの3回忌にあたります。
その前年の同じ日に母を失った私は言葉も
なかったわけですが、弘子ちゃんに直接
触れられなくなって2年。
私は彼女との約束のひとつをようやく本と
いう形にすることが出来て、心底ホッと
しています。
弘子ちゃんはドヤ顔で(笑)
「りんこさん、私のおかげですよ~!」って
ひまわり顔で言ってくると思います。
(まあ、実際、100%、彼女のおかげです)
弘子ちゃんからは、昔も今も沢山のことを
教えてもらっています。
生前から、私は彼女に「天界にいたべ?
白状しろ!」と言ってたくらい
(もっとも、私は「杖を突け!泉が出るから、
ワシが入場料取って商売しちゃる!」と
えげつないことを言っていて、弘子ちゃんに
大笑いされてたんですが、半ば、冗談
半ば本気でした)ひどい関係でしたが
イエス様もお釈迦様もソクラテスも自らは
教科書的なことは残さず、みんな弟子が
書き起こしたと漏れ聞いております。
私は大勢いるだろう弘子ちゃんに魅せられた
人のひとりですが、私が知っている生身の
弘子ちゃんを私のために書き起こしておこう
と思いました。
これから、しばらく旧ブログで書いていた
ものも載せながら、追記していきたいと
思っております。
よかったら、読んでみてくださいね。
☆☆☆
(これより下は旧ブログ2018年10月30日
掲載の再掲です)
■「頑張れ」も「無理するな」も良い言葉
ある日、弘子ちゃんがこう言いました。
「日本語って難しいですよね…」
彼女は中国語も堪能ですが、もちろん日本語も
自由自在です。
両方の漢字(語源)が分かるせいもあるのかも
しれません。
言葉をとても大切にするんですよね。
何て言うのか、正確に気持ちを伝えたいっていう
感じですかね?
弘子ちゃん自身は自らの発信に対して、すごく
気を遣って、誰もが傷付かないようにしようと
努めていたように思います。
逆に、人からかけられる言葉については、
こんな風なことを考えていたように思います。
弘子ちゃんはがん、しかも余命宣告が出ている
がんに罹患していると公表していた訳ですが
弘子ちゃんはある事をとても気にしていました。
弘子ちゃんに対面する人が、当の本人にどう
言葉をかけるべきかを一瞬、迷うように感じる
ことがある。
つまり、適切な言葉のセレクトで迷っている
という意味です。
このことに対して「逆にとても申し訳なく思う」
ということをよく口にするんです。
日本語には励ましに丁度良い言葉がないのは
私(りんこ)も感じる所ですが
微妙な間で「頑張って!」と言われる空気が
何らかのことで既に目一杯頑張っている人に
とっては、逆に辛い言葉だと指摘されることも
ありますよね~。
当然、弘子ちゃんも「頑張れ!」って言葉に
ナーバスになる瞬間も一杯あったんじゃないかと
想像するわけです。
■直接かけられた言葉はすべて
良い言葉として受け止める
でも、弘子ちゃんはこう言っています。
「『頑張れ!』も『無理するな!』も本当に
良い言葉」
「ハッキリ言って、どう慰めてよいやら分から
ないような相手に対して、それでも、どうにか
元気になってもらいたいという一念でかけてくれ
る言葉でしょ?
りんこさん、こう思うと、本当にそのひとつ
ひとつが、ありがたい言葉だなって思うの。
言葉の意味はこの際、どっちでもいい。
その人が私のことを、その瞬間、すっごく思い
やってくれて口にしてくれた言葉はどういう言葉
であろうと、とてもありがたいもの。
りんこさんがよく言う
「(大丈夫だから)無理しろ!」も
他の人がよく言ってくれる「無理するな!」も
一番深いところにある気持ちは同じだよね?
どんな言葉をかけられても、私のためにかけて
くれている言葉だから…、すごく幸せな言葉に
思えてくるから、不思議…。
どの言葉でも、そういう、人のまごころを頂いて
いるんだなって思えるから、すごく元気になる!」
言葉って、こういう風に考えていくものなのか…
と物書きであるはずの私には大きな出来事だった
のです。(第2話へ続く)