「アヒルは鳥じゃないでしょう」問題
ベトナムにはミエン・ンガン(miến ngan)という鳥の麺がある。
nganというのが鳥の種類で、店頭にも鳥の写真が貼ってあるのだが、鶏でもないし、アヒルでもないが、そのどちらにも似ているという不思議な鳥だ。
調べると、ウィキペディアのページがあった。それによれば、nganとは「野生のMuscovyアヒルの飼いならされた形」だそうで、ますますよく分からなくなった。とにかく、日本にはいない品種のようだ。
nganはシンプルに美味い。硬くしまった肉に旨味がつまっていて、地鶏みたいな感じ。
まあ、それは良いのだが、問題は「鳥」だ。
2年以上一緒に働いているベトナム人の先生、ルアさんにnganの写真を見せて、「この鳥、ベトナムではよく食べるんですか」と聞いたときだった。
ルア先生が「鳥? どこ? これは鳥じゃないでしょう」というので、ぼくはびっくりしてしまった。
ベトナム語の教科書などでは、鳥は「chim」と書いてある。(ついでに言うと、chimはチンチンの意味もある)が実際に「chim」が意味するのは小鳥(フィンチ類)だけで、中型以上のものは「chim」ではない。
しかし、大きさに差があっても形状はほとんど一緒なのだから、「鳥」と言えば通じるだろうと、ぼくは無意識に考えていた。
ところがルア先生は「これは鳥じゃない」と言い張るのだ。フィンチ類とはまったく別の生き物であるかのような言い方だ。
ぼくにとっては鶏も鳩もアヒルも白鳥もダチョウも鳥だった。二本の足があって、その上に羽のついた胴体があり、くちばしがある可愛い生き物、というのが、ぼくにとっての鳥の定義なので、とまどってしまった。
うろたえながら「羽があって、もこもこしていて、空を飛ぶ生き物を鳥と言うんですよ」と言ったら、「nganは飛ばないです」と言われてしまった。そういえば鶏も飛ばないが、鳥だ。その説明は余計だった。
「いや、日本語の〝鳥〟は、こういう生き物全般のことなんですよ」と言ったら、「こういう生き物って、なんですか? chimとnganは、ぜんぜん違うですよね」と言う。
つまり、ルア先生にとっては(あるいはベトナム語母語話者にとっては)フィンチ類(文鳥やインコなど)と、アヒルや鶏などは、まったく別の生き物という認識なのであった。
「じゃあ、鳥類全般を指すベトナム語って何ですか?」
「ええ?」と眉根を寄せて、ルア先生は不機嫌そうな顔になった。
ちょっと納得がいかない。いくら言葉のカバー範囲が違うと言っても、日本語の「鳥」は生物学的な分類と一致しているのだ。ベトナム語にだって、絶対に「鳥類全般」を指す言葉があるはずである。
そう思ってこっそり別の先生に聞いたのだが、そちらも首をひねるばかりだった。
「家で飼ってる鳥と、それ以外」という区別はある、という。
それなら日本語にもある。
例えばアヒルとカモは生物学的には同じ鳥だが、日本語では家畜をアヒルと呼び、野生種をカモと呼ぶ。
ベトナム語にも似たような区別があるらしい。
「でも、それらを全部合わせて、1つの生物種として呼ぶ言葉があるはずでしょう」と言ったのだが、結局見つからなかった。
その先生は日本語がペラペラで、日本人と話すように話しても通じる秀才である。その彼が、鳥類全般を指すベトナム語を見つけられなかった。というか、そんな発想すらなかった、という。
おかしな例えだけど、「四本足で、毛があって、人間の生活の極近くにいる哺乳類全般」を指す言葉は、ない。犬と猫をイメージしたのだが、その二種を総称する言葉はない。それと同じ感覚なんだろうか、ということを聞いてみたら、「そうかもしれない」とのことだった。
「小鳥類と鶏やアヒルはまったく別の生き物」
そういう認識の世界は、きっと日本語母語話者の見る世界とは全然違うのだろう。
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