江口章子【詩集・追分の心】より「追分の心」
「追分の心」
春ふかき孤島のわれは
さすらひびと
いまは知る追分の唄のこころを
北海の遠き渚に立ちて
きみはなほ追分を唄ひたまふや
亡びゆくアイヌと
筑紫なるわれを嘆きて
春ふかき孤島のわれは
さすらひびと
星すめばいよいよ悲しく
桃さけばいよいよ悲しく
いまは知る追分の唄の心を
亡びゆくアイヌと吾と
その唄のその人のいづれかなしと
きみにきけ孤島の海
北海の遠き渚の唄
追分の節ぞ慕はし
この章では、姫島、島、都から離れた島、海、ふるさとの心や、都会から離れた寂しさなどが多く綴られています。この詩に登場する追分の唄は、北海道の民謡「江差追分」(えさしおいわけ)のことを指しているのだと思われます。
「江差追分」とは、江戸時代から信州中仙道で唄われた馬子唄をルーツとする民謡で、船乗りとともに海を渡ってこの地にやってきました。北国の厳しい自然と生活のなかで磨かれ育まれてきた「江差追分」は、人間讃歌として200年以上もの長い間、江差のみならず世界中で唄いつがれています。
(中略)
一攫千金を夢見て、北前船に乗って江差にやって来た男たちが、命を落とすかもしれない状況で、故郷を捨てる悲しみとか、愛する人や家族を置いてきた寂しさとか、江差追分にはその喜怒哀楽がすべて詰まっているんですよね
(江差追分について)
「追分の心」の詩に出てくる「筑紫なるわれ」は九州にいる章子自身をさし、それを「亡びゆくアイヌ」と対比させています。江差追分は、哀愁の節をもち、章子の時代にも多くの人の心を捉えたのではないでしょうか。
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