いつかお会いする方へ「父の生き様」
※令和4年6月19日(日)夜に書きました。
父は長い間、骨髄異形成症候群を患っていた。
週2回の通院にも関わらず、仕事に精を出す人だった。
贅沢もせず、借金がある訳でもなく、私達子どもにお金がかかる訳でも無く。
「父の日か」
父は最期に何を望んでいたのだろう?と考えた。
宝物の子どもを元夫に託し、実家に1人で戻っても、好奇心いっぱいの目で見られる事は無かった。
父の葬儀の時、葬儀場に向かう霊柩車と参列者を乗せたバスは、葬儀場とは反対方向にある道の駅に向かった。
父の大好きだった道の駅に寄ってもらう為だった。
父は骨髄異形成症候群を患っているにも関わらず、その当時は早朝から畑仕事をしていたのだ。
道の駅には、店長、副店長、数名の農家の方が駐車場で霊柩車を待ってくれていた。
父の生き様を見た。
私は失敗だらけの人間だ。
それでも、地元に戻り白い目で見られる事もなく、むしろ温かい目で見てもらえるのは
「父の生き様のおかげ」
と痛感している。
「お父さんは優しかったよ」
回転寿司のテーブルの向かい側で、母が言った。
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