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なるべく明るい乳がん日記39何も書かなくて…夏

〜前回のあらすじ〜
乳がんの初期治療を終え、ええ感じに継続できる運動をしようと書きながら諸々のことが忙しくバタバタしてる間に夏になっていた。その間何をしていたのかといえば食べ物の美味しいところへ引っ越し、春に受けた術後1年の検査を最後に、今までお世話になった病院から転院もした。

ちなみに術後1年の経過は良好!!先生や看護師さん薬剤師さんなどなど、治療に関わってくださった皆様と支えてくれた家族、友人に感謝です。
ありがとう!!
私の場合は10年ホルモン療法を続けていくタイプなのでまだまだ寛解とは言えない感じではあるけれど、このままのほほんと平穏を維持して日々楽しく笑って暮らしていきたいと思っていたその矢先、思わぬ伏兵が私の身体に忍び寄ってきたのであった。

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そう。それは帯状疱疹
50歳を過ぎたらワクチン接種!と日々テレビで見るアレ。
しかも術側。なんでそっち。

元々術側は多少の違和感があって、ドレーン跡地からわきの下辺りは麻痺が残っているし、無傷の頃の柔らかな皮膚の伸びはもう過ぎ去った過去というか、そこ悔やんでもしょうがないし日常生活は送れてるからいっか!くらいの感じで、あとは地味に手指が痛かったりするものの(自前の更年期かタモキシフェンによる副作用の更年期障害かは不明)まあ普通に暮らしていた。

そんなある日、なんだか妙に背中に痛みを感じるようになった。
カロナールを飲んでみたり、ストレッチポールでほぐしてみたりした。
翌日痛む背中をなんとなく触ってみたら発疹が出ていた。ボコボコと。
なんじゃこりゃーー!!
蕁麻疹とは明らかに違う。しかもきっちり背骨の右側だけ痛い。

………え、これもしかしてアレか?

皮膚科が休診日だったので、とりあえずカロナールを飲んでやり過ごし、翌日皮膚科へと走った。寝て起きるたびに背中から右わき、胸へと痛みと発疹が広がっていく。痛みは筋肉痛のような時もあれば背中をゴリゴリ拳で押されているような時もあれば血が出ない程度に剣山で刺されているような時もあってとにかく総じて痛い。右側だけが痛い。「半分、痛い。」(朝ドラか)

先生は私の背中を見て一言「帯状疱疹ですね。」と思った通りの診断を下し痛み止めと抗ウイルス薬(どちらも飲み薬)を処方してくれた。
抗ウイルス薬を飲み始めることができたのは発疹に気付いてから3日目。
ギリギリセーフ。

抗ウイルス薬
水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスの増殖を抑える薬。
発疹(ほっしん)が出てから3日以内に飲みはじめるとよい。
症状が治まっても、ウイルスがしっかり抑えられていないこともあるため、処方された薬は最後まで飲む。
効果が出るまでに2~3日かかることがある。
基本的には飲み薬(内服薬)であるが、場合によっては点滴薬が使われることもある。

帯状疱疹.jp 帯状疱疹の治療

帯状疱疹は神経に沿って赤い発疹が帯状にできる。
胸のちょっと麻痺が残っている辺りだけすっ飛ばして発疹が広がっていくのが神経を可視化したようでおもしろくもあり、そうか…と思ったり。
わき側のキズ跡の上には発疹は出来なかったけどそれ以外のキズ跡の上には発疹が出た。神経がつながったということだろうか。わからんけど。

ちなみに私が処方してもらった抗ウイルス薬には後発(=ジェネリック)がなく、薬価がなんと1錠1177.5円という結構な高級品。これを1日1回2錠1週間飲む。保険がきくとはいえ、お会計も痛かった。

それでも服用を始めてからは発疹の広がりも止まり、赤黒いかさぶたとなっていった。痒みと共に。そう。痛いうえに痒いのだ。
この痒みが厄介で辛い。

とにかく痒いからといって掻きむしってしまうとその快楽と引き換えに悪化の一途を辿るのは明白なので、掻かないよう強い意志の力で己の両手をねじ伏せる日々。我慢出来ない時は痒いところをバチーンと平手打ちし、痛みという刺激で誤魔化す。荒々しいがこれがいちばん手っ取り早い。
「かゆい!!」と言い放っては己の半身をしばき倒す妻を夫はなす術もなくただ黙って見守っていた。夫にはいつも苦労をかける。

とにかく何をしてても辛いけれど時が経てば治るので、同じ時間を過ごすならなるべく楽しく過ごそう!と『鬼滅の刃 柱稽古編』を見たりアマプラでフジロックを見たりして過ごした。(トクマルシューゴとくるりを少々)

気になっていた本も読んだ。

どちらも図書館で借りたけど、買って手元に置いておきたいくらい、いい本だった。おすすめ!!

とにかく帯状疱疹は厄介で今もまだ痒くて痛いです。
今は痛み止めと後日処方してもらった痒み止めを塗って免疫ケア的なものを飲んだりして強さをひきだすようにしています。
皆様もどうか元気で。お気をつけて。

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