ユーラシア大陸横断日記31 デルフィ~アテネ~パトラ
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
デルフィ(デルポイ)で数日を過ごし、アテネへ南下します。前回の記事はこちらです ↓
デルフィ(デルポイ)~アテネ
デルフィは個人的にかなりお気に入りの場所になった。
こじんまりとした町だったけれど、旅行者が生活する分には全然困らなかったし、山の中腹にあって空気もきれいで見晴らしもよくて、遺跡の存在も大きかった。
でもずっとここに住むわけにもいかないので、もっとデルフィにいたい気持ちは大きかったけれど、先に進んでいくことに。次はいよいよアテネ。
アテネ行きのバスはデルフィのメインストリートの端から出ていた。チケット売り場も相変わらず小さな店の中だったし、目印も何もなくて一苦労。
知らない人はなかなか見つけるの大変なのでは…
ただバスは今度は乗り換えなしでアテネのバスターミナルまでまっすぐ運んでくれるとのことで、そこは助かった。
アテネ
デルフィを出発したバスは山を下って平地の道を走っていく。
長距離バスではあったけれど、何か所か停車して乗客を乗せたり降ろしたりしながらのんびりとアテネに向かった。
アテネに着いた後はまずは宿探し。
とりあえずオモニア広場というところに行けば泊まるところがあるというふうに聞いていたので、まずはそこに行くことに。
バスを降りた近くにあったスーパーに入り、買い物がてらオモニア広場に行くには…、と店員さんに聞いてみると、側にいた老夫婦が「連れていってあげるよ!」と車に乗せてくれた。
広場まで運んでもらい、お礼を言ってユースホステルの場所も教えてもらう。ユースホステルは、降ろしてもらった通りを歩いてすぐの場所にあった。
チェックインを済ませ、とりあえずその日は食べるものを買うためにスーパーマーケット的なものを探しつついつもの街歩き。
移動で疲れたので、近くをふらふらと歩いて買い物を済ませただけで宿に戻り、早々とベッドに戻って寝てしまった。
翌朝、アテネゆるゆる観光へと出かけた。ユースホステルからは多少離れているけれど、いわゆる観光名所的なところは歩いていける距離だった。
訪れたパルテノン神殿、ゼウス神殿、古代ギリシャ時代の名だたる遺跡たちはもちろん魅力的だったけれど、そんな遺跡たちにまじり、細い路地にあるパン屋とかこじんまりした雑貨屋や本屋、そういった地元の人の生活を垣間見られるのも楽しかった。
アテネでゆるゆる数日をすごし、ローマで落ち合う後輩との予定も考えながら、そろそろ進んでいくことにしてこの後のことをいろいろ考える。
アテネからイタリアへはもちろん陸路で行くことも可能だけれど、フェリーを使いたかった。
これも大好きな深夜特急からの影響で、ギリシャの西側、ペロポネソス半島の北端にあるパトラ(パトラス)という街からイタリアのかかとにあたるブリンディシ(ブリンディジ)へと渡る地中海の船上での話が個人的にとても好きだった。
パトラへはアテネから鉄道で繋がっているので、アクセスも容易。
そんなわけでフェリーでのイタリア行き決定!
イタリアを目指して パトラへ
まずはアテネから鉄道でパトラへ。
およそ4時間、180kmの道のりとなる。
4時間は長いなあと思ったけれど、列車はペロポネソス半島の海岸沿いを走っていき、海の眺めがとてもきれいで飽きることなく眺め続けて意外とあっという間だった。
パトラに到着すると、駅の近くにあるこちらもユースホステルを利用した。
ユースホステルへと向かって歩く道沿いにフェリーターミナルを見つけ、また、街中にもたくさんのフェリー会社があった。
このあたりでチケットを買えそうだなと思いつつ、宿にチェックインしてドミトリーのベッドを手に入れると、スーパーで食料品を調達してあとはすぐに寝てしまった。
翌日、早速チケットを買いに出かける。
だいたいのオフィスは入り口のところに航路や料金が書いてあったりリーフレットがおいてあったりするので、それを見ながらブリンディシ行きのフェリーを探し、なんとなく良さそうに思えた1社に入った。
↑ 港町パトラ。大型のフェリーが海を行き交います。
他の会社といろいろ比較すれば一長一短が見えてくるのかもしれないけれど、とりあえず乗る分にはまったく問題なさそうだったのでチケットを購入。出発までの残り数日をここパトラで過ごすことになる。
こちらに続きます ↓