孤と個と。
孤独とはよい関係でいなくてはならない。
時として、わたしは孤独と知り合い以上で友人未満ではある。
本当の本当に孤独と一体化してしまった時に、環境に適応しやすくしている。
それでも時折、噛みつかれたりすると、ひどくひとに居てほしくなるし、毒にやられると自分のことばかり聞いてほしくなる。
そんな様子を表すと、個々それぞれ「普通」を送る人々の目に触れて少しずつ離れていく気がする。
実の寂しがり屋とは、人が離れていかないように、異常時でも普通を振る舞い、常に日常的で穏やかである虚勢を張っている。
孤独ではないひとであったら、と思うこともあるが、孤独ではないひとの孤独もまたあるのだと知っている。
どこまでいっても割り切れないのならば、どこまでも付き合っていくしかないじゃないか。
自分の存在する集団が悪いとか、選んだ自分が悪いとか、自分や他人を悪者に仕立てあげず
「またお前と一緒にいるよ」
くらいの気持ちを沸騰させずに、ゆっくり煮込む。
一体化してしまった時の計り知れない寂しさを、覚悟することはできても、体感するのは、その時のわたししかいない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?