
スプラトゥーンで自分をよろこばせる方法
スプラトゥーンのよろこびは2種類ある。
①喜び
「試合に勝って喜ぶ」「XPが上がって喜ぶ」
②悦び
「出来なかったことが出来るようになって悦ぶ」
「難しい動きを成功させて悦ぶ」
2つの「よろこび」の違い
【喜び】
一般的に使われるのはこちら。
「喜ぶ」は、何かを受け取ってよろこぶ感情を表している。
同じ体験をしなくても、外から刺激を貰えるので喜びは共感することが出来る。
たとえば「世界大会での優勝を喜ぶ」「MVPを受賞して喜ぶ」と言った感じ。
【悦び】
ご満悦という言葉があるが、こちらは一人で静かによろこびを感じることが多い。
自分の中から湧き上がるよろこびの感情を表している。
内側からの感情なので、同じ体験をして、同じ感情が湧き上がらないと、その悦びを誰かと分かち合うことは出来ない。
たとえば「温泉に入って悦ぶ」「ジグソーパズルを完成させて悦ぶ」と言った感じ。
違いは管理可能か管理不能か
「自己満足」するのが悦び。
自分の行動で自分の感情を動かす自己完結型なので、悦びは管理可能である
一方、自分の外側の出来事、いわば「他力本願」で味わうのが喜び。
自分の意思でコントロール不能である他人の行動に自分の感情が委ねられるので、喜びは管理不能である。
努力を達成するよろこびには2種類ある
大谷翔平や藤井聡太など、超一流選手の努力や結果を私たちは目の当たりする機会が多い。
他の人からは「喜び」しか見られないので「とてもできない大変な努力」に思うのだが、
本人からすれば「上達する悦び」を味わっていて、自己満足しているからそれを大変な努力とは思わないのだろう。
むしろ、努力して「悦び」を味わえる方が毎日楽しくて、あまり努力せずに「悦び」を味わえない毎日の方がつまらない。
きっとそんな感じなのだろうと思う。
No.1の選手すら努力で喜びを得るのは不可能に近い
喜びは、外部からの刺激に依存する他力本願なので、自分の努力で「喜び」を実現するのは困難である。
大谷翔平でさえ、ワールドシリーズ制覇という夢を実現する「喜び」を得るのに30年もかかった。
イチローに至っては、現役時代はチームの成績が低迷する時代も長く、「喜び」を得るのが困難な中で「悦び」を追求して努力し圧倒的な成績を残した求道者だからこそ、言葉の重みを感じます。
もちろん、WBCの優勝や数々の偉大な記録、芸術的なプレーで何度も「大きな喜び」をたくさんの人に届けてくれましたけどね。
喜びはNo.1になった瞬間の幸せ、悦びはオンリーワンの幸せ。
どちらが幸せな人生かと言うと、間違いなくオンリーワンの悦びだと思う。
大谷翔平は世界でNo.1の選手になる前から「野球が上手くなりたい」という自分だけの悦びを追求して、
学生時代〜日本ハム時代〜メジャーデビュー〜現在まで、オンリーワンの幸せに満ちた人生だったのだと、僕は感じる。
大谷翔平・イチロー・藤井聡太など、No.1になる人はすべからく、オンリーワンの悦びの為に努力して、悦びに満ちた毎日に幸せを感じているのだと思います。
世の中は喜び=幸せという価値観が溢れている
テレビなどではモノやサービスなど外的な刺激を売る為に、「喜び=幸せ」つまり「他人から見た幸せ=本当の幸せ」であるという価値観を刷り込ませている。
脱毛しなくても、転職しなくても、塾に行かなくても、英語を話せなくても、悦びが溢れる毎日を過ごすことが出来る。
それだとモノやサービスが売れないですからね。
東京の電車広告
— アルス (@arusu752) November 29, 2024
「脱毛しろ!転職しろ!塾に行け!英語を話せ!結婚しろ!過払い金を請求しろ!」
奈良の電車広告
「鹿!鹿!鹿!」 pic.twitter.com/HFvVlNKLaU
テレビや公共機関の広告は全然マシで、SNSのインフルエンサーなどは容赦なくマウントを取り、他者を下げて自身をPRする。
「悦び=つまらない人生」という価値観を刷り込んで、『まだヒゲ剃りで消耗してるの?』と否定し、『脱毛してモテて、喜びに囲まれているワイは、幸せな人生やで!』とアピールしている人も居る。
その価値観が間違っているとは言わないが、間違いなく一つ言えるのは、幸せの基準を他人に委ねたら、「No.1になった瞬間しか、幸せになれない」ということ。
個人戦は基本的に自己満足の「悦び」しか味わえない
ここでちょっと僕のことを話します。
僕は元々格ゲー勢で、14才の時にゲーセンに行ってから10年間、格ゲーしかやってなかった。
1対1の対戦なので、勝利して相手から憎まれることはあっても、勝利を喜んでくれる人、悦びを共有できる人は居ない。
(※ただし、喜びを味わいにくい代わりに、中毒性を高め「悦び」を味わえる工夫や仕掛けが格ゲーにはあります。)
ある程度大きな大会に出て決勝まで行き、優勝したら初めて「喜び」を共有して味わえる。
今まで当たったライバルも応援・祝福してくれて、すごく嬉しい。
そのたった一度の喜びを味わうまでに、僕は8年かかりました。
そんな喜びを味わいにくい対戦ゲームを10年近く続けられたのは、僕は上達する「悦び」を噛み締めていたから。
スプラは「喜び」を味わいやすい
格ゲーとスプラの決定的な違いは、スプラはライトユーザーでも「喜び」を味わえるところ。
チームバトルの対戦は、「勝つ喜び」を人と分かち合うことが出来ます。
また、SNSの普及もあり、ウデマエが上がった悦びを気軽に共有出来るようになりました。
格ゲーだと8年間もかかった「喜びを分かち合う」体験を、スプラだとすぐに、そして何回でも味わうことができる。
これは、スプラトゥーンが素晴らしいゲームである最も大きな理由と思います。
格ゲーだと、ライトユーザーが「喜びを分かち合う」体験など絶対に出来ない。
しかし、スプラ勢は「悦び」を見失いがち
喜びを共有しやすいメリットがある反面、SNSには前述のとおり、他者を下げて自分を上げようとする人も多い。
つまり、スプラトゥーンは「喜び」を分かち合いやすい一方で、よろこびの基準が自分が軸の「悦び」でなく、他人が軸の「喜び」だけになりやすい。
『この人は本当にスプラトゥーンをプレイしていて楽しいのだろうか?』と思った回数は、数えきれないほどある。
幸せの基準を他人に委ねたら、No.1にならない限り、幸せになれない。
あなたはスプラトゥーンの「よろこびの基準」が他者に委ねた「喜び」になっていないだろうか?
XPを一つの喜びの基準にするのは良い。
しかし、自己満足の悦びの基準にしたら絶対にいけない。
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな、って奴です。
「喜び」は管理不能なので努力は報われない
XP◯◯更新という喜びを味わう為にスプラをすると、99.9%努力は報われない。
「喜び」という感情は他力本願のため、自分の努力では管理不能だからだ。
しかし、そうは言っても多くの人は「悦び」でなく「喜び」を追い求めて努力をする。
人間というのは大きな喜びを味わうと、小さな悦びを見失ってしまう生き物だ。
努力して「喜び」を味わうことも難しいが、大きな「喜び」を味わった後に小さな「悦び」を見失わないことは、それ以上に難しい。
なぜ「悦び」を見失うのか?
自己満足の悦びは、どこまで上達しても自分一人しか味わえなくて、
一方で喜びは、上手くなるほど多くの人と共有出来て、相対評価に比例して何千倍にも倍増して味わえる。
上達すればするほど、自分だけの「悦び」よりも大会の優勝などで味わう「喜び」の方が心が大きく動かされる。
格ゲーをやっていた頃の僕は、こんな感じで「悦び」を見失った。
大会での喜びを経験して以降、上達する悦びは全く感じる事なく、「また喜びを味わいたい」一心で、苦痛を伴いながら努力していた。
悦びを見失わない難しさ
・喜びを得る為の努力は、苦痛を伴う
・悦びを得る為の努力は、自己満足で楽しみを得られる。
「努力する者は楽しむ者に勝てない」という格言があるが、悦びを見失うと充実感を味わえないので、努力に苦痛が伴う。
カメのように小さな一歩でも自分の力で着実に進めて、確かな悦びを日々噛みしめるのが、努力を継続する上で最も大事。
20年以上格ゲーの最上位勢に君臨し続け、現在もプロゲーマーとして活躍しているウメハラさん・板橋ザンギエフさんなどが努力する姿を僕は実際に目にしたり対戦して、そのコトを学んだ。
彼らは、国内・世界の大会を優勝して「大きな喜び」をどれだけ味わっても、自分だけの上達する「小さな悦び」を見失わない。
その天才とも称される難しいことをやってのける人と僕の違いは、才能や性格の違いと言えばそれまでだが、一番の違いは、そもそも努力の目的が違う。
ウメハラさんや板橋ザンギエフさんは優勝の喜びでなく「上達する悦び」に重きを置いて、ゲーマーの初心の楽しさを見失わずに、努力している。
才能とは「悦び」を味わえること
XPが伸びずに心が沈んでいる人は、自分だけの「悦び」をもっと大切にしてほしい。
本来、「喜び」は「悦び」の副産物である。
・試合に勝つ=喜び
・勝利を決定づける活躍=悦び
才能や努力とは「悦び」を味わえるかどうかで測るもので、副産物のXPで測れるモノではない。
別にスプラで「悦び」を味わえていないなら、やめて良いと思う。
きっと他のことで「悦び」を味わえる才能があなたには有る。
逆にスプラで「悦び」を味わえているのなら、あなたには一流の才能がある。
「悦び」を味わえていない人ほど「喜び」を味わいたくてXPを気にするので、僕はそんな人を見ると『あー、この人才能ないんだ。』くらいに思っている。
僕は、20年以上に渡って最上位に君臨している超一流のプレイヤーを知っているからこそ、またりんさんのnoteを見て、スプラの才能について書きたくなった。
誰かと分かち合うことは出来ない「悦び」を、あなたは味わえているだろうか?
ブキの選び方も2種類ある
よろこびが2種類あるので、ブキの選び方も2種類ある。
たとえば、喜びを得やすいのは黒ZAP、悦びを得られるのは赤ZAPといった感じ。
これは癖(へき)のようなもので、人それぞれ違う。当然、黒ZAPの方が喜びも悦びも得やすい人も居ると思う。(逆も然り)
ギア選びの方針も2種類ある
喜びを得やすいのは、定番のギア構成。
悦びを得やすいのは、自分の癖(へき)に刺さるギア構成。
上手い人のギアを参考にする人が多いが、僕はわりと懐疑的な見方をしている。
参考にして真似して試してみるのは良いけど、「なんか違うな」と感じたら、別のギア構成を試すべき。
スプラ2の頃は、アーマー環境だったので対物ギアが定番で勝つ喜びを味わいやすい。
だが、僕の癖(へき)に刺さるのはステジャンの黒ZAPだった。
スプラトゥーンプレイヤーは悦びに飢えている
タイトル詐欺みたいになってしまいますが、スプラトゥーンで自分を悦ばせる方法に「コレが唯一無二の正解だ!」と言えるモノは無い。
内側から湧いてくる悦び、その感性はオンリーワンなので、あなた自身が色々と試す以外に方法がありません。
解説動画では「勝つ喜び」を得る為のものばかりで飽和状態ですが、それだと99.9%苦しい道のりになってしまう。
本当にユーザーが求めているのは「スプラトゥーンで悦びを味わう体験」だと思っている。
悦びを発信するメリット
僕のXに流れてくるTLを眺めていると、
・サーモンラン勢
・サメライド界隈
・ショクワンダー使い
・モップリン星人
・ハイドラント使い
・現役スプラ2勢
これらの方々は間違いなく「自分の悦び」を得ているプレイヤーだと思います。
他のプレイヤーには全くよろこびが共感出来ないですよねw
でも、彼らのように自分の悦びをドンドン積極的に発信すると、人口の多いスプラトゥーンでは、悦びに共鳴する人も必ず居るはず。
やがて「喜びを共有できる仲間」が出来ると思います。
スプラ2の頃は、ボールド使い、わかば使いなど、環境TOPでないブキ使いは「自分の悦び」を積極的に発信していた印象がとても強いです。
4リグマで、同じブキで揃えたチームに何回当たったか数えきれませんw
スプラ3は一人で気軽にオープンやイベントに潜れる分、そういう繋がりが希薄になってしまったように感じられます。
僕の悦び
主にサーモンランNWとスプラ2をプレイしているが、単純に僕の癖(へき)に刺さるブキが多い。楽しい!
他にもサーモンランのカタパワンパン、ハシラ割り、どんぴこのインクレールのキャラコン、シェケナダムやトキシラズなど難関ステージのクリアなど
自分が「気持ち良い」と思える小さな悦びは、たくさんある。
スプラ2だと、ジェッパ対決とチャクチ狩りの「悦び」は、試合に勝ってXPが増える「喜び」よりも遥かに大きかった。
ゲームを好きになるには?
『好きに勝る才能はなし。』という格言がある。
最強のプレイヤーになる方法は、「そのゲームが好きになる」こと。
その為には、「そのゲームをプレイしている自分を好きになる」という、ゲームをプレイする自分の自己肯定感を上げることが大切。
喜びを味わえない時間=嫌いな自分でいる時間を減らして、
悦びを味わえる時間=好きな自分でいられる時間を増やす。
コントロール不能な喜びを、努力でコントロールしようとしない。
コントロール出来る事を努力でコントロールして、自分を悦ばせる。
外部的なキッカケで「喜ぶ」のでなく、自分の行動で「悦ぶ」習慣が身に付くと、そのゲームが好きになり、上達すると思います。
自分をよろこばせる方法
なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
分からないまま終わる
そんなのは嫌だ
忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも
そうだおそれないで みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ
愛と勇気だけが友達というのは、よろこびを共有できる人が居なくて寂しい人生にも思えます。
しかし、一見すると幸せそうに感じる「共有できる喜び」を追求すると、他人が基準で「No.1になる=幸せ」っていう定義になり、何倍もツラい人生に感じます。
「オンリーワンの悦びを追求することが、幸せ」誰に何と言われようと、愛と勇気だけが友達。そんな人生を、僕は楽しんで行きたいと思っています。
アンパンのマーチ、神曲ですよね。