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ウルトラマン主題歌における一人称視点の変化~「光の国からぼくらのために」から「僕は強くなる」まで~

※こちらの記事は、文学作品展示即売会「文学フリマ東京38(2024/5/19)」「文学フリマ東京39(2024/12/1)」にて頒布された同人誌『試作派』に寄稿したものです。主催の葉入くらむ様、校閲担当者様、当日手に取ってくださった皆様、ありがとうございました。

はじめに (ウルトラマン主題歌における一人称視点とは)

ウルトラマンジード(2017)をリアルタイムで見ていて、めちゃくちゃ驚いたことがありました。
「♪ジード… ぼくは つよくなる」
初めてこのフレーズを聞いたとき、「は????」と思ったんです。これ、リッくん(朝倉リク。ウルトラマンジードの変身者)が歌ってるじゃん。完全に。ウルトラマンの主題歌といえば、昭和なら「♪来たぞ我等のウルトラマン」、つまりウルトラマン賛歌。平成なら、「♪ウルトラマンがほしい!」つまり軸足は人類にあるけど、やっぱりウルトラマン賛歌。人間が、市民がウルトラマンの強さと優しさを讃える歌だった。ところがジードは、ウルトラマン本人が歌っちゃってる。これはもういわゆる平成ウルトラマンで起こった「人間ウルトラマン」ムーブどころの話じゃない。ウルトラマン自身の物語をウルトラマンが紡ぐってことだ。
 
これはとんでもない発見だ! と思って、じゃあほかのウルトラマン主題歌は誰視点なのか調べてみよう、と思ったのがこれを書くきっかけです。書いていくにつれ、実際よくよく読んでみるとウルトラマン視点の曲は別にジードが初出ではないと思い知るんですけど。まあ、それも含めて、歴代のウルトラマン主題歌が誰の視点で歌われているのかを一挙にまとめました。
 
※作品をピックアップする基準は、円谷プロ公式サイト(※)で「ウルトラヒーロー」としてカウントされているヒーローのうち、番組・映画の主役となっているものを基本としています。映画主題歌で今回のテーマとかけ離れた曲は除外したものもあります。逆に基準外ではあっても私の好みでピックアップしている曲もあります。

※円谷プロダクション(二〇二四)「ウルトラヒーロー」『円谷ステーション(円谷プロ公式サイト)』
https://m-78.jp/character/category/261/

昭和作品

『ウルトラマン』(1966)

「光の国からぼくらのために 来たぞ 我等のウルトラマン」(『ウルトラマンの歌』)
 
この、市民がウルトラマンを応援する視点の「ウルトラマン賛歌」を基準に話を進めていきます。今初めて気づいたけど、「ぼくら」と「我等」は同じ意味だしどっちかにしろって気がしてきた。
 
一人称:視点→市民 呼称→ぼくら、我等
二人称:呼称→(なし)
三人称:呼称→(なし)

『ウルトラセブン』(1967)

「進め!銀河のはてまでも」(『ウルトラセブンの歌』)
 
基本はウルトラマン賛歌なんですが、歌詞中に人称(僕とか君とか)は一度も登場しません。ただ「進め!」というのはセブンに向けて呼びかけていると捉えられます。以降、人称が登場しなくとも「戦え」「それゆけ」的な命令形ワードがあればだいたいこのセブンタイプだという解釈をします。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『帰ってきたウルトラマン』(1971)

「君にも見える ウルトラの星」(『帰ってきたウルトラマン』)
 
え~~~いきなり難しいやつ出た。「君」とは誰なのかを考える上でまず一人称が誰かを考えると、おそらく市民で、ウルトラマンに詳しい人間。その人が、ほかの市民の「君」に向けてウルトラマンを讃える歌を聞かせているようなイメージ。ただ、この歌を変身者の俳優である団次郎が歌っていることを考えると、正体を隠した郷隊員がウルトラマンについて語っているとも捉えられて面白みがありますね。
 
一人称:視点→市民A 呼称→(なし)
二人称:視点→市民B 呼称→君
三人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)

『ウルトラマンA(エース)』(1972)

「遠くかがやく 夜空の星に ぼくらの願いが とどく時」(『ウルトラマンエース』)
 
典型的初マンタイプ。「今だ変身 北斗と南」と変身のタイミングまで指定してきます。
 
一人称:視点→市民 呼称→ぼくら
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンT(タロウ)』(1973)

「そしてタロウが ここにいる」(『ウルトラマンタロウ』)
 
これは基本的には、人称が登場しないけど市民視点というセブンタイプなんですけど、ちょっと面白いのが「空を見ろ 星を見ろ 宇宙を見ろ」の部分。市民がウルトラマンに、「戦え」ではなく「見ろ」と言っている。タロウは危機にまだ気づいていないから、気づいてくれ〜という思いで呼びかけている。
「あれは何 あれは敵 あれは何だ」も面白い。市民の気持ちでもあるけど、タロウがそう思っているのを代弁しているようにも捉えられる。タロウを、絶対的なヒーローとしてではなく、襲い来る脅威に立ち向かう一人の青年と捉えて見守っているようにも感じる。これは、タロウがウルトラ6兄弟の末っ子(義兄弟ではありますが)という位置づけであるためでしょう。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンレオ』(1974)

「燃えろ レオ 燃えろよ」(『ウルトラマンレオ』)
 
人称なしのセブンタイプ。歌っているのが変身者の俳優本人ではありますが、文脈としては特に感じませんでした。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)
 
「レオ!ウルトラマン!レオ!君の番!」(『戦え!ウルトラマンレオ』)
 
後期OP。二人称はあるものの普通のウルトラマン賛歌です。「君の番」というのは何か、ウルトラ兄弟を経て次はレオの番だよ、的な味がありますね。歴史を積み重ねてきたからこそ出た歌詞ではないでしょうか。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ザ☆ウルトラマン』(1979)

「誰もが知ってる ウルトラの戦士」(『ザ・ウルトラマン』)
 
「戦え!」「進め!」など直接的な応援の言葉はなく、第三者視点でウルトラマンを讃えているイメージ。これはウルトラマンが三人称側になるのかどうか微妙なところだな。まあ、二人称に入れておきます。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマン80(エイティ)』(1980)

「He came to us from a star」(『ウルトラマン80』)
 
主人公の市民が「君」にウルトラマンの素晴らしさを説く、これは帰りマンタイプか。ということはこれ、もしかして一人称は矢的先生(矢的猛。教師でありウルトラマン80変身者)で、正体を隠して80を第三者と捉え、生徒に語りかけている? あ~~~これにはぜんぜん気づきませんでした。熱いな。ただ私の思い込みかもしれないので、断言はしないでおきます。
 
一人称:視点→市民A(または変身者) 呼称→(なし)
二人称:視点→市民B 呼称→君
三人称:視点→ウルトラマン 呼称→he

『ウルトラマンUSA』(1989)

「ヒーローは今ここに 心の中にいる」(『時の中を走りぬけて』)
 
ヒーローの存在を胸に、自分が強くあろうという宣言。もはやウルトラマンの存在は直接的には歌詞に登場しません。実はこの視点は、平成以降どんどん強くなっていきます。いや、捉えようによっては変身者視点の歌とも考えられるかな? でも市民視点の方が美しい気がするのでそっちにしておきます。USA未視聴なのであまり解釈に自信ないけど。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンG(グレート)』(1990)

「ぼくらのグレート ウルトラマングレート」(『ぼくらのグレート』)
 
タイトルからそのまま初マンタイプ。「光の子供の 君が来た」と二人称で呼びかけるのはなんか親しみと期待が感じられて良いね。
 
一人称:視点→市民 呼称→ぼくら
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンパワード』(1993)

「明日をつかむこの胸に ほんとの勇気をくれないか」(『ウルトラマンパワード』)
 
まだウルトラマンは歌詞には登場するのですが、単純にヒーローを讃えるのではなく、自分が強く生きるための力をくれと語りかけている。ウルトラマンUSAから始まった視点。カメラがウルトラマンではなく、自分に向いている。自分の胸の中にいるウルトラマンに向かって歌っているようなイメージです。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

平成作品

『ウルトラマンティガ』(1996)

「いつかは届くきっと 僕らの声が」(『TAKE ME HIGHER』)
 
ウルトラマンの作品を時代で分類する際は、ティガ以降を平成作品とするのが一般的です。狭義ではティガ・ダイナ・ガイアの3作品を「平成3大ウルトラマン」とくくるのですが、ここではティガからニュージェネレーション(ギンガ〜)以前を大きく「平成作品」と捉えたいと思います。
さて、V6が歌うこちらの主題歌は、市民「僕」の視点で胸の中にいるウルトラマンとともに進む、という平成以降の典型的な視点。ウルトラマンUSA以降既出ではありますが、平成作品を象徴する視点として「ティガタイプ」としましょう。
気になるのは「いつかは届くきっと 僕らの声が」。誰に届くのか。「世界へ」なのか、「ウルトラマンへ」なのか。市民の声がティガに届く演出がある最終回を踏まえると「ウルトラマンへ」なんですが、強くあろうと歌うこの歌だけを見れば、「世界へ」なんではないかなと思います。
 
一人称:視点→市民 呼称→僕ら、me
二人称:(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンゼアス』(1996)

「僕が夢見た あおい星 君が みんなが 呼んでいる」(『シュワッチ! ウルトラマンゼアス ~ウルトラマンゼアスのテーマ~』)
 
わ! ここで出ました、完全に一人称が変身者の歌。導入で触れた、ジードの例です。ここが初出だったか。市民目線の等身大のウルトラマン(60メートルだけど)だからこその、変身者目線の歌。ということは、「君」は星見隊員(ヒロイン)だし、「みんな」は子どもたちだ。で、朝日隊員(朝日勝人。ゼアス変身者)は擬態型(宇宙人たるウルトラマンが人間の姿を借りて地球に暮らしている)なのでウルトラマン自身の目線でもある。わあ特殊例だった。
 
一人称:視点→変身者(=ウルトラマン) 呼称→僕
二人称:視点→ヒロイン 呼称→君
三人称:(なし)
 
 

『ウルトラマンダイナ』(1997)

「正義のため戦え ウルトラマンダイナ ダイナ」(『ウルトラマンダイナ』)
 
人称はありませんが、「戦え」が出たので基本はセブンタイプ。ただ、「正義はなんだ ダイナ ほんとの愛はなんだ」「なんのために 誰のために あの力はあるのだろう」と問いかける言葉からは、タロウで既出の「ウルトラマンを絶対的なヒーローとしてではなく、襲い来る脅威に立ち向かう一人の青年と捉えて見守っている」ような視点が感じられる。最近はタロウもダイナも客演では大先輩ポジションに落ち着いていますが、本編ではまさに迷える青年として存在しているのです。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンガイア』(1998)

「ウルトラマンがほしい!」(『ウルトラマンガイア!』)
 
私、ガイアの歌はずっと、人類ががんばって地球の危機に立ち向かって、最後の最後にどうにもならなくなったときにウルトラマンを呼んでいる歌だと思っていました。でも今読んだら、我夢(高山我夢。ガイア変身者)本人が歌っているようにも捉えられるな? 我夢は第1話で、霊体?として現れた巨大なガイアに向けて「僕は君になりたい、君の光がほしい」と呼びかけます。この言葉こそ「ウルトラマンがほしい」ではないか! この企画、自分の解釈の弱さを突きつけられますね……。ガイアは最終回で市民がウルトラマンを支援し応援する展開があるため、どちらの解釈でも熱い。
 
一人称:視点→市民(または変身者) 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンナイス』(1999)

「苦しいとかつらいとか 疲れてもうダメだとか ぼくらと同じで悩むだろうか」(『ウルトラマンナイス』)
 
めちゃくちゃ熱いこのフレーズ。ナイスはCMキャラクターとして作られたコミカルなウルトラマンなんですが、タロウで例えた「一人の青年と捉えて」がさらにリアルに、がんばっているスポーツ選手やお笑い芸人くらいの距離感になっている。私はそれまでウルトラマンに対して「神たる存在」的な捉え方をしていたから、ナイスの歌を初めて聞いたときには「ここまで目線の高さ近づけてくるんだ!」とびっくりしたし、ナイスならではだと思っています。最後には同じメロで「苦しいとかつらいとか 疲れてもうダメだとか ぼくらは言わない きみと同じさ」と歌うのも熱い。
 
一人称:視点→市民 呼称→ぼくら
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→きみ
三人称:呼称→(なし)

『ウルトラマンネオス』(2000)

「誰にも負けない 銀色のHERO」(『ウルトラマンネオス』)
 
人称ないためセブンタイプですが、ウルトラマン賛歌である点は初マンオマージュ作品なだけある。ただ、「正義の心は どこにある」「力の強さに 迷うとき」と、ウルトラマンの迷いも歌っているのが平成ならでは。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンコスモス』(2001)

「僕たちはきっとつながっている」(『Spirit』)
 
上記に一人称が、「君に見える光のPOWER」の部分に二人称が登場。おそらく初マンタイプで「君」はウルトラマンなんだけど、「自分にだけは決して負けない」などからわかるように、主語は「僕たち」。ニュアンスとしては、ウルトラマン賛歌よりもティガタイプの「胸の中にいるウルトラマンとともに進む」風味が強い。歌うのは、ナイス・ネオスに引き続きProjectDMM。ウルトラマン主題歌のために結成されたユニットであるDMMの歌には、この「ティガタイプ風味」な歌が多い。
 
一人称:視点→市民 呼称→僕たち
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンネクサス』(2004)

「そんな僕にサヨナラさTransformation!」(『英雄』)
「僕はちっぽけな 青い果実でしょ」(『青い果実』)

 
作風を一新しハードな展開を見せたネクサス。主題歌はOP・EDともにビーイング系のアーティストが占めています。TVのウルトラ作品にしては非常に珍しく、いわゆるタイアップ的なスタイルを取っており、歌詞にウルトラマンは登場しません。まぁTake me higherも登場しないといえばそうですが、その心にはウルトラマンがいることが感じられます。対して、ネクサスの歌詞は完全に「僕」の世界。よって、真正面からウルトラマン主題歌として捉えてほかの曲と同列に解釈するのは筋違いではないかと思う。
ただ、『英雄』に突然登場する「明日の君はどうする?」はどう捉えるか悩みますね。やはり「僕」が姫矢(姫矢准。ネクサスの1人目の変身者)で「君」が孤門くん(孤門一輝。主人公。最終的にネクサスの変身者となる)なんだろうか。……という視点すら筋違いな気がする。いちおう書いておきますが、仮としたい。
 
一人称:視点→変身者? 呼称→僕
二人称:視点→主人公? 呼称→君
三人称:視点→敵? 呼称→アイツ

『ウルトラマンマックス』(2005)

「銀河の彼方 やって来たのさ 僕らの明日をみちびくため」(『ウルトラマンマックス』)
 
一人称は上記、二人称は「闘う君が教えてくれた 自分の道を信じること」で登場。ProjectDMMが歌うだけあり、コスモスと同じでティガタイプ風味。ただ、「僕らの明日をみちびくため」のフレーズ、ここだけ急にがっつりウルトラマン賛歌になる。意欲作のネクサスの後番組として、原点回帰が求められたマックスならではではないでしょうか。
 
一人称:視点→市民 呼称→僕ら
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンメビウス』(2006)

「ボクらが変えてく未来 友情(きずな)はとぎれやしない」(『ウルトラマンメビウス』)
 
DMMの、ティガタイプ風味歌詞の典型。ウルトラマンが登場するのは、「銀河の彼方 ココロの声が 聴こえてる」「銀色の目が 時の流れを 見つめてる」くらい。マックスよりもウルトラマン賛歌そのものっぽさは薄い。でも、どこを切っても心にはウルトラマンがいる。メビウスは昭和ウルトラマンと地続きの世界なので、ガチガチのウルトラマン賛歌にしてきてもおかしくないんですが、ここで自らの心にあるウルトラマンを歌ったというのは、絶対的なヒーローを失った平成という時代の象徴でもあるのではないでしょうか。実際に、本編後半ではいわゆる「正体バレ」があり、防衛軍と共闘するという「ウルトラマン=神」という観念を捨てた今までにない展開があります。
 
一人称:視点→市民 呼称→ボクら
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンゼロ』(2009)

「新しいヒーロー 君はウルトラマンゼロ」(『新しい光』※OV「ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ」主題歌)
「輝く腕の光に 正義を誓う 君の名はウルトラマンゼロ」(『すすめ!ウルトラマンゼロ』※映画「ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国」オープニング曲)

 
ここで登場するのが、我らがウルトラマンゼロです! ゼロはTV作品が放映されていない時期に映画3作品の主役を務め円谷プロを牽引した後、TVシリーズが再開すると随所でゲスト出演するという特殊な立ち回りをしたウルトラマンです。TV作品で主役を張った経験はないものの、今となってはどの世代にも愛され圧倒的な人気を誇るヒーローに。孤独でグレてる若者から、頼れる兄貴へと成長してきた点も見どころでした。
さて、そうした経緯からゼロの歌と言える曲はたくさんあるのですが、まずはあきらかにゼロを歌っている2曲から紹介。この2曲は完全に新ヒーロー・ウルトラマンゼロへの応援歌。「苦しい時でも 君は独りじゃない」とまで呼びかける。絶対的なヒーローであったウルトラマンに対してですよ!タロウ、ダイナにあった「陰ながら見守ってます」みたいなやつじゃない、ド直球のウルトラマン応援歌。ゼロ、登場時はめちゃ尖った若者だったんですよね。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)
 
「そうさ僕たちはもうひとりじゃないから」(『DREAM FIGHTER』)
「終わらせない 逃げ出さない この想い 君のもとへ」(『ULTRA FLY』)

 
すみません、ゼロからもう2曲紹介させてください! ウルトラマンゼロの声を担当する宮野真守が歌う、ウルトラマン列伝(TVで新作がなかった時期に放送していた総集編番組)主題歌2曲。「ウルトラマン主題歌」というくくりには厳密には入らないかもしれないんですが、完全にゼロ視点なので今回のテーマから見て重要だと考え取り扱いました。そう、ウルトラマン視点なのです。ここまで見てきて、ウルトラマン視点で歌われた歌はゼアスのみ。ゼロが固定の変身者を持たないままゼロとしてキャラクターを確立させたのはウルトラの歴史において大きな転換点でしたが、ここで挙げた2曲はその象徴のひとつではないでしょうか。熱いね宮野! (作詞もしています)
 
一人称:視点→ウルトラマン 呼称→僕、僕たち
二人称:視点→市民? ピグモン? 呼称→君
三人称:(なし)

ニュージェネレーションヒーローズ

『ウルトラマンギンガ』(2013)

「遥かなる 時空(とき)を超え 目覚めろ!銀河の覇者」(『Legend of Galaxy 〜銀河の覇者』)
 
ウルトラマンギンガ以降のヒーローを、公式で「ニュージェネレーションヒーローズ」と呼称します。ギンガは、メビウスから7年を経て、地上波新番組として久々の復活を遂げた記念すべきニュージェネ1作目です。
ギンガの歌は意外と保守的でウルトラマン賛歌タイプ。この曲はTHE ALFEEの高見沢俊彦作詞作曲です。高見沢俊彦はウルトラマン列伝に何曲も提供していて自身で歌唱している曲もあり、これは高見沢俊彦と宮野真守のデュエット。高見沢俊彦の詞は何というか……視点があいまいな曲が多くあまり強い矢印を見つけるのが難しい。とはいえこの曲はウルトラマン賛歌、ウルトラマン応援歌と言って差し支えないと思います。
気になるのは「過去から未来へ二人を繋ぐもの それは希望をあきらめない強い意志」。「二人」とは? アルフィーの歌詞はこういうところあるんだよな……。ギンガが未来から来たウルトラマンだという設定から、ギンガとヒカル(礼堂ヒカル。ギンガ変身者)だと捉えることもできるけど。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンギンガS』(2014)

「強くあれ!強くなれ!英雄(ヒーロー)になれ!」(『英雄の詩』)
 
ウルトラマンギンガ2期作品。ギンガの場合、挿入歌やウルトラマン列伝の曲の中にもギンガの名を冠したものがあり、どこまで取り上げようか迷うんですが、この曲はちょっと珍しいと思ってピックアップしました。
「ヒーローになれ」、ということは、すでにヒーローであるウルトラマンに対しての言葉ではないわけです。まだヒーローではない人への応援歌なんですね。 ただ先述の高見沢俊彦の謎視点により「君の優しい微笑みだけが未来へ導く光になる」など、「君」が出てくる。「君」がヒーローであるとすると、「自分らしくあれ」と呼び掛けている相手が市民ということになろうか。呼びかけている相手と「君」が別というのもモヤモヤするけどひとまずこれで結論とします。
 
一人称:視点→歌唱者 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:視点→市民 呼称→(なし)

『ウルトラマンエックス』(2015)

「君と僕の絆 ウルトラマンX」(『ウルトラマンX』)
 
出ました!! 今回のテーマにおいて非常に重要な意味がある一曲です。変身者と、おしゃべりなウルトラマンのバディものという今作では、歌詞の「君と僕」が「ウルトラマンと変身者」なのです。ただここで私がそれほど驚かなかったのは、全体的にはティガタイプ風味みたいなテイストを残しているからだと思う。ガチガチの一人称で語られている歌ではないわけです。でも「君と僕」のインパクトはすごい。この衝撃、ここまで読んできてわかっていただけますでしょうか。
 
一人称:視点→変身者 呼称→僕
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンオーブ』(2016)

「世界中が君を待っている」(『オーブの祈り』)
 
「闇夜を照らせ光りの戦士よ」など、命令形がめちゃくちゃ多い、ガチガチのウルトラマン賛歌であり応援歌。これ、高見沢俊彦なのが不思議なくらい視点が明確ですね。しかしタイトルは『オーブの祈り』。暗い過去を乗り越え光にたどり着いたクレナイ・ガイ(オーブ変身者)自身の切なる願いだと思うと、それも味があります。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンジード』(2017)

「ジード… ぼくは つよくなる」(『GEEDの証』)
 
やっとやってきました。冒頭で紹介したジードです。とにかく、僕ウルトラマン! という主張がすごい。ジードは、若き変身者・朝倉リク自身がウルトラマンである擬態型のウルトラマンです。ゼアス、ゼロとウルトラマン視点の歌をご紹介しましたが、いずれも映画作品でした。ここでTV作品で等身大の変身者の姿で歌われるのが非常にエポックメイキング。「みんなのために かくご きめるぜ!」のフレーズも、ウルトラマン自身の決意を見せている点が新鮮です。そして、歌詞に漢字表記がなくひらがな・カタカナで表されるのはウルトラマン主題歌としては初。ウルトラマンそのものである19歳のリッくん自身の誓いを子どもたちに向けて歌う、新生「ウルトラマンの歌」であると思っています。
 
一人称:視点→変身者=ウルトラマン 呼称→ぼく
二人称:(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンルーブ』(2018)

「僕の声と 君の声が 重なり合えば きっと行ける」(『Hands』)
 
カツミ・イサミという2人の兄弟が2人のウルトラマンに変身する本作。つまりカツミ・イサミの2人が歌っていると捉えていいでしょう。すると互いを「僕・君」と捉えたくなるんですが、Aメロで「君の笑顔 それは希望 君の勇気 それは未来 守らなきゃ 全部たからもの」と入る。この「君」は、いつも2人を勇気づけ、合体パワーアップのキーともなるヒロインたる妹・アサヒだと考えられます。この曲もかなり等身大。ニュージェネ、作品によっていろいろな視点があって面白い!!
 
一人称:視点→変身者(2人) 呼称→僕・僕ら
二人称:視点→ヒロイン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンタイガ』(2019)

「Get set, Go! タイガ!君だけの答えが待つ銀河へ」(『Buddy, steady, go!』)
 
ウルトラマン賛歌なんですけど、タロウの息子である若きウルトラマン・タイガの歌だけあって「誰かに笑われたってかまわない」など、みずみずしく熱いメッセージが印象的。ちなみに作詞・歌唱は声優の寺島拓篤。バディもの作品の、変身者ではなくウルトラマンの声優を担当する方が歌っているというパターンです。歌詞にはウルトラ作品のテイストが散りばめられており愛を感じます。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンZ(ゼット)』(2020)

「ご唱和ください 我の名を! ウルトラマンZ!」(『ご唱和ください 我の名を!』)

ド直球なフレーズで始まる非常に熱い歌。これをコミカルでフランクに話すウルトラマンゼットさん本人が一人称だと捉えるのはキャラクター的にはやや難しい気もするんですが、このゼットさんの決めゼリフを言われてしまってはそう解釈するしかない。「2人の力合わせ その先へ進め!」というフレーズもあり、これは変身者とウルトラマンを指していると思われます。
引っかかるのは、一度だけ登場する「敵か?味方か?揺れ動くキミはどっちだ?」。これは番組序盤、歌詞がわかった時点でいろんな考察がありましたが、やはり当作品の地球防衛軍に当たるSTRAGEのヘビクラ隊長を指しているのでしょう。その正体は、ニュージェネレーションのヴィランで圧倒的人気を誇るジャグラス・ジャグラー。正義の心を持たぬ異星人として登場しながら、ゲスト出演時には徐々に地球人の味方をするようになり、今作では何と防衛隊の隊長を務めるという異色の立ち回りを見せたキャラクターです。
 
一人称:視点→ウルトラマン 呼称→我
二人称:視点→立ち位置不明な番組内キャラクター 呼称→キミ
三人称:(なし)

『ウルトラマントリガーNEW GENERATION TIGA』(2021)

「引き金は僕だ」(『Trigger』)
 
このフレーズからウルトラマン本人が一人称の歌だとわかります。トリガーは変身者=ウルトラマンなので変身者であるマナカケンゴ自身の歌、つまりジードと同じタイプということ。ただ、「燃える闘志沸き起こして 風穴を開けろ運命」と命令形が多い歌詞からすると、印象としてはウルトラマン賛歌ですし、ティガタイプにも感じるな? と思ってしまう。ガチガチの一人称視点ではない。それだけにジードのインパクトはすごかったのです。
 
一人称:視点→変身者=ウルトラマン 呼称→僕、僕ら
二人称:(なし)
三人称:(なし)

『ウルトラマンデッカー』(2022)

「今の君の1秒が 遥かな明日変えてくから」(『Wake up Decker!』)
 
きらびやかなユーロビートとデジロックの間のようなスピード感ある曲調がウルトラマン主題歌としてはわりと珍しいんですが、歌詞はウルトラマン賛歌になっています。「魂に点火」など、デッカーというキャラクターに合わせた熱いワードが多いのが特徴。
 
一人称:視点→市民 呼称→(なし)
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『ウルトラマンブレーザー』(2023)

「きっと響きあう 僕らの祈りのために すべてを越えて ブレーザー」(『僕らのスペクトラ』)
 
ほかに二人称として「君のこころに触れながら」と「君」が登場します。サビの「星に射抜かれて ひとつになった瞬間を 今も立ち上がるたび 懐(おも)うよ」という出会いを思わせるロマンチックなフレーズが示すとおり、「僕」が変身者で、「君」がウルトラマン。全体としてはティガタイプを思わせながらも、このフレーズがあることにより本人視点だとわかります。ブレーザーは、言葉を発さぬウルトラマンでありながら変身者とバディ的関係を築くという、ウルトラ作品では前例のない形を取ります。その静かながらも確かな絆を感じさせる歌詞が熱い。
 
一人称:視点→変身者=ウルトラマン 呼称→僕ら、ME
二人称:視点→ウルトラマン 呼称→君
三人称:(なし)

『シン・ウルトラマン』(2022)

「遥か空の星が ひどく輝いて見えたから 僕は震えながら その光を追いかけた」(『M八七』)
 
最後に、ウルトラヒーローのナンバリングとしては番外ではあるんですが、米津玄師大好きなのでどうしても取り上げたかったこちらの曲を。特別ウルトラマンのファンではない米津玄師が、ウルトラマンという存在に対してここまでの解釈を見せたことで、我々は度肝を抜かれたわけですが……。
さて、人称を単純に考えれば、「僕」は自分自身であり、「君」がウルトラマンだろうと思われます。「痛みを知る ただ一人であれ」という孤高の輝きを感じるフレーズからは、米津玄師フィルターを通ったウルトラマン像をありありと感じます。もの悲しくやわらかな言葉さえも使いながら、その瞬間に壮大な宇宙を感じさせるような歌詞に脱帽です。
ただ、実を言うと、初めて聞いた時点では「どこに視点を置いたらいいかわからない歌詞だな」と感じていました。「僕」がウルトラマンで変身者、もしくは市民の「君」に呼びかけているという解釈でも十分通じる内容だと今も思います。インタビュー(※)によると、歌詞には「多義的な何かを含ませておきたい」という前提があったとのこと。本人からこう言われると、あえて定義しなくてもいいのかなとも思います。

 ※Mika Koyanagi(二〇二二)「インタビュー 米津玄師が最新シングルで語る「ウルトラマン」からの“祝福の連鎖“」『GINZA』 https://ginzamag.com/categories/interview/284107

* * *

昭和で「光の国からぼくらのために」のウルトラマン賛歌、平成で「ウルトラマンがほしい!」と自分を奮い立たせる歌、ニュージェネレーションで「僕は強くなる」とウルトラマン自身が歌う歌として進化を遂げてきたウルトラマン主題歌。身長40メートルの絶対的な存在から、人間として悩み戦う姿へと変わってきたウルトラマンに合わせて、主題歌の視点も確実に変わってきたことが改めて感じられました。
「多様性」「個の時代」と言われる現代において、ウルトラマンというヒーローは「僕は強くなる」からどこへ行くのか。「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」「痛みを知る ただ一人であれ」、それは「多くの人々」に対する「一人」ではなく、自分の痛みを一人で享受し、自らの望みのままに生きていく強さを持てというメッセージなのかもしれません。

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