玄関の鍵の音だったのだろうか。
とても大切な人がいた。
人で節目を数えるのも変な話だが、その節目ごとにわたしは大切な人がいた。
人は記憶を美化するという。
過去であればあるだけ、醜い部分が紛れるのか。
直近であればあるだけ、美しいところが際立つのか。
それらは逆なのか、果たしてわからない。
順位をつけるなど、甚だ何様だという話でもある。
目を覚まして、仕事に行くまで
仕事の休憩中
仕事が終わった帰り
家事をしている最中
眠る前
そんなのは、ほぼ1日一緒にいると言っても過言ではないと思う。
文章にして改めて読んでみると、依存だとか、そう思われても仕方がない。
1日の時間が足りなくて仕方なかった。
毎日が楽しかった。
もっと視覚や感覚器を刺激するような鮮やかな体験をしたりもしたが、わたしにはどうも、その時が最も楽しくて幸せな時間だったと思う。
最も、最も、孤独でなく感じたのだ。
愛だの恋だのは俗で、しゃらくさくて、そんな言葉を当てたくないし、相応しくない。
わたしを孤独でいなくさせてくれる人が後にも現れたのだったが、感情に流されていく人を見ているわたしは孤独以外の何者でもなかった。
箱で送るよと言ってくれていたりんごを、わたしは今年も来年も、ずっと先、一生食べることができない。
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