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子どもが生まれた
東京生まれの男が一人。
今日から育児が始まります。
朝8:30からの帝王切開手術予定。事前の入院の段階で出産において夫が直接的に役立つことなんて何もないと思ってたし病院側からも完全にいらない存在だったから、せめて祈りだけは捧げようと決めて手術の時間には起きて身支度を始めた。暖かい日になると聞いてたから靴下だけでも春色にした。病院から10時ぴったりに電話があり、生まれた報告をきいた。もともと10時ぐらいに電話があると聞いてたから、いろんなことが予定どおりに行ったんだろうなと思った。家の外に出たら思ったより春の風でテンションが上がってしまった。
病院の普段の面会が14時~18時に制限されてるせいで初めての午前の訪問はいつもと勝手が違った。総合受付で産科病棟に電話してもらう。全然電話がつながらない。目の前のベンチで待機するように言われた。総合病院、そして大学病院なんだけど、本当にいろんな立場の人が行き交ってる。受付の人は老人対応も手慣れたもの。胸から下げた社員証をよく見たら外部に委託されてるサービス会社の人だった。
産科病棟のナースセンターに面会用紙を提出。「まだ産まれたばかりで準備中だから待っててください」と言われ、目の前のベンチを案内された。ここに座るとやけに冷静になってしまう。自販機をぼーっと眺めて、今飲みたいコーヒーとかジュースとかそういうのが全然ないラインナップだって思ってた。予想してない角度からかごに入った新生児を連れて看護師さんがやってきた。ここで面会スタート。エレベーター前、完全に廊下。往来の中。
本当にきいてたとおり、ゴムまりみたいな頬なんだ。当たり前なんだけど目が閉じてて遮光器土偶みたいだった。エコーの段階から俺に似てることがわかってたらしいけど信じたくなくて、実際に見たら別に誰に似てるかわかんない。鼻は似てるかもしれない。何より、思ったより大きく生まれてきてよかった。感動で泣くとかじゃなくこっちの心がそわそわしてる状態で、写真撮ったり撮ってもらったり、でもカメラの絞りとかホワイトバランスを調整して「よりよく見てもらおう」とか思う冷静さもあった。ただ泣き声を聴いたときは胸をつかまれるような、とても大きな感動があった。
別の看護師さんが来て、その人にも一通り写真を撮ってもらった後、「今日は帝王切開の予定がたくさん入ってて……」とその人が病院側の話を始めたと思ったら赤ちゃんの入ったかごのハンドルを握った。あぁもう面会終わりなんだ。わかってはいたけどもう一回、明日以降の面会可能時間を聞いた。明日以降は16時~17時のみ、カーテン越しにしか見られない。その時間はたいそう賑わうらしい。その空間にいるのはなんか恥ずかしい気がした。「では」と言って看護師さんがかごを押して遠くに行ったとき、「連れて行くなよ」と思った。これが父性との初めての出会い。
病院のエレベーターと廊下で親戚への連絡を完了した。廊下に珍しいパックのジュースが売ってる自販機があって、それを買って面会の病室で飲むのが楽しみだったんだけど、そもそも妻には会えないしそれをやる気にもならずとぼとぼと病院の出口へ向かった。今日やることは完全に終わった。その時午前10:50。一日が終わった史上の最速ではないだろうか。ドトールとタリーズが併設されている病院で、どっちかに入ろうかと思ったけど、さっき座った受付の前のベンチで人の流れを見るとなんか違うなと思って外に出た。外でも、駐輪場で10分ぐらい何も考えられず、今度は友達にたくさん連絡をした。人の子どもの誕生なのにみんな自分のことのように祝ってくれてぐっときた。みんな本当にありがとう。
大学病院の無機質さがいいなと思った。勝手な想像だけど、産科のみの病院とかクリニックで産んだら盛大に祝われたり、同じような人ばかりでなんか違ったかもしれない。大学病院って本当にいろんな人がいるなってこの3日ぐらいでも思って、病院単体だけでなくその街の周りもたくさんの若い医師がスクラブ姿で歩いてたり、定食屋がそれでにぎわってたり、タクシーも多くて、もちろん薬局も多くて、そういう一つの大きな街のシステムが出来上がってる。子どもが生まれるなんてことはその街の小さな一つの出来事で単なる入院してる人の1人でしかない妻がもう1人関係者を増やしたに過ぎない。でもその感じがなんかいい。東京っぽいなと思った。他者へのいい意味での無関心。だからこそ家族や友人の声が特別な意味を持つ。社会の中に生きてるからこそ自分だけの体験には価値があるっていう人生でいっつも思うことを今日も思えた。
たぶん無限に外でぼーっとしちゃうと思って、朝から何も食べてないといっても11時の段階ですが、ちょうど大好きな喫茶店カフェリアのランチが始まったから行くことにした。この喫茶店があるからこの街に住んでることを肯定できる。近くのイオン(マジでイオン名乗らないでほしい最悪のテナント)の駐輪場にチャリをとめた。ここは90分無料。階段を上がって、いっつも座る窓際の席でナポリタンセットを頼んだ。この席から駅がよく見える。またしても人の往来。
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この量のナポリタンとセットでついてくるアイスコーヒーを平らげるのになんか40分ぐらいかかってしまった。それでも心がそわそわするからもうちょっとこの店にいることに決めて、数年ぶりにクリームソーダを頼んだ。インスタにあげるのもいいでしょう。
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クリームソーダを飲んでも何もできなかった。そして気づけば駐輪無料の90分を2分ぐらい超過してた。これをきっかけにして外に出た。
まっすぐ帰るのもなんだし、何より気候が良すぎる。この日に産まれてきてくれてありがとう。近所の公園にいってまたしてもただただぼーっとする。音楽を聴くのもいいかもしれない。でも人生でそれなりに大きいイベントがあった時何を聴けばいいのかわからず、とりあえずHysteric Blueの「春~spring~」を聴いた。横でママさんの集会をやっていて、遠くの遊具のエリアでそのママさんの子どもたちがたくさん遊んでいた。なんとかちゃんが泣いた~って言ってママに駆け寄った子どもたちの声でママさんたちが遊具エリアに散り散りになった。今度は違うママがやってきてすれ違う人とあいさつをして、「水曜は休みなんですよ」といってまた会釈をして去っていった。
それにしても本当に暖かい。俺の人生では2月末に、明らかに楽しい出来事と気温の変化とが重なっている。大学受験の二次試験が終わって本当にすべてから解放された初日に飛行機を待つ売店で読まなくてもいい雑誌をみんなで読んでたあの時間だったり、卒業旅行でドバイに発つために関空に行くだけの日だったり。それらと同じく、今日も所在は無い。ただただ気持ちの高揚がある。
家に帰って昼寝してベース弾いて、お互いの両親に写真を共有するためのアプリをひと通り案内した。アプリにつけるそれぞれのニックネームで、自分の両親がじいじとばあばになったことを実感。そしてnoteを書いて今に至る。こんなに何もしていないことがわかったら多くの関係者になんか言われそうだけど、それぐらい何もできない日だった。俺の存在と役割の貢献度が明らかに無いから、まだ名前もない男が意味を与えてくれることに期待しています。