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ユーラシア大陸横断日記21 アゼルーイラン国境を越える イラン入国
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
チャリダーの大学生とわかれ、もう1人の大学生とバクーで合流した女性の2人ともにアゼルバイジャンのバクーから南下、温泉のあるイスティスウ(Istisu)へ。
ここから国境を越えてイラン入国を目指します!
前回はこちらです ↓
アゼルバイジャンの温泉地 イスティスウ
バクー駅から寝台列車で南下し、降りた駅はおそらく「ランカラン」。
まだ夜明け前で真っ暗で、おまけに雨が降る中、3人でタクシーに乗ってイスティスウへ送ってもらった。
イスティスウには温泉がある。久しぶりの温泉につかりたくて、イランに行く前にちょっと寄り道。
山奥にある温泉地の宿(保養所?)に泊まり、久しぶりの温泉に上海から続くこれまでの旅の疲れをしっかりと癒してもらってリフレッシュ。
カスピ海を渡り、大陸横断の旅もいよいよ後半に差し掛かってきたところでちょうどよいタイミングとなる休息だった。
国境のアスタラへ
翌朝、イスティスゥを出発しイランと国境を接するアスタラ(Astara)へ。
今回も3人グループなのをよいことに、タクシーに乗ってアスタラへと進んでいく。
タクシーはアゼルバイジャンの田舎道を走り続け、国境に到着した。
無事にアゼルバイジャンを出国、5か国目となるイランへの入国はトラブルもなく、むしろ管理官の方たちはすごく親切で「よく来たね!」と迎えてくれた。
当時、イランはアメリカから悪の枢軸と呼ばれ、自分のなかにもどういう国なのかイメージがなかったが、この国の人たちには本当に親切にしてもらい、あらゆる場面で助けてもらうことになった。
国境を越えたところからタクシーで近くのバスターミナルに送ってもらって、早速首都テヘランに向かうバスに乗る。
国境から首都テヘランまでは6時間~7時間ほどだったと思う。
曇り空で雨もちらつくお天気、カスピ海を横目に田園地帯を進み、山を越えていった。
バスの中ではイランの女子大生たちに質問攻めにあい、途中休憩で降りた場所では家族連れの方にごはんに招いていただいた。
とてもやさしくて、親切な人たち。
テヘラン到着
テヘランに到着したころにはすっかり夜になっていた。
バスターミナルを降りた駐車場でタクシーを見つけ、早速
「安くていい宿ありませんか?」
をドライバーさんにぶつけてみる。
時間的にはもう夜も遅く、ドライバーさんも仕事を終えて帰るところだったようなのだけど(あんまりよくわかってなかった、、申し訳ない…)、
「えー!うーん…いいよ!」
と、こんな時間で早く帰りたかっただろうに、行くあてのない自分たちのために車を出してくれた。
料金も1ドルでいいよという話で「1ドルならこのくらいの距離かな」と想像していたら、ターミナルから市街地にある宿まではずいぶん遠くて、とても1ドルで行けるような場所ではなかった。
割増賃金でもなんでもできたのだろうけど、外国からの旅行者である自分たちをすごく歓迎してくれているようだった。本当にありがたい…
このご厚意に何とか応えねばと、みんなして日本のポストカードや硬貨を降り際にプレゼント。
ドライバーさんが紹介してくれた宿につくと、今度は宿のご主人が着いたばかりの自分たちを見て、
「こんな遅くにお疲れさま。大変だったね!ご飯は食べたの?」
とこれまた手厚く迎えてくれた。
「いや…、食べる時間がなくて」
「そうか!簡単なものだけどつくるしちょっと待って」
とわざわざごはんをつくってくれたのだが、これがまた本当においしい。
卵にツナとニンニク入りのヨーグルトを混ぜて炒めたものと、あったかい紅茶。
国境を越えてばたばたとした移動で、知らない間に疲れがたまっていたのかすごくほっとした。
ほっと一息とはまさにこの時のためにあるような言葉。おいしいごはんと紅茶をいただいて、この日はみんなしてベッドで熟睡 笑
こちらに続きます↓